エニシ −14−


 二日後。
 ハロルドたちは街道を先行していた公国軍の本隊に無事追いつき、エスト丘陵に建つウラガン城砦の一角に収まることができた。
「サカキ!」
 名前を呼ばれて、馬の世話をしていたサカキはびっくりして振り向いた。
「メグ・・・!」
 ぞんざいに短く切った銀髪が、肩の上でさらさらとなびいている。灰色がかった大きな蒼い目は意志強く輝き、造作はいいのに歪められた唇が、邪悪さをかもし出している。使い込んだ鎧には傷が増え、彼女が激戦の只中を渡り歩いたことがうかがえた。
「死に損ねたようだな。敵地でのうのうと馬の世話とは、いいご身分だ」
「・・・お互い様だ」
 この女騎士はかなり変わっているが、その独特の言動を飲み込んでしまえば、それほど難しい人間ではない。出会いが衝撃的であったせいか、メグはサカキを弟のように扱うし、サカキもメグに妙に懐いた。
「メグのおかげで、シェーヌの病院でも、ハロルドにも助けてもらえた。感謝する」
 サカキが礼を言うと、メグは片眉を上げ、尊大に頷いた。
「そうだろう。貴様のようなヒヨッコは、本来後詰で、先達の戦いぶりを見てびびっているのがお似合いなのだ。最前線で指揮を取るなどという生意気をするから、私に首根っこを引き摺られていく羽目になる」
 メグは若くて、とても美人で、鈴の音のような、高くて綺麗な声をしているのに、言うことがこの調子なので、サカキも苦笑するしかない。だいたい、本当のことでもあるし・・・。
「それで、大神官殿にはもう会ったのか?」
「いや・・・公国では、神官も従軍するのか?」
 サカキが目を丸くすると、メグはクククと喉を鳴らし、首を振った。
「アルフレド公子のことだ」
「ああ・・・いや、謁見はこれからだ。なんだか、有名みたいだな。その、信心深いというのは」
 サカキが眉をひそめると、メグもうんざりといった様子で頷いた。
「悪いとは言わないが、せめて神殿でやればいいのにな。負けたのは日々の祈りが足りないからだ、なんて言われてみろ。軍人辞めたくなって当たり前だ」
 思い切り嫌そうな顔をして吐き捨てるメグに、サカキも同情を禁じえず、神妙に頷いた。
 兵を動かす戦いというのは、実は開戦前で八割がた勝敗が決しているものだ。つまり、どのような結果を得るための戦いなのか、敵の兵数に対して自軍の兵数は上回っているか、補給は十分か、現場の将兵は健全で優秀か、有利に戦える地形はどこか、戦闘時の天候はどのようだと予測されるか・・・。それらが明確になっており、その上でさらに戦闘時に必要となるであろう軍装や兵器にカスタマイズして、緻密な戦術を立てるのだ。
 正直なところ、信仰心は士気を上げるための一要素にはなりはしても、戦闘の行く末を左右するものではない。
「ミシェル殿にも聞いたが、それほどとは・・・」
「なに、ミシェルじいも来ているのか!?あの老いぼれが・・・田舎で菜園でもいじっていればよいものを」
 口汚く罵るわりには、メグの表情は喜んでいる。ミシェルの経験に相応しい重厚な戦いぶりを、心強く感じるのだろう。
「メグもハロルドの部隊に入るんだろう?前線から退いてきた人たちは、みんなハロルドの指揮下だって聞いたけど」
「そうだ。数を揃えると言えば聞こえはいいが、実態は戦い疲れた兵の寄せ集めで、再編したてでは命令系統もこなれていない。大神官殿に華を持たせてやりたいと言う大公殿下もどうかと思うが、それをやりくりする参謀長も参謀長だ。負けないように精強どころで固めはしたが・・・まぁ帝国軍に勝つ気がなければ、うちが勝つんじゃないか?」
 メグは本当に言いたい放題で、逆にサカキの方がはらはらしてしまう。メグの上に立つには、そうとうの忍耐とか寛容さとかが必要になるに違いない。
「マエストロ!・・・メグもここにいたのか」
 馬舎に走ってきたのは、ハロルド付きの騎士マルコだ。
「よう、マルコ。オシメは取れたか」
「・・・どうしてアルエットヴェールの受賞基準に、言動の慎ましさが含まれていないのでしょうか。非常に残念です」
「そいつは気の毒に。あんまり気に病むと禿げるぞ」
「・・・・・・」
 サカキはこのぐらい平気だが、マルコは血圧が上昇するらしい。ぷるぷると震えている若い騎士に、サカキは用件は何かと水を向けた。
「謁見の準備が整いました。謁見場まで案内します」
「わかった」
「私も一緒に行こう」
 メグの不遜な言葉遣いは置いておいて、その胆力と実力はマルコも認めるのだろう。マルコは苦い表情を引っ込めて頷いた。
「お願いします」

 ウラガン城砦は古い建物だったが、頑丈で、大軍を収容できるスペースもあった。同時に、歴史を感じさせる装飾品や、歴代の実力者が使った豪奢な部屋があり、謁見場に指定された広間も、大理石の床や柱が磨き上げられ、赤い色はくすんでいるが、大きな絨毯が敷かれていた。
「アルフレド司令官閣下にご報告申し上げます。ヴェルサス参謀長のご指示により、ハロルド以下、輸送人員含む二千名、ただいま着任いたしました」
「遠路ご苦労だった」
 謁見場に入ってから、このやり取りを終わらせる数十秒の間だけで、ハロルドは妙な空疎さを感じていた。実の兄弟だからかもしれない笑いたい気分を押さえつける、濡れたシーツのような雰囲気が気持ち悪い。
 ハロルドは膝をついたまま、自分とよく似た長兄の顔を見上げた。髪や目の色、顔かたちは似ているが、アルフレドはハロルドよりほっそりと背が高く、肉付きが薄い。椅子に座って弟を見下ろす態度が、そもそもの神経質さと合わさって、どこか病的なものを感じた、
(気に入らない・・・)
 普段なら、そこまでは感じない。だから、ハロルド自身が驚いた。
 跪いたハロルドの後ろには、ミシェル、ジョルジュ、トマの大隊長、その後ろに、マルコとメグに左右から守られるようにサカキがいる。
 アルフレドのまわりには、武官もいるが、身の回りの世話をする侍従もいる。ハロルドの侍従は騎士のマルコが務めているが、アルフレドの侍従たちは、文官か、あるいはまったくの使用人だ。
 つい先日戦闘を経験した緊張感からか、ハロルドはこの最前線に武官以外がいることが、とても奇妙に感じられた。
「ここに来る途中で、深く入り込みすぎた帝国の先遣部隊を壊滅させたそうだな。初陣での初勝利、おめでとう」
「ありがとうございます」
 ハロルドは鳥肌が立ってきて、早くこの場を去りたいと思ったが、ぐっと下っ腹に力を込めて耐えた。
「ところで、お前がわがままを通した帝国兵はどうした?参謀長から戦力にするなどという、ばかげた話が届いているが?」
 大隊長たちを越えてマルコの緊張とメグの冷笑を背中に感じながら、ハロルドはきちんと事実を伝えた。
「ウイエ街道沿いの戦闘で捕虜にし、シェーヌで療養をさせていた帝国兵たちですが、一部オルキデアへ行く者を除き、わが国へ亡命を果たしました。同時に、ヴェルサス参謀長の計らいにより、ダン・ソルシエール傭兵団として、わが軍に協力することになりました。過日、帝国の先遣隊との戦闘においても、果敢な戦いぶりで、わが軍に勝利をもたらすことに貢献しております」
 ハロルドが拳に力を込めて言い終わると、謁見場の左右に控えた武官達から漣のようなざわめきが聞こえ、アルフレドの視線がハロルドからその後ろの大隊長たちに動き、それが事実であると無言の肯定を受け取って、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「自国から追い出されて裏切るか。ふん、不愉快な話だ」
「お言葉ですが、最初に裏切られたのは彼らのほうです。彼らはわが国で平穏に暮らすことを望みましたが、それ以上の報酬や地位は望んでおりません。今回の参戦についても、彼らに当座の働き口を与えるべきとの参謀長のお考えであり、事実、我々に有利な・・・」
「ああ、もういい」
 邪険にさえぎられて、ハロルドは逆にほっとした。あまり堅苦しいことは言いなれておらず、サンダルフォンのアドバイスどおりにしゃべっても、いつボロが出るかわかったものではない。
「その傭兵どもの首領はどこだ?コーダの先帝と異教の魔女の間に出来た子だそうではないか」
「私です」
 ハロルドがなにか言う前に、ややかすれた低い声が後ろの方からした。
 さっきよりも大きなざわめきの中、絨毯を踏む音がハロルドのすぐ右後ろで止まり、すっと跪いた。
「初めて御意に浴します。ダン・ソルシエール傭兵団、団長のサカキと申します。アルフレド公子閣下に拝謁かないまして、恐悦至極に存じます」
 ハロルドと練習した小難しい言い回しを、よどみなく公国語で発言したサカキから、「なんか文句あるかコラ」といわんばかりの強い気配を感じ、ハロルドは自分に覆いかぶさっていた冷たいシーツが、溶けて消えていくような気がした。
 声の調子はまるで普通だが、恥かしそうに震える体を抱きしめた経験からすると、サカキも面白くないと思っているのがよくわかる。自分の部下たちを守り、自分たちを守って世話をしてくれたハロルドたちに迷惑をかけまいとするいつもの気丈な姿勢に、少しだけきつい何かが混ざっている。
 ハロルドはまだ見たことがないが、きっと、サカキが戦場で剣を振るうときは、いつもこんな気配を出しているのだろう。それがハロルドには、可笑しくて、嬉しかった。