エニシ −13−


 生き残って捕虜にした帝国兵の尋問中に、ハロルドを呼びに行ったマエストロが帰ってこない。不審に思ったマルコがテントに行ってみれば、ハロルドに抱きつかれて硬直しているところだった。
 とりあえずひっぺがして、青い顔でふらふらしている方をベッドに叩き込み、いきなりプロポーズされたらしく混乱している方の手を引いて外へ連れ出した。
「まぁまぁ。断られなかっただけ、いいじゃないですか」
「面子とかそういう問題じゃない・・・」
 のん気なコラーゼと馬を並べながら、マルコは額に手を当ててため息をつく。
 戦闘の事後処理を終わらせたハロルドの一行は、遅れを取り戻すべく、足早に公国軍本隊との合流場所に向かっていた。
「まったく、思い立ったら一直線なんだから・・・」
「ユーイン王子ほどでなくても、あのぐらいは押しがないと。うちの鈍感マエストロは、好意をもたれていることに気付きませんからね」
 でもまぁ・・・と少し表情をあらため、コラーゼは少し首をかしげた。
「よく、断らなかったなと・・・」
「どういうこと?」
 マルコが眉間にしわを寄せると、コラーゼも困ったように言葉を選ぶ。
「つまり、その・・・やや卑屈な言い方ですが、失うものの無さが、マエストロの強味のひとつではあったんですよ」
 マルコは、なるほどと頷いた。自分以外に何も持たないから、マエストロはあそこまで徹底して命を張れた・・・というより、自分を道具扱いできたのだ。
「やっぱり、マエストロもハロルドさまのことが好きだったんだなぁ・・・。でなきゃ、俺が煽ったって、OKなんてしないよなぁ」
 とほほと言いたげに肩を丸めるコラーゼから、マルコはさりげなく視線をそらせた。どんな相手でどんな経緯があったにせよ、失恋は辛いものだ。
「マエストロがいままで、あまり他人と深い付き合いを経験したことがないのなら、これから不安定になる可能性もある、ということか・・・。ますます副官が、しっかり支えてやらなければならないじゃないか」
 落ち込んだ雰囲気を出していたコラーゼが、くすっと困ったように笑い、体をぴんと起こした。
「なんと言っても、まだ二十歳にもなってないですからね。これで少しは、一人で突っ走らないで、落ち着いてくれるといいんですけど」
 まだ帝国兵として戦列に立っていたときから、コラーゼたちマエストロの部下は、彼の孤高さに心打たれると同時に、やきもきさせられていたに違いない。
 コラーゼが天を仰ぎ、胸の内にしまっていたらしい願望を、ため息と共に呟いた。
「あぁ、俺もハロルドさまとイチャイチャしたかった・・・!」
 マルコは鐙を踏み外して馬からずり落ちそうになったが、少し馬の歩みを乱れさせただけで堪えた。
「大丈夫?」
「だ・・・大丈夫」
 マルコは、コラーゼの思慕の対象が、マエストロだと思い込んでいた。
 ハロルドに恋人としての魅力がどのくらいあるかなど、近くにいすぎたマルコには、皆目見当もつかないが、それはマエストロのそばにいつもいるコラーゼも同じことだろう。
(マエストロが年上だったらな・・・)
 そう思っていたマルコは、自分達の似た境遇に、小さく苦笑いを浮かべるのだった。

 昨夜はちゃんと寝たはずだが、活動の質と量に対して、圧倒的に睡眠時間が少なく、心身が休息を求めていた。主に精神的な疲労が激しく、サカキは馬に乗ってはいたが、ややぼんやりとしていた。
 考えなければいけないことが山ほどあるのに、頭があまり働いてくれない。今夜はゆっくり休めればいいのだが・・・。
「・・・の。・・・マエストロ殿!」
「え?」
 半分以上意識が飛んでいたらしい。馬の首に向かって前のめりになっていた体を支えられ、握っているだけだった手綱を取られて、サカキはやっと目をしばたいた。
「危ないでござるよ」
「あ、すみ・・・すみません」
 公国語に言い直して謝ると、大隊長でハロルドのテントにいた三人の騎士の一人、銀色のひげを蓄えたミシェルが、兜の下で呆れたように豊かな眉をひそめている。
「お疲れのようだ」
「ええ、ちょっと」
 サカキは目を擦り、眠気を払うべく首を回した。
 ミシェルはすでに六十を越えているらしい。引退してもいい頃だが、ちょうど予備役に入ろうとしたところで、この戦いが始まったとか・・・。
 サカキからしてみると、歳の離れたミシェルは祖父と言っても良さそうで、彼のほうも、サカキが孫のような感覚だろう。
「マルコから聞いていたが、部隊をよく統率しておいでだ。昨夜までの一連の計画と言い、若さに似合わず、実に熟達されておる」
「いや、そんな・・・」
 そのわりには馬に乗ったまま居眠りをしていた皮肉にも取れるが、陰険さの欠片もない老騎士に手放しで賞賛され、サカキの頬が熱くなる。
「いつから軍務におつきになった?」
「十五で士官学校に入って、去年卒業しました。それからは、山賊の討伐などに出ました。こんなに大きな戦いは初めてです」
 ほむほむとミシェルが頷く。サカキがゲリラ戦に強い理由に納得したのだろう。
「そういえば・・・ミシェル殿は、ハロルドさまの兄上達をご存知でしょうか?」
「ふむ、アルフレドさまと、アンリさまのことかな」
 サカキは頷き、昨夜捕虜の尋問中にマルコが呟いたことを話した。
「地面に罠を仕掛けるなんて不信人者だと、帝国兵が言った時、マルコがまるでアルフレド様のようだと言ったので・・・」
「ふぁはははは!!あぁ、たしかにな!」
 よほど面白かったのか、ミシェル老はひぃーひぃーと体をよじって笑っている。
 グルナディエ公国の民は、大地の女神と狩猟の神を敬って、地面に罠を仕掛けて狩をしたり戦ったりすることを禁止している。だがそれは、人が手繰らなくても自動で発動する篭や噛み付き罠、あるいは落とし穴であって、サカキが提案した引き網は対象外だ。
 それを知らず、罠と一括りにした帝国兵の無知さも可笑しいが、ハロルドの兄も同じくらい盲目的な信仰心を持っているのかと思ったのだ。
「そんなに、信心深い方なのですか?私の提案したことで、ハロルドさまがお叱りを受けないといいのですが・・・」
「なに、そんなに気にせんでも、大丈夫だろうて。厳密に教義に反したわけではないし、あの方の信仰心の暑苦しさは、みなよぉく、知っておる」
 つまり・・・一番上の公子の言動には、少なくとも軍人達は、だいぶ辟易していると言うことか。それなのに今回総大将に就いたのは、どちらかと言うと政治的な配慮に違いない。それか、この戦いで柔軟さや広い視野を身につけて欲しいという、壮大な教育の一環なのだろう。下々には迷惑な話だが。
「心配せんでも、小官らがついておる。マエストロ殿は、現場指揮官として優秀であることを、騎士として勇敢であることを、すでに証明しておられるでな」
 ハロルドに庇護されただけで胡坐をかいているような、実力もないくせに口先だけは達者な小僧ではない、とミシェルは認めてくれたのだ。そしてその事実は、戦果と共に、サカキたち傭兵団が公国軍の軍人たちに受け入れられる足がかりになるだろう。
「よかった・・・」
「しかしながら、マエストロ殿には、心配事の類が多そうに見受けられる。ハロルドさまはああ見えても・・・まぁ、いささか人が良過ぎるところはあるものの、芯のしっかりした人であるし、サンダルフォンという知者も控えておるでな」
「サンダルフォン・・・?」
 聞き覚えのない名前に、サカキは首をかしげた。
「なんでも、マエストロ殿たちの亡命案をひねり出したのが、あの胡散臭い楽士だと言うことだ。ヴェルサス参謀長が軍全体の方向や戦略を考える軍師だとしたら、サンダルフォンはハロルドさま専属の軍師と言えよう」
 まだ会ったことがなくても、自分たちのために考えて色々してくれた人がいたのだと知って、サカキは胸が熱くなった。
「おそらく、今朝早くに首都に向けてたった伝令も、サンダルフォン宛の書状を持っているに違いなかろう。あの帝国の捕虜達をどうするべきか・・・」
 サカキは、ミシェルの日に焼けたしわ顔を見たまま頷いた。
 帝国内でサカキが率いていた部隊が、どういう事になっているのか、それをやっと知ることができたのだ。やはり、裏切り者扱いにされていた。だが、あの場にいた全員を上手く騙すことなんて、はたして可能だろうか?サカキが帝室と魔女の血族の両方から血を引いていることは、騎士団の中でも何人かは知っている。
 このまま連れて行かれても、見せしめに殺されるか、あるいは戦いのさなか放置されてしまうかもしれない。同じ帝国の水を飲んでいた者として、それは忍びなかった。できれば解放してやりたいが、その時に持たせる情報が問題だ。
 サカキの罠を使った待ち伏せ作戦は、比較的小規模な戦いでしか使えないので、知られてもかまわない。だが、サカキが生きているかどうか、そして、サカキの素性を帝国内でおおっぴらに明かすべきか・・・そのあたりが思案のしどころなのだ。
「まぁ、くよくよしていても、なる様にしかならんこともありよる。もっと気を楽に持って、我々に頼るのも良いのではないかな。ハロルドさまも、それを望んでおられよう」
「・・・ありがとうございます」
 サカキはぐっと唇を引き結んで、表情が見えないように頭を下げた。ミシェルが言うそのハロルドが、いま一番サカキの心を乱しているのだとは、彼は知らないだろうから。