エニシ −12−


 星明りのだけの暗闇で、ハロルドは二つの小さな光が、その後ろの集団を引き離しすぎないよう、慎重に距離を保ったまま駆けて来るのを、固唾を飲んで見守っていた。
 わずか一日半で作り上げられた「廃集落」は、日の光の下では、柱と薄い壁、半分だけの屋根など、手抜きにも程がある造りだし、古い材木と切り出したばかりの乾いていない木材の混在具合も目を引くだろう。だが、今回はそれで十分だった。
 作り物の廃集落は、その内に公国兵と、背後に多くの荷馬車を隠し、食糧と安全を求めてパニックになった帝国兵が乗り込んでくるのを待っている。
 馬蹄の響きが近付いてきて、たいまつを掲げた二頭の馬が、廃集落の入り口から飛び込んできた。そのまま広場まで直進し、後続に位置を報せるように回ると、二手に別れて集落の中へ消えていく。その頃には、最後尾を「敵」に追い立てられた一団が、息せき切って駆け込んできた。
 ハロルドは目を凝らし、目標の位置を確認したところで合図を上げた。
 ピュィィィィー!という高い笛の音が、地に轟く足音を引き裂いて夜空に響き、同時にワッと喊声が上がる。
 広場の両脇に並んだ廃屋の陰に潜んだ公国兵たちが、掛け声と共に地面に敷かれていたロープや網を、力いっぱい引き上げたのだ。
 走る勢いのまま、ロープや網に脚を取られ、引っかかった帝国兵たちが、驚きの悲鳴と罵声を撒き散らしながら、折れ重なるように倒れていく。そして、それに気付かない後続が、次々に乗り上げ、躓き、ぶつかって倒れる。
「撃て!!」
 ハロルドの一声で、その両脇に並んでいた弓戦隊が、地面で蠢いているものたちに向かって、いっせいに矢を放った。
 広場を囲む廃屋群の天辺に作られた、こちらはきちんと作られた高台から、きゅるきゅると風を貫く音を立てて、矢が降り注ぐ。叫び上がる悲鳴が、ハロルドの腹の底をきゅっと締め付けたが、歯を食いしばって次の命令を出す。
「第二射、用意。・・・撃て!!」
 びんびんと弓が弾かれる音が起こり、再び悲鳴が上がる。
「大隊長たちに合図を。網引き隊と弓戦隊は後退。火を掲げろ」
「はっ!」
 どぉんどぉんと太鼓が鳴り、櫓の天辺にたいまつを掲げてそこから降りる弓兵たちと、人馬の絡まった網を捨てて下がる者たちに代わり、騎兵、歩兵が前に、整然と交代して行く。
 煌々と照らし出される廃集落の中心部には、おびただしい死体が矢を生やして倒れていた。そして、その酸鼻な丘陵に、さらに後から後から、顔面に恐怖を張り付かせた帝国兵が追いやられてくる。
 廃集落の外からは、サカキが率いる傭兵部隊が斬りたてており、挟み撃ちをされて混乱する帝国兵に、決定的な打撃を与えられるはずだ。
「突撃!!」
 大隊長たちの号令で、槍の穂先を揃えて突撃する公国兵たちに押し包まれるように、帝国軍の部隊は溶けて消えていった。

 双方の兵力は、あまり変わらなかったはずだ。帝国軍の方が、若干人数が少なかったが、ハロルドたちのように輸送隊を抱えてはおらず、機敏な動きができたはずだった。
 だが公国の傭兵部隊は、その機動力をあっさりと追い抜き、明確な目的と周到な計画を持って、大きな打撃力を持つ本隊へと誘い出してしまった。
 サカキは「斬新ではない」と言っていたが、たしかに、兵法の基本に忠実だった。つまり、敵の補給を奪って心理的肉体的に追い詰め、冷静な判断をできなくしてから、相手より多くの兵力をもって叩き潰す。あまり策を弄しすぎても危険だが、輸送中の物資を抱えたまま正面決戦などできない味方の損害を最小限に抑え、確実に勝つには、これしかない。
 帝国軍の補給ルートを探り出してこれを潰すのも、敵の陣地に忍び込んで糧秣をダメにしてしまうことも、元帝国人のサカキたちでなければ、こうも素早くできなかっただろう。
 それに、首都から連れてきた工兵たちが嬉々として、頑丈な櫓と、それを覆うハリボテの廃集落を設計し、騎士すら顎で使って、見事な舞台を作り上げた。
 星空の下での一連は、全員の息が合った戦いだったと思う。ついさっきの出来事なのに、緊張と興奮が解けてぼんやりとした今となっては、まるで夢のようだ。
「ふぅ〜う」
 自分のテントでぐったりと椅子に体を投げ出し、ハロルドは水筒片手に頭を後ろに倒していた。良く冷えた濡れ手ぬぐいなどが欲しかったが、今はみな事後処理に忙しく、ハロルドは一人でこの憂鬱を乗り越えなければならない。
(・・・初めてだったんだ)
 戦争の現場に立ったことも、人を殺す命令を出したのも。櫓の上で聞いた帝国兵の断末魔が、まだ聞こえてきそうで、慌ててそれを振り払う。
 まだしばらくこんな状況が続くのだから、早めに慣れなければならない。だがハロルドの感受性は、そんなに殺伐としたものを、すぐに受容できるような図太さはない。
 ハロルドは自分の言葉で多くの敵を殺したが、味方にも数名の死者がでていた。勝利に沸く公国兵たちを尻目に、死体が積みあがり、血でぬかるんだ広場に立って、ハロルドは必死にせり上がるものを飲み下し、自分が下した決定の結果を見届けた。あるいは、その時やっと、戦争というものを実感したのかもしれない。
「うっ・・・」
 あの血生臭さと衝撃的な光景を思い出したら、また気持ち悪くなってきた。誰も見ていないところで吐き出してしまおうかと思ったとき、タイミング悪く来客がきた。
「ハロルド・・・?」
 その声に、飛び上がるほどびっくりして、ハロルドの吐気はどこかへ飛んで行った。
「マエストロ・・・お疲れ様。どうしたの?」
 慌てて取り繕うが、頭からは血の気が引いており、くらっときた。
「おつ・・・大丈夫か?顔色悪いぞ」
「ああ、うん。大丈夫・・・だ、けど」
 眩暈がして全然大丈夫ではない。ハロルドは立ち上がった椅子にもう一度腰を下ろし、チカチカする視界に目をしばたいた。
「・・・初陣だったんだ。それで、ちょっとショックが・・・。情けないよね〜」
 あははと笑って誤魔化すが、心配そうに近付いてきたサカキは、神妙な面持ちで首を振った。
「無理しない方がいい。戦いで人を殺さなきゃいけないのも、人の上に立つのも、大変なことだ」
 相変わらずとつとつとした調子だが、シェーヌにいる間に公国語に慣れたのか、サカキはすすんでハロルドの国の言葉を話した。
「具合悪かったら、横になっていた方がいい。マルコに言って来るよ」
「あ、いや・・・待って!」
 立ち止まったサカキに、ハロルドは情けなくふらつきながらも追いつき、自分より小柄な傭兵隊長にすがりついた。
「一緒に・・・このままで」
 驚いたように強張っているサカキの体を抱きしめ、ハロルドは自分がなにをしているのか、軽く混乱した。たくさんの感情が時化た海のようにうねって跳ね回って、自分自身に翻弄されているハロルドが、たったひとつ、まだ自主的にコントロールしているものがあるとすれば、それは腕の中にいる人に対する想いだけだ。
「ハロ・・・」
「言いたい・・・ことが、あるんだ」
 こんな時に何をやっているんだと言う理性と、いまでなくちゃいけないと叫ぶ本能が、ハロルドの疲労した頭の中でせめぎあったが、すぐに本能が勝った。
 腕の中で身じろいだサカキを見ると、恥かしそうにもじもじとうつむいている。
「わかった。だけど、あの・・・俺、臭いから、ちょっと離れて・・・」
 そう言われてみれば、数日風呂に入っていないし、この運動量である。臭って当たり前だ。
「離れたら、俺倒れるよ」
「な・・・それもだめだ」
 どうしようかと悩んで唸るサカキが可愛くて、ハロルドはもう一度、ぎゅっと抱きしめた。
「なっ!だから、だめだってば!」
「いいんだよ。俺サカキが好きだから。平気」
「そ・・・」
 ぶるっと身震いして縮こまるサカキが、口の中でブツブツ言っている。
「なぁに?」
「・・・・・・す、好きって・・・その・・・」
 真っ赤になっているところを見ると、ちゃんとハロルドが想っていることを受け取ってくれたようだ。
「うん。好きなんだ。一生、そばにいて欲しい」
 潤んだ琥珀色の目を大きく見開き、サカキが見上げてくる。
「あの、でも・・・」
「なにが、でも?サカキは、俺じゃいや?」
 ぶんぶんと首を横に振るから、緑色の癖毛がつむじの先からぴょんぴょんと跳ねる。
「それなら、おおむね問題ないんじゃないかな。だからね、ひとつだけ、お願いがあるんだ」
「な、んだ・・・?」
 ハロルドは、声が裏返ったサカキの頭を優しく撫でた。
「俺はサカキが大事なんだ。だから、そのサカキを軽々しく扱わないで。・・・誰かのために、命を投げ出さないで」
 命の重さと儚さを知ったハロルドは、震えているサカキをしっかりと抱きしめて囁いた。
「愛してる」