エニシ −11−


 サカキ以下ダン・ソルシエール傭兵団は、シェーヌの野戦病院から直接戦場へ復帰する公国兵を伴いながら、ヴェリテの平原へ向かっていた。その途上。
 初夏の風が、爽やかさよりも湿気をはらんで吹くようになった。一行を休憩させている間、サカキは群生していた強い香りのする野生植物を、ざくざくと刈っていた。
 細い葉、薄青の小さな花・・・ローズマリーだ。
「マエストロ、斥候が帰ってきました。この丘を越えれば、ヴェリテの平原に入ります。ハロルドさまのものらしき、公国軍の影も見えるそうです」
「そうか」
 コラーゼの報告を聞いて、なんとか日暮れ前には合流できそうだと、サカキは安堵の吐息と一緒に腰を伸ばした。
「ハロルドさまの部隊に入れてもらえるなんて、よかったですね。どうせ戦うなら、のびのびとやりたいですし」
 戦う相手が元味方なのに、まったくこだわりがなさそうなコラーゼに、サカキはどっさりと収穫したローズマリーを抱えたまま、小さく苦笑した。
「いい方だな」
「ハロルドさまですか?そりゃもう。うちのむさい連中にも大人気ですよ。若くて明るくて親切で可愛いって」
「かわ・・・」
 最後のは男に対する褒め言葉なのか、サカキは首をかしげた。たしかに、ハロルドはおおらかで、屈託ない笑顔が素敵だとサカキも思うが・・・。
「まさか、恩人を・・・公子をそういう対象にしようなんて奴はいないだろうな」
 軍隊のような事情で男ばかりが詰め込まれると、時折処理先が、近くにいる小柄な同性に向くことがある。同意の上でならまだいいが、なまじ腕っ節があると強姦になりかねない。ハロルドは上背があって、なかなかしっかりした体格をしているが・・・。
 どんどん眉間のしわが険しくなるサカキを、コラーゼはクスクスと笑った。
「ありえないですよ。マエストロの嫁ぎ先候補を襲うなんて」
「そ・・・は?」
 なにやら耳を疑うような単語を聞いた気がする。
「・・・不敬罪で首をはねられるぞ」
「そうですか?ハロルドさまは、あんなにわかりやすくマエストロが好きだーって雰囲気だしているのに」
「コラーゼ・・・」
 目を据わらせて低い声を出すサカキに、コラーゼは「はいはい」と軽薄に頷き、ローズマリーが詰まった麻袋を抱え上げた。
「でも、あんまり鈍感だと、ハロルド様がかわいそうですよ。俺がもらっちゃおうかなぁ・・・」
「コラーゼッ!!」
 怒鳴り声からすたこらと逃げていくコラーゼの後姿から、サカキはうつむき、腕の中の強い香りを胸いっぱいに吸い込むと、よく晴れた空を見上げた。
「そんなこと・・・」
 胸の奥にある扉の向こうで、柔らかく甘い香りの嵐が音を立てているのを感じる。嬉しい、嬉しい・・・だけど、どうしてこんなに、涙が出そうなほど胸が痛い。
「・・・・・・」
「マエストロ!おいてっちゃいますよぅ!!」
「ぁ、いま行く!」
 サカキはナイフをしまい、ひとつ深呼吸をしてから、付き合いの長い副官を追いかけた。

 公国軍が支給した軍装の、ボタン留めに、剣帯に、グローブのベルトに。青白い小さな花をつけた茎を、一人一本ずつ、どこかに挿した集団は、興味の視線の中でも統率の取れた動きで、軍勢の一部に収まった。
 『我々は倒れた場所が墓場となる身になった。ゆえに、私は諸君の健闘を称え、献花するものである』
 その演説をぜひ聴きたかったとハロルドは思う反面、サカキは聞かせたくなかったのだろうとも思った。
 自分の死を恐れていないサカキだ。むしろ、自分の命ひとつで多くを購えるのならば、ぽんと差し出す覚悟がある。それを知っているからこそ、彼の部下は各々が誇りを持って剣を振るうのだろう。自分たちの隊長が年下であることなど、少しも不満に思っていない。
 出迎えに馬をとばしたハロルドでさえ、彼らの荘厳さに、一瞬躊躇ったほどだ。だが、一通り真面目な顔で到着を報告すると、サカキは少し頬を赤らめ、「役に立てるようにがんばります」と小さな声で言った。
 どうすれば、この強くて可憐な野生花を守れるのか。それだけが、戦場に出る恐怖を除けば、ハロルドの一大懸案だった。
「あのメグとやりやって倒れなかったマエストロですよ?ハロルドさまは戦場では、ご自分の身だけ守っていればよろしいです」
 マルコにきっぱりはっきり言われて、ハロルドは若干凹む。たしかに、剣術はあまり真面目にやった記憶がないが・・・。
「それよりも、まずはアルフレドさまの軍に合流できるよう考える事です。そのあとで、マエストロたちを偏見から守る方法を考えるのです。剣を使った戦いは、そのあとでよろしい!」
 人形のように整ったマルコの綺麗な顔で迫られると、ハロルドは頷くことしかできない。実際、彼の言うことは正しい。
 アルフレドというのは、ハロルドの一番上の兄だ。帝国を追い返すために揃えられた、今回の大軍を統べる大将なのだが・・・若干視野が狭く、融通が利かない。繊細で厳しい次兄のアンリなどに言わせれば、「迷信深くて偏屈で頑固な原理主義者」なのだそうだ。もっとも、彼に言わせれば、ハロルドは「野暮でとろくさくてへらへらした事なかれ主義者」らしい。いちいち当たっていてすごいなぁと思うのだが、それを言うとマルコに呆れられ、サンダルフォンには笑われる。
 とにもかくにも、ハロルドはいま、大公の命令でヴェルサス参謀長が指示したように行軍中である。ここまでは脱落者も無く、順調に来たのだが、少し行った先の森林に、帝国の部隊が駐留しているらしい。規模はそれほど大きくないが、こちらは大量の物資を輸送中で戦うには不向きだし、かといって無視すれば、後ろから追撃される可能性が高い。どうするべきか・・・。
「失礼します。ダン・ソルシエール傭兵団サカキ、参上しました」
 筋骨逞しい軍人たちの中では、細身で小柄ともいえそうな影が、背筋をぴんと伸ばし、ややかすれた低い声と共に、ハロルドのテントに入ってきた。
「いらっしゃい、マエストロ。ヴェルサス参謀長からの個人的な一言を聞くついでに、ちょっと知恵を貸してくれないかな」
「なんでしょう?」
 地図を広げたテーブルの周りには、ハロルドとマルコのほかに、三人の騎士がいる。誰もが騎士としてたしかな力量があり、騎兵を率いて戦うことができる。だが、輸送隊を抱えたまま敵を欺いて行軍できるかといえば、そこまでの悪知恵はでてこない。
「参謀長は傭兵団に、我々の常識に囚われない方法で敵をかく乱し、かつ会戦で華々しい戦果を上げること、を期待しているそうだよ」
 少し困った風に微笑むハロルドに、サカキも口元に苦笑を浮かべて頷いた。
「善処します。それで、ついでのほうは?」
 ハロルドから帝国語で現状を説明してもらうと、サカキは地図を見つめたまま、二、三質疑応答し、ごく自然に作戦を立てた。
「・・・どうでしょう?作るのはハリボテでいいんです。廃材とかがあれば、そちらを使った方が経済的ですし、雰囲気出ると思います」
 ぽかんと口を開けたままになっている騎士たちにむかって、小さく首をかしげるサカキの仕草が可愛いなどとは、ハロルドは思っていても、この場では口にできない。
「参謀長が期待するほど、斬新なものではありませんが・・・これなら、壊滅させられるんじゃないかと」
「しかし、誰がこれを・・・」
 騎士の一人が言いさして、その答えの明白さに、片手でつるりと顔を撫でた。
「なるほど。やるからには、全員で、ですね。素晴らしい」
「はい。全員で戦い、戦果は全員のものです」
 硝子細工がきらめくような声で賛同を表すマルコに、サカキは頷き、真っ直ぐにハロルドを見た。
 サカキの案は、ハロルドもいいと思う。地形的に問題なく、風向きも安定している。配置は適材適所。なにより、大所帯の輸送隊を抱えながら、遊軍がほとんどいない。全員で汗を流して得る勝利ほど、結束をたしかにするものはないだろう。だが・・・。
「傭兵団の負担が大きいようだが・・・」
「我々は金で雇われた兵です。能力を買われた以上、それに応えるのが義務であります。そうでないと詐欺でしょう」
 む、とサカキが心外そうに顔をしかめると、年齢以上に若く見え、その「詐欺」という言葉に、マルコや騎士たちが思わず微笑む。味方に裏切られた傷など感じさせず、新たな信頼関係を築こうとする真摯な姿勢と、命を金で売る逞しさよ。
「わかった、マエストロの案でいこう。ただし、連絡を怠らず、危険だと思ったらすぐに手を引くと約束してくれ。・・・俺は、マエストロたちが使い捨てだなんて思っていない」
 ハロルドが見つめ返すと、頬を染めた赤味が目の縁まで広がり、澄んだ琥珀色が光を受けて、ふわりと揺らいだ。
「ありがとう、ハロルド」
 どうしてこんなに儚げな微笑を浮かべるのか・・・。ハロルドは作戦実行を決定したことが正しかったのか、少し不安になった。