エニシ −7−


 遺体を燃やした煙を見上げながら、サカキは悄然と立ち尽くしていた。
 ここまで一緒に来た部下が死んでも、運び込まれてきた公国の兵士が死んでも、同じように冥福を祈ってきた。それは今も変わらない。だが、サカキの心には、いままでいなかった人影が入り込んでいた。
(ハロルド・・・)
 なんとか部下たちを帝国に帰し、公国にも利益が出るよう考えた方法が、頼りにしていた公子の一言で一蹴されてしまった。

―メグが言うから来たのに・・・。がっかりだ!

 怒らせるつもりなんて無かったし、どこが彼の怒りに触れたのかもよくわからない。
 あのあと、病室を出て行ったハロルドを追いかけようとしたが、見回りの衛生兵に連れ戻され、翌朝にはハロルドたちは首都に帰ってしまい、結局謝罪することもできなかった。
 前線で世話になった女騎士の厚意も無にしてしまったようだし、これからどうすればよいのか、サカキは途方にくれた。
 傷の具合は徐々に良くなってきたが、元気のないサカキの姿に、兵士たちも心配そうな視線を向けてくる。部下の生命を預かる隊長として、こんなことじゃいけない、もっと気をしっかり持たねばと思うのだが、一度途切れた緊張感は、なかなか元の水準まで戻ってくれなかった。
 公国の兵士たちに聞くと、この戦争の防衛指揮は大公が直接取っているようで、まもなく一番上の公子を総大将とした大軍が、国境にたどり着くだろうと・・・。
 軍事を含めた政に関与している、長兄や次兄に関してはそれなりに人となりや噂を聞けたが、末弟のハロルドに関しては、あまり詳しい話は聞けなかった。上の兄弟に比べて若かったし、結婚もしていない。外交よりは内政、特に商工業の振興や芸術保護に興味があるようで、軍人からは縁遠い人のようだ・・・という情報すら、ユーインから聞いたのだ。
 ユーインは相変わらずクロムの尻を追いかけ、手伝わされたり口説いたりすげなくされたり抱きしめて殴られたりしている。実に逞しくて平和で、サカキはいい風景だと思う。男同士だからって、別に気にならない。・・・クロムが男にしては美人だから、そう思うのかもしれないが。
「よっ、マエストロ。なにしてんの?」
 クロムに追い払われてきたらしいユーインが、親しげにサカキのとなりに並んだ。ユーインはいつも明るくて、人当たりがよくて、国籍も身分も関係なく親切だ。特にクロムには親切なのだが、それは置いておく。サカキは同盟国の王子から目をそらせ、首を振った。
「なにも・・・」
「どうしたの。元気ないじゃん」
「・・・・・・」
 行く当てがなくなって不安なのもそうだが、なによりサカキの元気を奪っているのは、青紫色の目をした人を失望させことだ。大きく茂った菩提樹の木陰に腰を下ろし、サカキは膝を抱えた。
「ハロルドさまを、怒らせてしまって・・・」
「はぁ?」
 ハロルドがシェーヌへ来たのは、もう一週間も前のことだ。ユーインが呆れるのも無理はない。
「待て待て、どうやってあのハロを怒らせられるんだ?そっちの方を聞きたいよ」
 ハロルドの隣に腰を下ろしたユーインに、サカキは自分の疑問を解いてもらうことにした。
「・・・で、俺は病室に連れ戻されるし、謝れなくて・・・。あの方法なら、公国にも利益があるし、できるだけ迷惑をかけたくなくて・・・でも、がっかりだって言われて。なにがいけなかったのかな?もっといい方法を考えなきゃいけなかったのかな?」
 サカキが隣を見ると、ユーインが遠くを見ながら、あーとかうーとか唸っている。
「たぶん・・・根本的に、目的が違うんだよ」
「目的・・・?」
 サカキが聞き返すと、ユーインは苦笑いを浮かべた。
「ハロルドは、マエストロを助けたかったんだと思うよ?」
「俺・・・を?」
 意味がよくわからなくて、サカキは首をかしげた。ハロルドにしたら、サカキは敵国の人間だし、騎兵を従えられる士官だ。一応帝室の血も入っているし、利用するというならわかるが・・・。
 まったく理解が追いついていないサカキを、ユーインは鷹揚に笑い飛ばした。
「なぁ、マエストロ。うちの国に来ないか?みんなまとめて面倒見てやるよ」
「え・・・」
「亡命だよ。神聖コーダ帝国とは同盟関係にあるし、帝国語もけっこう通じるから、普通に生活もできるだろう。まぁ、三百人分の旅費は、ハロルドに出させるけどな」
 サカキは目を丸くして、ニヤニヤと笑うユーインを見つめた。
「亡命・・・考えたこともなかった」
 部下たちを帝国に、故郷に帰すことばかりを考えていたが、帝国内で自分たちがどういうことにされているかわからないし、もしかしたら、帰るのは最善ではないかもしれない。
「生きているのがばれるとやばいって言うなら、マエストロ一人ぐらい匿えるさ。それに、怪我人の看護っていう大義名分ができるし・・・」
 ユーインの本当の目的が知れて、サカキの緊張が一瞬で抜けた。
「クロムさんを連れて行く・・・俺たちをダシに使う気か!」
「悪いか!」
 開き直って胸を張るユーインに、サカキは思わず口元を緩めた。
「いや、いい考えだと思う」
「そうだろう」
 悪戯っぽく笑うユーインにつられて立ち上がり、サカキは久しぶりに心が軽くなった気がした。これから部下たちに説明したり説得したりしなければならないが・・・。
「ユーイン!・・・マエストロ!!」
 いないはずの人の声に呼ばれ、サカキはびっくりした。病棟の角を回って、全速力で走ってくる、あの柔らかそうな茶色の髪は・・・。
「あれ・・・ハロ、また来たのか。ちょうどいいや。マエストロたちをうちの国に亡命させる話を・・・」
 息を弾ませ、赤くなっていたハロルドの顔が、みるみるうちに色を失って行く。
「ダメだ!マエストロたちはうちに亡命するの!!もう書類だってそろえたんだからな!」
 むぎゅっとハロルドに抱きしめられ、サカキは混乱したまま、ハロルドの早い鼓動を聞いた。
「なにぃっ!?ハロ、俺がクロムと帰るための計画をおじゃんにする気かよ!」
「なんだそれ、知るか!!」
 自分を挟んで交わされる言い争いを、サカキは呆然と聞いていたが、しっかりと体を拘束する温もりに、次第に頬が熱くなっていった。
「あの・・・」
「「うちに来るよな!?」」
 敵国の公子と同盟国の王子に言い寄られ、まかり間違えば帝政の一翼を担ったかもしれない生まれのサカキは、混乱を通り越して冷静になってしまった。
「ちょっと、落ち着いてくれ」
 頭痛がしそうで額を押さえながら、サカキはどうしたものかとため息をついた。

 どちらの国に行くかで条件が違うので議論になったが、亡命すること自体には、意外にも反対する者はいなかった。というのも、帝国に戻るにはサカキの命と引き換え、あるいは国に帰ってからも命の危険を覚悟する必要があると、先に説明されていたからだ。
 公国へは、サカキと一緒に。帝国と敵対し、前線で昔の味方と戦うだろうという条件。
 ユーインの故郷、オルキデア王国へは、一般市民として。同盟国であり、言葉も公国よりは通じるので、比較的生活しやすいだろう。ただし、いまのところないが、帝国にあわせて、グルナディエ公国と交戦状態になる場合もあるので、その覚悟はしておくべし。
 多くがサカキと共に公国へ亡命を希望したが、戦傷を負って戦うのが困難になった者、そもそも戦うことが得意ではない徴兵された市民、オルキデアに頼れるツテがある者などは、王国への亡命を希望した。
「ハロルドさま、ユーイン殿下、御礼の言いようもない」
「いいって、いいって」
 深々と頭を下げるサカキとコラーゼに、やっとクロムを伴って国に帰れそうなユーインは、非常に機嫌がいい。
「亡命しても・・・いや、亡命したからこそ、心無い中傷を受けるかもしれない。それでも、あの・・・」
 いいにくそうに言葉を詰まらせるハロルドを、サカキは頬が熱くなるのを自覚しながら見上げた。
「お任せします。・・・助けてくれて、ありがとう」
 サカキよりも顔を赤くしたハロルドの、ぱあっと明るい笑顔を見て、サカキはまた、心の奥の扉が音を立てるのを聞いた気がした。