エニシ −6−
自分のことはだいたい自分でできるが、それ以外は好き勝手にしてくれるハロルドのお付として、マルコは様々な雑事を片付けなくてはならない。
今回は主に、マエストロの部下たちの処遇に関することが、頭痛の種だ。ハロルドはマエストロ一人を連れて行けば満足だろうが、三百人近い捕虜をどうするべきか・・・。食わせるだけでも金がかかるのだ。 とりあえずコラーゼにリストを提出させ、現在の状況を把握する。馬や武器は取り上げてあるが、重症で安静を要する者を除いて、みな元気で気力も十分だ。全員マエストロに忠誠を誓っているが、裏切りにあった帝国には複雑な心境のようだ。そのかわり、公国の兵士達とは妙に仲がいい。根が陽気なのだろうか。 駐屯地司令官と病院長の話も総合すると、まったく無害で使いでのいい人足と言っていい。しかも元が頑健で戦闘経験があるので、護衛にもぴったりだ。 (解放してもいいんだけど・・・) さすがにマルコの一存では決められない。だが、首都にいる大公殿下や軍師殿たちに決められてしまう前に、なんとかハロルドの気に合うよう段取りを進めなくてはならなかった。 (それにしても、微妙な・・・) 今回は味方の裏切りという特殊ないきさつがあり、解放するにも駆け引きが必要だ。それには現時点で情報が少なすぎる。できれば、帝国本土に潜り込んで、情報を集めたいが・・・。 唸るマルコの歩調に合わせて、クラスターがゆったりとその隣を歩いている。普段ならハロルドの足元にいるだろうが、昼間のひどい匂いがまだ気になるらしい。 「マルコ!」 突然呼ばれ、マルコは慌てて書類から顔を上げた。廊下の向こうから、ハロルドが走ってくる。 「マルコ、マルコ!」 「どうしました・・・?」 大きな青紫色の目を潤ませ、顔を赤くしたハロルドは、珍しく腹を立てているようだ。 「あいつ、どうにかしよう!」 「あいつ・・・?」 「マエストロだよ!!もう・・・信じられない!!」 「ハロルド様。少し、落ち着いてください」 クラスターがくしゅんと鼻を鳴らしているのも気付かないハロルドを、マルコは頭痛の種が増えないよう祈りながら、用意された客室に案内した。 「それで、なにがあったんですか?」 綺麗な水があればいいところを、わざわざ茶をいれ、マルコはむくれているハロルドの向かいに座った。 「・・・自分を処刑しろってさ」 むすっと呟いたハロルドに、マルコは軽く目を見張った。 「マエストロが、そう言ったんですか・・・?」 「うん。最期の言葉として『帝国は魔女の呪いを受けるだろう』と発表すれば、帝国に帰った部下たちが迫害されることもないだろうって。・・・全員を、無事に故郷へ帰してやってくれって」 またハロルドの目にじわりと雫が盛り上がり、マルコは目をそらせた。 マエストロの望みなら、ハロルド以外の兄たちでも叶えてやれるだろう。むしろ、帝国内部を混乱させるために、喜んでやるに違いない。 「俺が来た意味、ないじゃん・・・」 ハロルドの震えた声に、マルコは嘆息した。 「・・・そんなに、マエストロがお気に召したんですか?」 「・・・うん・・・」 マルコもハロルドの気持ちはわからなくはない。コラーゼをはじめとするマエストロの部下も、公国の兵士たちも、マエストロの純粋さと芯の強さに魅かれている。彼の力になりたいと思ってしまうのだ。 それなのに殺してくれと言われたら、誰だって己の無力さに打ちひしがれるだろう。 しょんぼりとうなだれるハロルドに、マルコはコラーゼから聞いた話を伝えた。 「戦場で、メグはマエストロと一騎打ちになったそうですが、マエストロはメグを殺そうとしませんでした。女性を殺生しないという誓いを立てているそうですが・・・理由があるらしく」 「理由?」 騎士の立てる誓いに、無条件に女性を優遇する内容があるのは一般的だ。むしろ、わざわざ理由がある方が珍しい。 「マエストロが生まれたとき、母親が体を壊して亡くなっています。マエストロは、自分が母を殺したのだと信じているようなんです」 「そんな・・・」 出産に危険が伴うのは当たり前だ。生まれてくる赤ん坊に、なんの責任があるというのだ。 「幼少期は、親戚筋に当たる魔女の血族の間を、転々としていたようです。十五のときに、長老衆の一人の下で修行していたそうですが、その人が亡くなって、騎士団に入ったようです。それまで先帝の庇護はありませんでしたが、一応士官としての教育を受けられたようです」 やり逃げした父親に文句を言えるようになった頃には、相手はよぼよぼの老人になっていたというわけだ。 「詳しいね」 「コラーゼの母君が、マエストロの母君の友人だったそうです。幼馴染というほどではありませんが、それなりの付き合いが昔からあったそうですよ」 「なるほど」 「それで・・・」 マルコは言いかけて口の渇きを感じ、カップを傾けると、やや言いにくいことを、できるだけ簡潔にまとめようと頭を働かせた。 「強姦だったそうです。マエストロは古い血族たちにとって、魔女の血を汚されて生まれてきた子供です。マエストロは、幼い頃から自分が望まれて生まれてきたわけではないと知っていました。それで・・・せめて死ぬ意味だけは持ちたいと思っているかもしれないと、コラーゼが心配していました」 言葉も無くうなだれ、両手で顔を覆うハロルドに、マルコはかける言葉が無かった。 首都に戻り、ハロルドたちの知恵袋、サンダルフォンに報告すると、彼は面白そうに目を輝かせた。 「そう単純にはいかないのではないかな」 「と、言いますと?」 マルコは聞き返したが、凹んだままカウチに寝そべっているハロルドは、耳だけをこちらを向いている。 「むしろ、マエストロ殿たちを無傷で帝国に帰す。その方が、帝国内を混乱させられるはずだ」 帝国内では、マエストロの部隊のほうこそ、裏切り者扱いになっているだろう。そうサンダルフォンは言う。 「考えてもみたまえ。帝国の誰かは、マエストロが死んでくれたほうが嬉しいのだ。それが生きて戻ってきてみたまえ。憤死ものだ」 気位の高い帝国の貴族が、自分の思い通りに行かなくてヒステリーを起こしている姿を思い浮かべたのか、サンダルフォンはクスクスと笑う。 「部隊ごと殺されかけたのは、それだけ部下たちの忠誠心や結束が固いと知られているからだろう。帝国軍数十万の内の数百人とはいえ、その忠誠が皇帝ではなくマエストロ個人に向けられているのを、危険と思うのも無理はない」 たしかに、野戦病院で見たマエストロの影響力は、個人のカリスマはもとより、その心根のありよう、実行力により、ネズミ算式に広がっていた。 マエストロの部隊が、ただ陽気で無害な人間の集まりなのではない。無害だと思わせ、警戒を解かせ、自分たちに同化させてしまうのだ。これは公国にとっても、ある意味脅威だ。 「情報さえ揃えば、そのぐらい軍師殿も考えるだろう。送り返してしまえば、後は野となれ山となれ。帝国の中で、勝手に潰しあいや分裂に発展するのを眺めていればいい」 「でも、そうなったらサカキは・・・」 間違いなく渦中に叩き込まれ、圧倒的な物量差によって、誰のものともわからない肉片になるまで、粉々にひき潰されてしまうだろう。 涙目で唇を引き結んだハロルドに、サンダルフォンは優しい子を見守る眼差しで微笑んだ。 「ひとつ、方法が・・・。ただし、彼らが納得すればの話ですが」 サンダルフォンが示した案に、サカキは目から鱗が落ちるような気がした。 「そうか、その手があった!」 「ですが、マエストロの部下はもとより、大公殿下や兄君たちも説得せねばなりませんよ?」 その覚悟がおありか、と目で聞くサンダルフォンに、ハロルドは晴れやかな笑顔で頷いた。 「やってやる!マルコ、すぐに手続きの準備をしよう!それから、シェーヌの野戦病院にもつかいを出さないと・・・先を越されたら元も子もないよ!」 |