エニシ −5−
杖をつきながら歩くサカキにあわせ、ハロルドはゆっくり歩いた。
「ねぇ、さっきなに飲ませたの?」 サカキはきょとんと見上げてきたが、ハロルドが口の先に指を立てると、少し顔を赤らめてうつむいた。見られていると思わなかったのだろう。 「あ・・・これ・・・」 ごそごそとポーチから出したのは、薄い茶色の液体の入っているビン。たしかに、ハロルドが見たものだ。 「ローズマリーとセージを煮出したお茶に、少しだけハチ蜜を溶かしたものです。アヘンほどの効き目はないけど、少しでも気分が和らげばと思って・・・」 壊疽を起こした患者は、死を待つだけで、決定的な治療法がない。できるのは痛みを和らげることだけで、それにはケシの実の汁から作ったアヘンより効果的なものはない。しかし、常習性が高くなる上に、そもそも流通量が少なく、高価だった。 サカキはユーインに頼んで、街の人にハーブの生えている場所を教えてもらい、即席の薬湯を作ったのだ。効果は微々たるものだが、何もないよりはマシと考えたのだろう。本当は早く楽にしてやった方がいいのかもしれないが、サカキにはそれが忍びなかったのだ。 「それも魔女の知恵?」 「さぁ。・・・ただの民間療法でしょう」 明るく問うハロルドに、サカキは曖昧に微笑んだが、色のない、仮面のような形だけの笑顔だった。 サカキの病室に戻ろうとして、一行はその手前で衛生兵に呼び止められた。十床ものベッドが敷き詰められた大部屋から、個室に移されたというのだ。ハロルドたちが来たための配慮だろう。 ハロルドはちらりと大部屋をのぞいたが、帝国人と公国人が半々くらいだった。そして、みな不安そうにサカキの方を見ている。 「マエストロ・・・」 「マエストロ・・・」 「大丈夫だ。公国の人と話をしてくる。みなを国に帰してやれると思うから、安心してくれ」 入り口に近いベッドにいた帝国の兵士に、サカキはそう言って、穏やかに微笑を浮かべた。そして、公国の兵士達にも軽く会釈をすると、また杖をついて歩き始めた。 「もしかして、大部屋のみんなと仲良かった?戻すように言おうか?」 ハロルドはそう言ったが、サカキは首を横に振った。 「それには及びません」 サカキの兵士たちに対する態度と比べてそっけなくて、ハロルドは少し不満だ。繋いだ手が少し湿っぽくなってきているので、もしかしたら緊張しているのかもしれない。 案内された狭いながらも個室の病室には、ベッドの他にチェストや椅子などが用意されており、高級士官用と思われた。 サカキはコラーゼに手伝ってもらいながら、ポーチや上着を片付け、ベッドの上に座った。ところが、少し様子がおかしい。 「・・・マエストロ?」 コラーゼにもたれたまま、サカキの反応が無くなった。 「ちょっと、失礼します!」 クロムが駆け寄り、サカキの首筋などに手を当てている。 「・・・また熱が出ています。このまま、寝かせておいてあげてください」 自分のベッドにたどり着いて気が抜けたのか、眠ってしまったらしい。 「申し訳ありません。これからお話をすると言う時に・・・」 「いいよ、俺は暇人だし」 上官が公子を前に眠りこけてしまって恐縮するコラーゼに、ハロルドは気にするなと笑った。突貫で辺境近くまで遠乗りしてしまった、破天荒なハロルドの世話をしているマルコの視線は痛かったが。 「どのくらい悪いの?」 「左わき腹の背中側に刺し傷と、矢傷が二箇所、それから右足の捻挫です。幸い、刺された短剣の毒には持ち堪えましたが、傷が深くて・・・」 水を汲みに行ったクロムに代わって、愁眉を寄せるコラーゼが答えた。 「真面目で気取らない、いい方なのですが・・・。今回は、ご本人のあずかり知らぬところで誤解を受けたようです。我々を巻き込んだ事を、ひどく気にしていました」 サカキは若さに似合わぬ責務や心労も、全て一人で背負い込んでいるのだろう。青白い顔でぐったりと横たわったサカキが、ハロルドは可哀想になった。 (俺たちの前で寝ちゃうってことは、警戒はされてないんだな) 疲労が抜けていないのもあるだろうが、もしかしたら、メグがハロルドは信用できると言い含めてくれたのかもしれない。 汗で額に張り付いた緑色の髪をかきあげ、ハロルドは年下の敵将をじっと見つめた。 重い剣を振り回しながら、頭の中ではより良い薬を作ろうと、様々な薬草の組み合わせを考えている。敵に囲まれ、味方もおらず、助けを呼びたかったが、声が出ない。 (助けて、師匠・・・!) ずきりとわき腹の後ろ側が痛み、視界がぐるりと反転する。綺麗な青空が見えた。 (おちる・・・!) びくりと体を震わせ、思い切り目を開くと、薄闇に沈んだ、見慣れない天井が視界に入る。サカキは、詰まった呼吸をそろそろと吐き出した。 (夢か・・・) 全力疾走したかのように心臓が弾み、頭の後ろが鈍く痛んだが、じっとりとかいた寝汗が気持ち悪くて、一度起きなければならない。 ゆっくりと息を整え、傷に負担をかけないよう重心を移動させて・・・そばに人がいるのに気がついた。 (あ・・・) 柔らかそうなふさふさした茶色の髪、同じ色の長い睫、すらりとした鼻筋・・・精悍な顔立ちだが、おおらかで優しそうな雰囲気、厚手の布を使った上等な衣服。サイドチェストに水桶があり、枕のそばに手ぬぐいが落ちていた。 ベッドの端に突っ伏して寝ている男が、グルナディエ公国の第三公子だと気付き、サカキは血の気が引いた。要人の前で勝手に眠ってしまったらしい。しかも、そのお偉いさんに看病されていましたといわんばかりの状況だ。 (やばい!まずい!) 部屋の暗さから、すでに夜になっているのは間違いなく、サカキは少なくとも五時間は寝ていたことになる。寝汗とは違う嫌な汗が背中ににじむ。 「ぁ・・・」 「ぅん・・・?あぁ、おはよう。俺まで寝ちゃった」 ハロルドはふわぁとあくびをして目を擦ると、自然な動きでサカキの頭を撫でた。 「ん、熱は引いてきたかな。まだ具合悪い?」 サカキはびっくりして、なにからしゃべっていいのか、帝国語と公国語の欠片が頭の中でぐるぐると回るばかりで、舌が動かない。 そうこうしている内に、ハロルドはランプに火をつけ、すりガラスのほろをかぶせた。ぼんやりとした明かりが灯り、柔らかな香りが鼻をくすぐる。燃料は獣脂ではなく、高価な蜜蝋のろうそくのようだ。 「さめちゃったけど、夕食をもらってきてあるよ。食べられる?」 にこっと微笑まれ、サカキは混乱しながらも頷いた。 「はい。あの・・・すみません・・・」 「ほえ?」 ハロルドは食事のトレイに手を伸ばしたまま、きょとんと小首をかしげ、芋虫のようにもそもそと苦労して起き上がるサカキを見ている。 「勝手に寝ちゃって・・・」 「別にいいよ〜。具合悪い時は、寝るのが一番だって。だから、無理しちゃ駄目だよ?」 頭を抱えられるようにして撫でられて、サカキは赤面する。これでも一応、来年二十歳になるのだが・・・まるきり子ども扱いだ。ハロルドの方が年上なのはわかるが、かなり抵抗がある。 「あの・・・」 「ん?汗かいた?着替えが先だね」 ハロルドはタオルや新しい着替えをてきぱきと取り寄せ、服を脱いだサカキの体を拭っていく。公子の癖に、意外と世話上手でまめまめしい。 「うーん、包帯の取替えとかは、クロムさんたちに任せたほうがいいのかな。はい、これ着て」 下着まで丸々一式渡され、サカキはハロルドに背を向けて、できるだけ手早く着替えた。一介の捕虜に清潔な下着まで出されるなんて贅沢だとは思うが、ハロルド相手にそんなことを言っても無駄な気がした。 「あの・・・公子殿下・・・」 「ハロルドでいいよ。公子だと俺のほかに二人も兄上がいるし、殿下だと父上とごっちゃになるから」 あっけらかんとしたハロルドの態度に、サカキは冷めたスープをかき回しながら、やや居心地悪い思いをする。もう少し偉そうにしていてもらえると、こちらもそれなりに態度が決められるのだが・・・。 「ねぇ、サカキって呼んでいい?」 サカキはびくっと顔を上げ、青紫色の大きな目を見た。名前を呼ばれた時、背筋がぞくりと痺れ、刺された傷が熱く疼いた。ハロルドの声が、じんわりとサカキの心の奥に染み入ってくるようだ。 相手は敵国の優しい公子。いまは疲れているから、勘違いしてしまうだけ・・・。 「あの・・・ハロルド、さまに・・・お願いがあるんだけど・・・」 サカキは我が身の内に突然吹き荒れ始めた暖かい嵐を、唇をかんで厚い扉の向こうに押し込め、鍵をかけた。 |