エニシ −3−


 シェーヌの街のそばに作られた駐屯地には、他のところより大きな野戦病院があったが、それでも連日運び込まれてくる重傷者の看護に追い立てられ、軍医も衛生兵も忙しく働いていた。
 ある日そこへ、数百人からなる敵国の兵がやってきて度肝を抜かれたが、シェーヌが最前線になったわけではなく、首都へ行く捕虜たちだという。最初は双方にピリピリとした空気が漂っていたが、公国語も帝国標準語も話せる赤毛の若者が通訳に入ったとたんに、和やかな雰囲気に変わってしまった。
 帝国兵にも重傷者がおり、その手当てと回復のために立ち寄るべしと、名誉ある騎士のサインつきで紹介状を持っており、野戦病院側もやや戸惑いながらも受け入れた。
 帝国の捕虜達は、自分達で何でも片付け、身の回りをできるだけ清潔に保っていたし、忙しい公国の衛生兵たちに進んで手伝いを申し出るなど、実に勤勉で陽気な集団だった。どうして敵国の手伝いをするのかと問えば、自分達は帝国に裏切られた部隊であるからして、心配は無用との返事。自分たちの仲間も手当てしてくれて感謝していると、つたない片言の公国語で言われれば、逆に頬が熱くなる思いだった。
 相変わらず物資は満足になかったが、元気な人足が増えたおかげで、新しい病室を建てたり水路を整備したり、ベッドを作ったりするのが捗った。これには駐屯地の将校も苦笑せざるを得ず、食事だけで働いてくれる捕虜に、何かと便宜を図ってくれるようになっていた。

 若い衛生兵が、よく洗濯されて綺麗に乾いたシーツを取り込んでいる。物干し用の木杭に通された車輪が、輪になったロープを手繰れるようになっており、背の高いそこに脚立を立てた彼は、簡単に大量の洗濯物を取り込んで、お付の青年に投げ落としていた。
「うぷっ・・・クロム〜、腕が痛い〜。重いよ〜」
「手伝ってくれるなら文句言わないでください!すぐに終わりますから」
 洗濯されたシーツや白衣よりも白い髪をした衛生兵の青年が、シーツで埋もれているお付の青年をキッと睨む。その目は赤く、彼がアルビノであることをうかがわせた。
 クロムと呼ばれた衛生兵も片腕にシーツを盛り、身軽に脚立を降りると、今度はその脚立を空いた肩に担いだ。
「終わりました。行きますよ」
「はーい」
 いい返事で付いて行き、リネン室の作業台の上にシーツをどっさりと置くと、やっとお付の青年の顔が見えた。
「あー、重かった」
 アクアマリンの目をした、整った顔立ち。やや癖のある赤毛をその顔の右側に流している。年頃の青年らしい精悍さと柔和な雰囲気があいまって、場違いなほど垢抜けた感じが良家の子弟を思わせた。服装も、軍装や医療に携わる白衣ではない、上品で高価な仕立てだ。
「お疲れ様です、殿下」
「やだなぁ、ユーインって呼び捨てにしてよ」
「ナイフとフォークより重いものを持ったことがないような方にお手伝いいただき、恐縮です。ありがとうございます、大変助かりました」
 馴れ馴れしいユーインに対して、クロムはひたすらそっけない。慇懃な言葉遣いとは裏腹に、早くどこかに行ってくれと態度が刺々しい。
「たたむのも手伝うよ。二人でやれば早いでしょ?」
「・・・・・・」
 まったく堪えていないユーインのニコニコ笑顔に、クロムはがっくりとうなだれる。
 クロムもユーインが嫌いなわけではない。教養があって、明るくて優しいし、簡単な仕事も手伝ってくれる。どこがいけないのかと言えば、外国の王子様というのが、唯一にして最大の難点だ。本人は気さくなのだが、にじみ出る育ちの良さが、居心地悪くて仕方がない。
(俺、男なんだけどなぁ・・・)
 そう、困ったことに、ユーイン王子はただの衛生兵であるクロムに、並々ならぬご好意をお持ちでいらっしゃるそうだ。戦争が始まったのだから自分の国に帰ればいいのに、クロムを追いかけて、血と汗と泥にまみれた、消毒液と死の匂いがするこんなところまで来たのだ。クロムは嬉しい反面、ユーインのその根性の使いどころが、王子として間違っているように思われるのだが・・・。
「終わったー。休憩しよ、休憩」
 黙々とシーツをたたむ作業を続け、予想以上に早く片付いた。棚にたたんだシーツを積み上げるクロムに、ユーインの腕が絡んでくる。
「ちょっと、殿下・・・」
「がんばったご褒美、ちょうだい」
「んっ・・・!?」
 顎をとられて無理やり合わされた唇は、砂埃でざらついていたが、口の中を上手に舌で舐られて、クロムは腰と背中がぞくりとざわついた。
「はぁっ・・・ッ、ユーイン!」
「あはは。やっと名前で呼んでくれた」
 ぶんと振り上げたクロム腕を、ユーインは避けるでもなく、逆にクロムはぎゅっと抱きしめられた。
「ちょ・・・まだ仕事がある!」
「いいじゃん、ちょっとぐらい・・・」
 額や頬に、ちゅっちゅっと優しいキスが降ってきて、クロムは赤面する。ユーインのことは嫌いじゃないし、優しくされるのも嬉しいが、ここは流されちゃ駄目だと、理性が踏ん張る。
「あんまりわがまま言うと、お国に強制送還してもらいますよ」
「・・・意地悪」
 上目遣いをしながら、しょぼーんと肩を落とすユーインに、クロムはちょっとだけ同情した。どうして自分なんかを好きになったのだと・・・どうしてユーインが王子で、自分が庶民なのだろうと・・・。
「ほら、行きましょう。・・・夕食は、一緒に食べてあげますから」
「うんっ」
 再び笑顔になったユーインに、クロムは小さく微笑んだ。

 リネン室を出たクロムとユーインに、血相を変えた兵士が駆け寄ってきた。
「いた!いらっしゃった・・・、ユーイン様!!」
「なに?」
 ユーインを探し回っていたらしく息を切らせた兵士は、ぜぇはぁと息を整えながら、珍客が来たのを伝えた。
「ハロルド様が、お見えです」
 自分は関係ないと離れようとするクロムの手をつかみ、ユーインは王子らしく人当たりの良い笑顔を浮かべた。
「ははん、帝国の捕虜の話だな。病院の中に関しては、クロムのほうが詳しいからな。じゃ、行こうか」
 渋々付いてくるクロムの手を握ったまま、ユーインは兵士に案内されて院長室へと向かった。
 そこには、二人と一匹の客を前に、病院長と駐屯地の司令官とが、緊張の面持ちで揃っていた。
「よぅ、ハロ」
「ユーインまだいたのか。早く国へ帰れよ」
 ふわふわした明るい茶色の髪に、綺麗な青紫色の目をした青年が、このグルナディエ公国の第三公子だ。一緒にいるのは、プラチナブロンドの侍従長と、ペットの大きな黒い獣。
 ハロルドの言い草はひどいようで、友人の安否を気遣う情に溢れている。なにしろ、ユーインの祖国は、公国の敵になった帝国と同盟を結んでいるのだ。たくさんいる兄弟の下から数えた方が早くて、公国に遊学中のユーインだが、本来はすぐに帰るべきなのだ。
「クロムを置いて帰れるか!」
「連れて行けばいいだろう」
「この国で仕事するって言う頑固なクロムに、それが通じれば苦労していない」
「・・・そうだね」
 自分の国の公子に納得され、自分のせいでユーインがここにいるかのような雰囲気に、院長と司令官に見つめられるクロムは身の置き場がない。
「で、帝国の捕虜のことか?通訳するぞ」
「うん、頼むよ」
 ハロルドも多少帝国語がしゃべれるが、ユーインほどではない。
 そのときノックがして、さらに院長室の人数が増えた。ユーインの髪は真紅だが、もう少しピンクに近い赤毛の青年士官が、土木作業中だったらしい、やや薄汚れた格好で入ってきた。
「帝国士官、コラーゼであります」
 背筋がぴんと伸びた、実に軍人らしい姿勢だが、あまり目立つところのない柔和な顔立ちは、ユーインやハロルドと同年代と言っている。
「ハロルドだ。君が代表?」
「お目にかかれて光栄です、閣下。いえ、私は副官であります。部隊を指揮する私の上官は、ただいま療養中でして・・・」
 小首をかしげたハロルドの質問に、コラーゼは困ったような顔をする。いつもそうなのか、妙に様になっている。
「あぁ、そういえばメグの手紙に書いてあったな。じゃ、病室まで行こうか」
 腰を上げたハロルドに、院長や伝令に走る兵が慌てる。
「あの、いま探していますので・・・」
「探す・・・?」
 療養中の捕虜は病室にいるのではないのか、きょとんとしたその場に、はっとしたクロムの声が零れた。
「またマエストロさん抜け出したんですか・・・」
「また?」
 目を丸くするハロルドと、渋い表情の院長の両方に見つめられ、クロムはもじもじとうつむいた。その肩を、ユーインの温かい手が包む。
「クロム、どこにいるか知ってる?」
「・・・あの、はい。・・・たぶん、芳香の病室じゃないかと・・・」
 ぽつぽつと答えるクロムに、ああとユーインは視線を上にあげた。なるほど、あのマエストロの行きそうな場所だ。
「やっぱり病院の中を知っているクロムが一緒に来てくれて、よかったよ。ハロたちを案内してくれる?」
 ユーインは砂埃にまみれても綺麗な白銀の髪にキスをすると、真っ赤になって小さく頷くクロムの肩を抱き、優雅に礼をして院長室を出た。