エニシ −2−
うららかな春の日差しが、心地よく眠気を誘う昼下がり。
グルナディエ公国第三公子は、繊細な竪琴の音に耳をくすぐらせながら、自室のカウチソファに寝そべっていた。外はいい天気だが、いまは気心の知れた人間以外と話す気にはなれなかった。 「ねぇ、サンダルフォン。どうして帝国は戦争しかけてきたの?」 ハロルドは自分の家庭教師兼話し相手に、ごく簡単に質問したが、相手はその言葉どおり単純な人間だとは思ってくれない。 「ハロルド殿のお考えは?」 竪琴を爪弾く指は止めないまま、男でも見惚れるような美貌の吟遊詩人が、にこりと微笑み返してくる。 「それがわからないから、聞いているんじゃない。うちを征服するって言うならまだわかるけど、ちょっとずつ領地を削るなんて、利益薄いもん」 むしろ、百害あって一利なしと言える。グルナディエ公国はエクラ王国と同盟しており、公国に手を出すということは、強大なエクラ王国を敵に回すということだ。いくら神聖コーダ帝国が強くても、エクラ王国と泥沼の消耗戦をしたいとは思わないはずだ。 「二年前に帝国が代替わりして、カルロ帝になりましたね?」 家庭教師の言葉に、ハロルドは頷く。 「彼が遊び好きだった先帝と違って、もっと粗野で野心のある人間だとしたら?」 「たったそれだけ?」 「軍事力という一人には過ぎた権力を手に入れたとき、その玩具で遊びたくなるものですよ」 ハロルドは公子らしく、十代のうちにたいがいの遊びをやりつくしたが、戦争ごとにはまったく興味が湧かなかった。他人のものを奪ったり壊したりするより、自分で街を作ったり、誰かが作った芸術を鑑賞したり方が楽しいと思うのだ。 目を丸くしているハロルドを、サンダルフォンはクスクスと笑う。 「少し付け足しましょう。現在、我らの宗主国であるエクラ王国は、北海の五カ国連合とにらみ合い中です。わが国はわが国だけで、目の前の脅威を排除しなくてはいけないでしょう」 「なるほど〜」 「そういうわけで、大公殿下や兄君たちは、お忙しくしていらっしゃるのですよ」 あなたと違って、と言外に言う家庭教師だが、ハロルドは気にしない。暇で大いに結構。自分まで駆り出されたら、それこそ祖国存亡の危機ということだ。 「平和が一番だよ〜」 「ハロルド殿は、社会的な人間として、実に健全であらせられる」 「・・・サンダルフォンに言われると、なんか馬鹿にされたような気がするんだよなぁ」 「とんでもない」 クスクスと笑うサンダルフォンは、絶対にハロルドを玩具にして遊んでいる。そうハロルドは確信しているが、自分よりたくさんのものを知っているサンダルフォンに遊ばれるのは、けっこう楽しかった。 風光明媚で穏やかな気候のグルナディエ公国にあって、城内の一角に構えられたハロルドの部屋は、熱帯島国風に統一されていた。 竹や藤や木の皮で編まれた家具が涼しげで、夏は特に快適だ。部屋の隅には、本物の大木まで持ち込まれ、まるで外から床板を突き破って枝が伸ばされているように見える。その木の枝の上で何かが動いたが、葉の代わりに吊るされた紗が作る影でよく見えなかった。 「失礼します」 軽いノックのあとで扉が開き、サンダルフォンに負けないほど美しい顔立ちの騎士が現れた。 「なーにー、マルコ?」 ハロルドの侍従長で、誉れ高い 「ハロルド様とサンダルフォンにご相談が。前線に行ったメグが、珍しい捕虜をもてあましていると・・・」 「珍しい?」 メグはれっきとした貴族の出だが、女だてらにマルコと同じアルエットヴェール勲章を持っており、たたき上げの兵士に劣らない剣技の持ち主だ。ただ、令嬢とはいえ身分は一騎士でしかなく、他のぼんくら貴族と喧嘩になったときなど、よく弁護に駆り出される。・・・たいてい、相手を半殺しにしたあとなので、少し困りものなのだが。 ハロルドが書面を開くと、十日ほど前におこった戦闘で得た捕虜に関して、保護を求めている内容だった。 戦闘中に暗殺未遂がおき、メグがその現場を目撃している。メグははじめ、帝位継承に絡むほど身分が高い人物かと思ったのだが、それどころではない曰く付きの家柄だったそうだ。 当人は押しの強いメグにも呆れられるほど「しっかりた」根性があり、ハロルドの庇護に値すると太鼓判を押されている。横柄で高慢なタイプでも、計算高く陰湿なタイプでもないようだ。 また、部下がよく統率されており、降伏したものの落ち着きがあり、敵地の只中にもかかわらず士気が落ちていない。さらに、歩兵の一人にいたるまで快癒を望まれている。よくよく慕われている人物のようだ。 「回復の目処が立ち、受け答え明晰にて、首都への護送に耐えうると判断。本国でも立場微妙なる人物に思われるため、保護を希う・・・ふーん、メグがもてあますってことは、かなりまともな人ってことだよね」 褒めているのかいないのか微妙なことを、ハロルドは言い、手紙を回されたサンダルフォンも頷いた。 「そのようです。・・・ふむ、魔女の血族か!たしかに珍しい。コーダ帝国の伝承にまでさかのぼる古い血を受け継いでいる上に、先帝の落胤とは・・・」 二年前に死んだ先帝が、庶民ながら帝室よりも古い歴史を持つ家系の娘に生ませた、隠し子らしい。 「隠し子でも、皇帝の実子なら、帝位継承権があるのではありませんか?」 マルコが小首を傾げて、もっともな疑問を口にしたが、サンダルフォンは首を横に振った。 「ところが、魔女の血族には、けっして俗世の権力を手にしてはいけない掟があるのだよ。だが、法律として明文化されているわけでもない・・・。つまり、この人物には、『慣例上、帝位継承権はない』ことになる」 「ややこしい立場な人だね」 一応統治者の家族であるハロルドも顔をしかめ、その問題のデリケートさに唸る。 「たしかに、兄上たちなら、都合のいいように扱うだろうな。活かすのも、殺すのも」 ハロルドは肌触りのよいクッションを抱えながら、体を左右に揺らした。信仰心の厚い長兄は、他国の魔女と聞いただけで毛嫌いするだろう。何事にもシビアな次兄は、戦争を有利にするために政治利用しようとするに決まっている。父の大公は残酷な人ではないが、先帝の血を引いていると知れば、一番有効な使い方を考え、実行するのに躊躇いはないだろう。 その結果、捕虜として地下牢にぶち込まれるか、処刑されて晒し首になるか、まぁ、五分五分といったところか。 ハロルドは戦争を仕掛けてくるような帝国の人間は嫌いだが、見方によっては身分が高いくせに危険な最前線に立つ勇敢さが好ましいし、暗殺を計画されるほど危険視される原因のひとつが、部下に絶大な忠誠を寄せられているほどの統率力にあるのではないかとも思う。 「まぁ、メグが言うくらいなら、話のわかる人なんだろうな。会いにいくよ。サンダルフォン、後任せた」 「かしこまりました」 「え、会いにいくって・・・」 サンダルフォンは手紙をまとめ、恭しく礼をするが、マルコはびっくりして、席を立ったハロルドを追いかけた。 「これからですか!?」 「そうだよ」 立ち止まって振り向いたハロルドのそばに、光沢のある黒い大きな影が、重量のわりには静かに落ちてきた。 「やぁ、クラスター。お前もいくか?」 インテリアの大木の上から降りてきたのは、エクラ王国の植民地から贈られて来た、黒豹という生き物だ。見た目は大きな猫に似ていて、しなやかで強靭な筋肉に覆われている。実際、後ろ足で立たれると成人男性のハロルドよりも大きい。性格も気まぐれで荒く、慣れるまでにずいぶんかかった。 「マルコ、馬と、旅の荷物は往復一週間分くらいあればいいかな。用意よろしく」 「は・・・かしこまりました」 往復一週間ということは、少なくとも片道は野宿してでもカッ飛ばすと言うことで、やや頭痛がしなくもない侍従長は、急いで支度に取り掛かりに行った。 「久しぶりに遠出に連れて行ってやれるぞ。クラスターを怖がらない人だといいな?」 長い尻尾を優雅かつ嬉しそうに振る獣に、ハロルドはニッコリと微笑みかけた。 |