オーロラの妖精 −11−


 北の果てにあるゼータールでは、夏の日の出はかなり早く、日の入りはとても遅い。だからと言って、時計の針が早くなったり遅くなったりするはずもなく、十分に窓の外が明るくなった頃に、国王は優雅に朝食の席に着いた。
 そこにはノエルの姿もクロムの姿もなく、澄ました顔のユーインだけがいた。
「おはようございます、陛下」
「おはよう、ユーイン王子。昨夜はよく眠れたようでなによりだ。お連れの朝食には、ノエルに持って行かせたものと同じものをお届けしよう」
 ユーインは軽く目を見張ったが、すぐに人当たりの良い笑顔を浮かべた。
「おそれいります」
「なに、おかげでこちらも勢いがついた。・・・少々やりすぎたがな」
 ノエルを抱きつぶしたオーランの勢いが、ユーインの勢いとどの程度違うのかはわからないが、双方のパートナーが姿を見せていない時点で大差はないだろう。
「・・・俺たちの部屋を覗いたんですか?」
「ノエルがな。夜食を誘いに行かせたのだが、『取り込み中だった』と報告を受けた」
 目が泳いだユーインに、オーランは友情の証として約束を付け加えた。
「クロムには内緒にしておく。ノエルにも、そう言っておこう」
「オネガイシマス」
 ユーインの弱点らしきものをつかんだオーランは、ますます機嫌よく、イワシのマリネを黒パンに乗せてパクついた。
「ところで、どうせ歳も大して違わんのだし、オーランと名前で呼んでくれ。そなたらがそう呼べば、ノエルも堅苦しい呼び方から解放されるだろう」
「わかりました。では、俺のことも敬称略でお願いします。どうせ実家になんかほとんど帰らない、根無し草なんで」
「了解した。なかなか歳の近い者と砕けた会話をする機会がなくてな」
 憮然とするオーランに、ユーインもうなずく。
「グルナディエ公国第三公子のハロルドは、俺と同い年ですし、話の分かるやつですよ。街作りとか産業の振興が好きなんで、オーランと気が合うかもしれない。ただ、あいつの兄さんたちは堅物で神経質なので、付き合いには注意が必要です」
「ふむ、よいことを聞いた。では、こちらも友人の紹介をしよう。ユーインはこの春、ベリョーザ帝国に滞在したそうだが、あそこのイーヴァルは生意気盛りで活きのいい人間が好物でね。感情的になって気に入られると、まともなままでは宮殿から出られん。どうしても付き合わねばならないときは、落ち着いて政治の話に終始しておけばよい。奴は知性を感じる会話や、高度な政治センスに対しては敬意を払う」
 イーヴァルとの交友方法はオーランの虎の巻だが、その内容は甚だ難事であり、しかも運に左右されやすいことも否めない。案の定、ユーインも嫌そうに顔をゆがめている。
「・・・それ以外は危険だと?」
「俺でもイーヴァルの心の琴線とやらは計り知れん。だが、好きなことは、なんとなくわかる。イーヴァルは人の痛がるところを、正確についてくるからな。性格が悪いことは確かだ。たまたま奴が『オーランを苛めても面白くない』と判断したおかげで、俺はこうして国王をやっていられるのだ」
「・・・当分、ベリョーザには近づかないことにしておこうかな」
 クロムを害されそうになっただけで、数名の憲兵をヴァルハラに送った勇者は、自分の気性をもよく知悉しているらしく、若干青ざめた顔で唸った。
「ユーインは実に賢明だ」
 オーランは、素直なユーインを快く思った。無謀な危険を冒し、守るべき時に力を振るわない人間に、民を守護する資格などないのだから。
「ついでだ。ユーインの父君と兄君たちの中で、話のわかる人間を教えてくれ。外交の実権を握っているのは、何番目の兄君だったかな。あぁ、礼は・・・そうだな、昨日の夕食で出たゼータール酒だが、クロムにずいぶん気に入ってもらえたようだな。国内でも希少な逸品なのだが・・・」
 ユーインの口がオーランの予想よりも軽くなったので、オーランはますますこの赤毛の友人を気に入った。この男は、国益を損ないさえしなければ、身内の情報などクロムの笑顔と天秤にもかけられないのだろう。・・・ことによっては、国益すらも度外視しそうだが。
 できれば、イーヴァル帝の玩具にはさせたくないものだ。オーランは、タイプの違う友人たちが相食むことのないよう、ヴァルハラにおわす神々に願った。

 正式にジョート族の駐在大使として王宮に職場を確保したノエルが落ち着くまで、ユーインとクロムはリクダンで過ごした。港には北海を中心とした各地の交易品があふれ、同時に情報も容易に手に入る。
 王宮の中に職場を構えたノエルは、たくさんの本と新品の文房具に目を輝かせた。
「そうだ、爺様に手紙を書かなくちゃ」
 ノエルの故郷への思いが、クロムのそれと少し似通ってきたのは、きっと本人が変わったからではないだろう。
 王宮の料理人の苦心の一品、干しタラと野ウサギの肉を混ぜて肉団子にしたクリームスープを、ノエルが食べられるようになったのを機に、ユーインとクロムは、木の実で香りづけされたゼータール酒や蜂蜜酒を抱えて、厳しくも神秘的な自然に愛された北国を後にするのだった。
「次は、どこへ行きます?」
 オーランとノエルに見送られ、リクダンから出発した客船の甲板で、クロムは潮風になぶられる髪を押さえながら問うた。
「そうだなぁ・・・できれば、長い船旅や三日以上の野宿がない地域かなぁ」
「陸続きというと・・・またベリョーザへもど・・・」
「あ、そっちはダメ!」
「はぁ・・・?」
 あまりに真剣な顔でユーインが却下するので、クロムはくすりと笑った。そこへ、淡い影が通り過ぎる。
「あ、レイヴンですよ」
「ひえぇ・・・不吉な・・・」
 カモメに混じって、空高く翼を広げる漆黒の翼が、陽光をオーロラのような輝きに弾き返していた。