貴方にあげたいチョコレート


 二月十四日、バレンタインデー。
 世の中の女子がチョコレートに思いを込め、気になるあの人へ、大好きなあなたへと、胸を高鳴らせ、頬を染めるのに忙しい日。
 しかし、クレメンス公爵家跡取りの首席秘書官であるかなえは、パトリックの執務室にある自分のデスクに腰を落ち着け、仕事に忙殺されていた。
「サー・ビューマン殿のご息女、キャサリン嬢。ポスフォード商会会長ウォルト殿のご息女、エマ嬢・・・」
 大きな箱に山積みにされたチョコレートや手紙を、リストと照合しながら細かく分け、主人と相手の社会的立場や今後の効果を熟考したうえで、お返しのランクを決めていく。もちろん、最後はパトリックの確認と承認があるのだが、本人は毎年たいして注意を払わず、ほとんどかなえ任せにされている。
「失礼いたします。チョコレートをお持ちしました」
「はい。そこへ置いておいてくださいな」
 パトリックの執務室の扉があき、またチョコレートがパンパンに詰め込まれた大きな木箱が、衛兵が押す台車に乗って運び込まれてきた。そして、かなえのデスクのそばに、台車ごと安置される。内容物が大量に重ねられるものではないから、一つ一つの木箱は高さがないものの、それが五つも六つも積み上がっており、結局かなえの視線より高くなっている。
「こちらがリストです」
「ご苦労様。下がってください」
「はっ」
 衛兵が退出し、未仕分け分が増えたチョコレートの山を眺めて、かなえは首を回した。すぐそこのデスクにパトリックがいるために、大きなため息は付けないが、さすがに肩が凝った。もっとも、かなえがため息をついたとて、いまのパトリックには聞こえていないだろうが。
「おいーっす!かなえちゃーん、美味しいチョコレート頂戴っ!」
 衛兵がチョコレートを運んでいるのを見つけたのだろう。黒髪にキャラメル色の目をしたチェイサーが、勢いよく扉を開けて入ってきた。
「まだお館様のご裁可が下っておりませぬ」
「あぁーいいよー、ビクトール。かなえが分け終わったやつから処分よろしく」
「アイアイサー!」
 まったくやる気のない声を出したパトリックに困りながらも、かなえはとりあえず最下ランクの箱をビクトールに渡してやった。
「うっひょー。どれもこれもア・ヤ・シ・ゲ!はぁん?ベッケル子爵のとこって、女の子いたっけ?」
「おりませぬ」
「だよねー!」
 年頃の婦人がいないはずの家紋が施された包みを乱暴に破り、ビクトールは中身のミルクチョコレートをぽいぽいと口に放り込んだ。
「んー、んまっ。毒は入っていないねー。小間使いのお姉ちゃんからかなー」
「子爵ご本人からかもしれませんよ」
「ぶっほっ。俺、さすがに爺さんは好みじゃないなぁ」
 どっかりとソファに腰を落ち着け、ビクトールは包装紙を撒き散らかしながら、チョコレートを消費し始めた。
 それを横目に、かなえはリストとチョコレートとの格闘に戻ったが、食欲旺盛なビクトールが次々とチョコレートの箱を潰していくのを、パトリックは自分のデスクからぼんやりと眺めていた。
 どうも色彩が足りない、とパトリックは心の中で首をかしげた。いつもなら、ビクトールの向かい側で、同じようにチョコレートを処理する担当がいるのだが・・・。
「あれ、シヴァは?・・・あぁ、そういえば、新しい頭装備が出るんだったか」
 愛しい婚約者のために、不眠不休でチョコルチを大量虐殺しているのであろうホワイトスミスを思い出し、パトリックは秀麗な顔を小さくゆがませて微笑んだ。
「んー、それは終わったみたいっすよ。ただ、最初に食べるチョコがジャンヌのじゃないとダメなんだって。あいつ女付き合いも真面目だよなー」
 あまり家庭的なことが得意ではなさそうなハイウィザードが、一生懸命にチョコレートを作っている微笑ましい姿が思い浮かび、パトリックの笑顔をさらに柔らかくさせたが、なんとなく眼差しの温度は低い。
「リア充爆発しろ」
「坊ちゃん、男の嫉妬は醜いぞー」
「・・・だってさー・・・」
 パトリックらしくもなく、うじうじとデスクに突っ伏しているのは、実は毎年のことなので、まわりはあまり気にしない。
 パトリックは、まだ二十代の半ばを過ぎたところ。政治の世界では若造もいいところだが、社交界では今が旬である。家柄は最高級、文武両道に優れ、母親譲りの美貌は瑞々しく、穏やかな物腰と優雅で知的な話術、華々しい武勲はいくらでも出てくる・・・。当然のことながら、女性からのアプローチは引きも切らないし、浮いた話も今までに一度もなかったわけではない。もっとも、結婚を安売りできる身分ではないし、花嫁候補は親が選別している。しかしなにより、パトリック自身に、まだその気がないのだ。
「ホモで近親で身分違いで片思いって、なかなかの四重苦だよな」
「ビクトール殿、口を慎まれよ」
「いいよいいよ、だいたい本当のことだからさ・・・。あーっ、もう!なんであにうえはわたしと遊んでくれないのですかぁっ!?」
 じたばたと足をばたつかせ、デスクを拳で叩くパトリックに、もごもごとチョコレートをかみ砕きながら、ビクトールは憐みの眼差しを投げかけた。
「・・・まぁた坊ちゃんが幼児返りした」
「そっとしておいてさしあげて・・・」
「なぁに?今年も遊びましょーの誘いを断られたんだろ?」
「・・・・・・」
 事実なので、かなえは口をつぐんだ。
 パトリックは、実際そういう意味で半分血のつながった兄を好いているわけではないのだが、どうも幼児期の環境やら体験やらから、ひたすら冒険者のクラスターを慕ってやまないのだ。どちらかというと、敬愛する人にかまってもらいたいだけであり、兄弟で男女のようなアレコレをしたいわけではない。あくまで、家族愛、兄弟愛に飢えているだけだ。
 幼いころは両親によって隔たれ、成長してからは立場によって隔たれてしまっている。このなかなか満たしがたい欲求が解消されない限り、パトリックの目が真摯に女性に向くことはないだろうし、時折兄を求めて幼児返りする男が相手では女性も困るだろう。
 パトリックは今年こそは、わずらわしい高貴な女性たちからのチョコレート攻勢から逃れて、クラスターに自作のチョコレートを食べてもらいたかったのだが・・・。
「攻城戦の新システム実装・・・はむっ、むぐむぐ・・・タイミング悪かったよなぁ」
「ええ、本当に」
 大手のGvギルドのマスターであるクラスターが、本戦では力不足な後進たちを、トレーニングエディションに投入することは当然の流れだ。その調整やら実戦でのデーター収集などに加え、本来の攻城戦もこなすわけだから、もしクラスターにその気があったとしても、パトリックと優雅にお茶をする時間などない。
「しかし、あの人も毎回ちゃんと返事くれるし・・・案外律儀っつーか、礼儀正しい人だよな」
「あにうえはちゃんとしてるもん!案外ってなんだよ!」
「はいはい」
 幼児返りして大きな声を出しても、パトリックはクラスターの弁護を怠らない。相手には敬遠されているのに、どこまでも一途なあたりは筋金入りと言っていいかもしれない。
「うぅ〜っ、今年のチョコタルトは去年よりも上手にできたのにぃ・・・っ!」
「毎年腕が上がっているのは、いいことじゃないすか?そのうち、シャルル・オルレアン級になれますぜ」
「イヤミいうなよ!!これ以上得意なことが増えたって、あにうえに見てもらえないんじゃ意味ないの!ヤダヤダヤダヤダヤダーッ!!」
 秀麗な顔を赤くしてギャンギャン騒ぐパトリックは、握りしめてくしゃくしゃになった紙を、力任せに引き裂いた。
「Gvはしかたないよ、あにうえが大好きなことだから!でも、ベル家がなんだっていうの!?あんな高慢ちきが服を着ている鼻持ちならないおっさんなんか、どーだっていいんですっ!勝手に滅びろ、バカーッ!!わたしはそんなことよりも、あにうえとお会いした・・・ぃきゃぁぁぁーっ!!!?あにうえからのお手紙だったのにぃっ!!」
 無残に引き裂かれ、ぼろぼろの紙屑になったのは、パトリック宛てに出されたクラスターからの手紙だったらしい。パトリックは頬に紅涙を伝わせながら、おろおろと破片を拾い集めだした。
「ベル家?」
「なんでも、ご息女が家宝のコロネットを投げ捨てて、冒険者と駆け落ちしたそうです。王家から下賜されたコロネットは行方不明で、ご当主はたいそう困っているそうですよ」
「ハァン。坊ちゃんの誘いを断るついでに、恩を売ってやれる相手を教えてくれたわけか。・・・ほんと、イイ兄ちゃんだよな」
 シリアルチョコの粒を口に放り込んで一噛みし、ビクトールは顔をしかめて、包装紙に吐き出した。
「うえー、毒味チョコ一個目〜。はい、かなえちゃん」
「ご苦労様です」
 口を漱ぐために立ち上がったビクトールから、食べかけのチョコレートの小箱を受け取ったかなえは、リストに目を走らせ、該当する欄に印をつけた。
「ぅ・・・かなえ、お手紙、ひっぐ・・・修理、できる人・・・呼んで」
「かしこまりました。すぐに手配いたします」
 職人のリストとパトリックのためのお茶を用意するべく、かなえは立ち上がった。ぐしぐしと目を擦るパトリックのデスクの上には、パズルのようになった手紙の破片が広げられている。
 かなえはお茶と一緒に、遊戯用のトレイを用意し、紙片がなくならないよう、パトリックのデスクに差し出した。
「ありがと・・・」
「きっと、綺麗に直ります」
「うん」
 それからしばらくパトリックは静かになり、熱心に手紙のしわをのばしたり、破片の組み合わせを試行錯誤したりする作業に没頭していた。
 その間も、かなえとビクトールによるチョコレートの処理作業は進んでいく。すべての作業が終わるのは、例年だいたい一週間後である。ちなみに、パトリックの口に入るチョコレートは、全体の一パーセントにも満たない。ごく限られたご婦人からの、出自が明らかで、さらに毒見の済んだものを、一欠片ずつ、という具合だ。
 たったそれだけで、次に相手に会った時に、どういうチョコレートだったのかすぐに思い出せるあたり、パトリックの非凡なところと言わざるを得ない。まったく、得意なことはいろいろあるのだが、いまのところ、それが最愛の義兄へ発揮する機会を得られないままであり、パトリック自身は宝の持ち腐れと感じているようだ。
「よし、できた」
 トレイから顔を上げたパトリックから出てきたのは、理性的ないつもの声であり、一時的な幼児返りから立ち直ったようだ。
「おめでとうございます、お館様」
「んん。坊ちゃん、おつかれさまー」
 部下たちからの祝辞や労りに、パトリックは恥ずかしそうに微笑んだ。
「やれやれ、我ながら短慮なことをしたものだ。かなえ、修理の人は?」
「遣いは出しましたので、先方の都合が合えば、明日か明後日にでも」
「うん、遅くなりそうな時だけ報告してくれ」
「かしこまりました」
 パトリックは深く椅子に座り直し、丁寧に再構築された手紙を眺めた。
 武断で鳴る義兄であり、その字も決して流麗な美しさは持っていなかったが、一字一字が大きく、線も太い、堂々とした書き筋だ。いくら実家から離れ、パトリックとも深くかかわるのを避けようとしていても、こうして肉筆の手紙をよこしてくれる、優しい兄だ。
 パトリックは、自作のチョコタルトの包み紙を破き、自分の口に放り込んだ。香り高いチョコレートは程よい軟らかさで、タルト生地のサクサクとした食感と混ざり、ほのかな酒の香りと豊かな甘みが、口いっぱいに広がっていく。
「んー、美味しいなぁ」
「坊ちゃん、あとで俺らにも頂戴」
「いいよー」
 その後、ジャンヌのチョコレートを失敗作ごと食べ終わったシヴァが、ビクトールの作業を手伝いに来た。
 今年も義兄にチョコレートを直接食べさせられなかったと嘆くパトリックに、「そういうのをブラコンというのだろ?」と最近覚えたらしい俗語を言い放って、その場をナチュラルにフロストノヴァさせた後、「俺は弟からのチョコレートなど、怖くて毒見なしでは食えん。何が入っているやら・・・」ととどめを撃ち、ビクトールを抱腹絶倒させ、もう一度パトリックを幼児返りさせた。
 パトリックがようやく理性を取り戻したのは、かなえ作の甘いチョコレートプリンを食べ終わってからだった。