甘い愛情の形


 プロンテラ郊外のはらっぱで、てちてちと歩いていくチョコルチを見かけ、ラダファムは素晴らしい瞬発力で肉薄すると、肉球クラブを一振り。
「よっと」
 ぺしょんとチョコルチが消え、落ちたのはカカオ豆が二つ。
「あー・・・チョコもらえっかな」
 転生前や、夜の街で厳つい男をひっかけては遊んでいた頃は、たいして気にしていなかった。まわりはみんな男であるし、甘い物が苦手な人間も少なくなかった。バレンタインにチョコレートを行き交わしていたのは、甘味好きか、乙女思考かの、たいていどちらかだった。ちなみに、ラダファムはチョコレートに関しては好きでも嫌いでもない。自分で食べることもあるが、自分以上にお菓子好きがまわりにいたので、たいていあげてしまっていた。
 いまでも夜の街に顔を出せば、可憐な容姿を餌にチョコレートの一つや二つ貰えるだろうが、現在ラダファムがもらえるかどうか気にしているのは、友人のオーラン宅に居候しているノエルからのものだ。節分の豆まきでは、悪乗りしすぎてチョコにしてあげないとカカオ豆をぶつけられたし、若干、心穏やかではいられない。
「お、そうだ。俺からあげればいいんじゃね?」
 もしバレンタインのチョコがもらえなくても、ホワイトデーのお返しは貰えるだろう。そう思い直すと、ラダファムはチョコレートの材料をそろえるべく、勇んでチョコルチ退治に出かけるのだった。


 プロンテラのバレンタインイベント会場は、盛大なにぎわいに満ちていた。その中でも、チョコレート作成コーナーは、チョコレートの甘い香りが溢れ、男女問わず盛況のようだ。
「うぅ〜っ」
 手をチョコレートだらけにしたラダファムの前にあるのは、焦げ茶色の物体。失敗して塊になってしまったチョコレートだ。ハート型の手作りチョコを作りたいのだが、まずカカオ豆を基本のチョコレートにするところからして、失敗の連続であった。
「チィ・・・」
「慰めてくれるのか」
「呆れているんだ。不器用すぎるだろ」
 チョコレート作りの指導をしてくれるチョコルチとネイドにも、匙を投げかけられている。こころなしか、ラダファムが被っているデビルチ帽も、へにゃっているように見える。
「くっそぉ・・・!」
「ラダファムか?なにやってんだ?」
 不意に掛けられたのは、ハスキーな響きをした低い声で、ラダファムは頬を膨らませた。
「チョコ作ってんだよ。あと、俺のことはファムたんと呼べって言ってんだろ」
 ラダファムが振り向くと、一見不機嫌そうに見える薬屋、クリエイターのサカキが立っていた。ラダファムとサカキはホモの古馴染みだが、サカキの方は彼氏ができて、らぶらぶ街道驀進中である。
「まだそんなこと言ってんのか。歳考えろ」
「俺は永遠の十六歳だ。サカキこそ、こんなところで油売ってていいのか?今年も予約でいっぱいだろう?」
 この薬屋がバレンタインに、ちょっと大胆な気分になれる大人のチョコレートを、予約限定販売していることは、仲間内では結構有名だ。
「予約分は作り終わった。あとは私用だ」
「かーっ!らぶらぶだな、オイ。どうせ彼氏からもチョコもらうんだろ?」
「今年はフォンダンショコラを作ってくれるらしい」
「おー、あついあつい」
 ラダファムの冷やかしにも動じず、サカキは手慣れた様子でチョコレートを作っていく。調理器具はもとより、そこらじゅうがチョコまみれになるラダファムとはえらい違いだ。
「・・・上手いな」
「基本だろ。ファムは力加減ができてないんじゃないか?」
「う〜っ」
 ラダファムは悔しさにぷくぅっと頬を振らませるが、拗ねていても始まらない。カプラ倉庫からもう一度材料を引っ張り出し、作業台に積み上げた。
「あれ、サカキさん」
「柾心か。そっちもチョコ作りか?」
「うん。真澄くんとシノちゃんにあげようと思って」
 ラダファムがカカオ豆の山からひょいと覗くと、見上げるように立派な体格の修羅がいた。長い黒髪を後ろで束ね、優しそうな雰囲気や爽やかな笑顔が好もしいが、そのギルドエンブレムがすべてを裏切っている。対人ギルド「Blader」のメンバーだ。
 柾心の体は戦うための肉のつき方をしており、発散される気も、若い剽悍さを除けば、実によく練られた密度の濃いものだ。しかも、必要とあれば、いつでもその気配を消し、物音ひとつ立てずに行動できるはずだ。
「おぉー。さすが、鍛えてんなぁ」
「ファムもさっさと転職すればいいだろ」
「やだよ。可愛い装備が似合わなくなるだろ」
 いくら転生職とはいえ、見た目は子供なのに、Bladerではマスターぐらいしかタメ口をきけないサカキに対し、こんなにもフランクに接するラダファムを不思議に思ったのか、柾心が首をかしげた。
「お友達ですか?」
「ああ。こいつこう見えて俺とた・・・」
「よっけいなこと言うんじゃねーよ、サカキッ!俺は永遠の十六歳だっ!」
「・・・だそうだ。転職さえすれば、柾心と同職だ」
「へぇ。柾心です、よろしく」
「ラダファムだ。ファムたんと呼んでくれ」
 転職すれば圧倒的な強さを手に入れられるにもかかわらず、アコライトハイのままでいるラダファムに、柾心はにこやかに会釈した。
 だが、かえって真意の読めないその笑顔が、ラダファムに柾心の本性をうっすらと感づかせた。まだまだ修行が足りんな、と思いつつも、自分が年寄りみたいな気がして指摘してやるつもりはない。それに、サカキの友人というだけで警戒に値するのか、見た目で判断せずに、少しも油断したり侮ったりしていないあたり、修羅の名に恥じない猛者だ。
「そういえば、BladerはTEに参加するのか?」
「うん。新しくギルド作ったり、少し前のセオリーを研修しなおしたり、メンバーの調整をしたり・・・チョコルチも倒したいのに、すっごい忙しいですよ〜」
 柾心はサカキに泣き言を言いつつも、笑顔は崩さずにチョコレートを作っている。いくつか失敗しつつも、ストロベリーチョコを次々と作っていく手際は、なかなかのものだ。ラダファムも真似してみようとするのだが、どうしてもチョコが塊や不格好なものになってしまう。
「うぎぎぎ・・・」
「・・・本当に不器用だな。分量とか温度とか間違っているんじゃないか?」
「カカオ豆を粉砕する力はあるんだし、他に混ぜる材料が少ないビターチョコ作ってみたらどうでしょうか?」
「おぉ、そうか!」
 ラダファムは大量のカカオ豆を力任せにすりつぶし、飛び抜けて腕が疲れるビターチョコを綺麗に完成させた。
「おぉおおおおおおお!!!」
「奇跡だな」
「おめでとうございます」
「さんきゅー!ナイスアドバイスだったぜ!んっ、ぇへん・・・ありがぁとおぉ〜っ!」
 ラダファムはしびれるような苦みのビターチョコを両手で持って、延髄の辺りから甘ったるい声音を響かせつつ、きらきらきゅるるんとサービス笑顔を振りまいたが、サカキは無言で顔をひきつらせ、柾心は逆に感心したように目を丸くした。
「よし、なんとなく要領はわかった!次はチョコタルトを作るぞ!」
「いきなり難易度を上げるな。ビターでいいだろ」
「こんなに苦くちゃノエルが食べられないだろー?」
「ノエル?年し、た・・・?の友達か?」
 サカキが戸惑いつつも年下と言ったのは、ラダファムの見た目を基準にしたものだろう。中身を基準にしたら、かなり幅広くなってしまう。
「そんな感じ。別のダチんとこに居候させてもらってる子。俺もホゴシャの一人」
「じゃあ、せめて手作りチョコにしておけ。無駄なチョコ塊が増えるだけだ」
「ぶー」
 自覚はあるので、今度は慎重にチョコレートを作ることにした。
「柾心ってさぁ、Bladerだろ?サカキが来るちょっと前・・・さっきまで、そこでチョコ作ってた兄さんも、Bladerのエンブレムしてたなぁ」
「へ〜、誰だろ?」
「デコ出しの金髪皿。楽しそうに作ってたし、やっぱ器用なんだなぁ。えれぇ綺麗なチョコを、大量に作ってたぞ?でかいギルドだし、いつもみんなに配ってんのかなぁ?」
「・・・・・・」
 一瞬動作が止まった柾心だったが、ラダファムが顔を上げたときには、かわいらしい箱にストロベリーチョコを詰め終っていた。その隣のサカキは、まだまだチョコレートを作っていくらしく、追加のカカオ豆とミルクを用意していた。
「金髪デコのソーサラーって、ヴェルサスじゃないか?その人、片目眼鏡してただろ?」
「あー・・・どうだったかな?たぶんしてたんじゃないかな」
「Bladerのサブマスだ。そりゃいろんなところに配るんだろ」
「なるほどなー」
 ソロ冒険者のラダファムにも、ギルドという組織の内外で人付き合いする大変さはわかるつもりだ。それも、サブマスという地位にいるのでは、あちこち気も使うだろう。ラダファムはうんうんとうなずきながら、チョコレートを型に流し込んだ。今回は上手くいきそうだ。
「じゃ、お先に〜」
「おう」
「おつ〜」
 柾心が大きな手に小箱を抱えて去るのを見送ったが、ふとサカキがその後ろ姿をもう一度見やった。
「なんだ?」
「いや・・・まぁ、なんでもない」
「なんだよ、気になるじゃねぇか」
 ラダファムがつつくと、サカキは首をかしげながら、小さくつぶやいた。
「箱が三つあったような気がしただけだ」
 なんだそれ、と今度はラダファムが首をかしげたが、サカキの険しくなった目付きに、自分の手元に視線を落とした。
「っだぁあああ!?また塊にぃいいい!!」
「・・・ハート型にするの、あきらめた方がいいんじゃないか?」
 呆れたようにサカキに言われ、ラダファムは、甘いチョコレートが涙と汗でしょっぱくなるんじゃないかと思い始めた。


 ゲフェンの町で、ノエルは肉球クラブを片手に、チョコルチを探していた。
「あっ・・・!」
 わさわさと大量発生したチョコルチに駆け寄り、ラダファムからもらった+8ダブルウルヴァリンスピリット肉球クラブを振り下ろそうとした瞬間、チョコルチたちはノエルの目の前で、ぱんぱんぱちんとすべて消えてしまった。一瞬の差で、遠くから射られた矢に先を越されてしまったようだ。
「あぁ・・・」
 慌ててあたりを見回すが、矢の主はすでにテレポートしてしまったらしく、カカオや調理器具など、チョコルチから落ちたチョコレート作りの材料が、石畳に散乱しているだけだ。
「チョコルチはいたかい?」
 背後からかけられた優しい声に、ノエルはふるふると首を横に振った。周囲の散乱具合と、ノエルのあまりにもしょんぼりした顔に、声の主・・・オーランは、事情を悟ったらしい。
「残念だったな」
「オーラン・・・」
 オーランはノエルの頭を撫で、膝をついて所有権がフリーになったカカオ豆を拾い集めた。
「そのうち、この熱狂も醒める。元気出せ。材料集めて、チョコ作るんだろう?」
「うん」
 ノエルはバレンタインデーに、ラダファムと、オーランと、それからいつもかまってくれるギルド「レゾナンス」のみんなに、手作りチョコをプレゼントしたかった。だが、百戦錬磨の冒険者たちに先を越され、なかなか自分でチョコルチを倒すことができず、材料集めは思うように進んでいなかった。
 チョコルチをたくさん倒すと、冒険者の新しい装備がもらえるらしく、オーランの家でもレゾナンスのメンバーが話していたが、こうしてノエルに付き合ってくれるオーランは、きっと手に入れられないだろう。そう思うと、ノエルは余計に悲しくなってしまった。
 なかなか明るさを取り戻さないノエルに、オーランは困ったように微笑みかけながらも、励ますように背中を撫でてくれた。
「これを拾い終わったら、少し休憩しに家に戻ろう」
「うん」
 忙しい冒険者たちがほったらかしにしていった大きなカカオを、ノエルは一生懸命に拾い集め、オーランと一緒に家に帰った。
 手洗いうがいをして、オーランが淹れてくれたココアを飲みながら、ほっと一息つく。温かくて甘いココアに、しょんぼりしていた気持ちが、少し緩んだような気がした。
「定期的に大量発生はしないが、郊外にもチョコルチたちはいるから、明日は弁当を持って町の外に行こうか」
「うん!」
 明日はオーランとピクニックだ、と少し笑顔が戻ったノエルは、しばらくあとで、ハート柄のケーキボックスを抱えて駆け込んでくるラダファムを迎えることになる。
 箱の中にあった『下段装備グランドクロス型チョコ』はオーランが全力で却下していたが、ラダファムの名前が入ったビターチョコは、少しずつ削ってココアに混ぜ、ちょっぴり大人な気分に浸るノエルであった。
「ありがとう、ファムたん!」
「おう!」
 ノエルが抱きついたラダファムは、デレデレと笑う顔や、手や法衣にチョコレートが飛び散っており、ノエルの胸の中を、甘いチョコレートの香りでいっぱいにしてくれた。