アコライトの石像 −3−                クラスター編

 親の仇か何かのように、気合の入ったヒール砲でアンデットを滅し続けるサンダルフォンを、クラスターはよく気力が持つもんだと、感心しながら眺めていた。
 しかし、すでに気の早い夕闇が迫っているであろう時間であり、そのことを相棒に告げる。
「戻るぞ」
 弾んだ息を落ち着かせながら、サンダルフォンはブルージェムストーンを取り出し、ワープポータルを発生させた。
 グラストヘイムの、湿って澱んだ空気も冷たかったが、首都の乾燥した空気も、汗ばんだ肌を凍えさせた。
 二人は屋敷に戻ってきたが、いまだにサカキからの連絡は無く、それがサンダルフォンをいらだたせているのはわかっている。
 重苦しい沈黙が続いたが、二人が汗と死臭を洗い流し、屋敷の各所に明かりを灯しはじめたころ、クラスターはやっと、サンダルフォンの喜色に満ちたガッツポーズを見ることが出来た。
 サカキからのwisを受け取ったサンダルフォンとともに、クラスターはその部屋に足を踏み入れ、息を呑んだ。
 耐え難いほど濃密な、精液と汗、そして血の匂い。
 夕闇に沈んだ室内の明かりをつける。ベッドの上に、上着を肩に羽織っただけのサカキが座っており、その傍らには、ぐったりと四肢を投げ出した少年が横たわっている。情事の痕が、白い肌に散っていた。
「マルコ・・・!」
 サンダルフォンにゆすり起こされ、ぼんやりと目を開け、しなやかに体を起こしたマルコの変わり様には驚いた。はっとするほど瑞々しい、生気に富んだ気配。柔らかな室内灯の光を受けて輝く、澄んだ青い目、血色の良い頬と唇。
「あ・・・」
「もう平気だろう?」
 振り仰いだマルコを抱き寄せたサカキが、まるで人目をはばからずに、恋人にするようにキスをした。
「は・・・ぁ、はい」
 たしかに、このひどい匂いの中にあって、マルコは正気のままだ。・・・つい先刻まではどうだったのか、想像もしたくないが。
「ま、定期的にヌかなきゃいかんだろうが、慣れれば一回の症状も軽くなろう」
 アコライトの上着をマルコにかけてやると、サカキはひらひらと手を振った。「さっさと行け」の合図に、戸惑っていたサンダルフォンにクラスターは目配せした。
『すぐ戻る』
 頭の中に響いた声に、軽く頷いてみせた。
「あの・・・あ、ありがとう、ございます」
 法衣の前をしっかりとかき合せて頭を下げたマルコに、サカキは口元だけ微笑んで頷いた。
「マルコも良かったぞ。サンダルフォンがいいって言ったら、もう一回喰いたいぐらいだ。ほら、冷える前に体洗ってこい」
 顔を真っ赤にしてもう一度頭を下げると、マルコはサンダルフォンに抱きかかえられるように連れられて、足元をふらつかせながら部屋を出て行った。
 パタン、とドアが閉まると、反対側では男がベッドに突っ伏す音がした。
「貴様ほどやせ我慢をできる男を、はじめて見た」
「・・・そいつは、光栄だ」
 小さくかすれた声に、脂汗の浮いた額、蒼白といっていい顔色、痛みを堪える浅い呼吸。クラスターがアルケミストの上着を跳ね除けると、そこには無残な状態になった、背と肩と二の腕があった。
「アンティペインメントでも飲んでやったのか?それとも、デフォでインデュアをもっているのか?」
「・・・あんたは、女相手にそうするのか?」
「ふん。幸い、こんなじゃじゃ馬を相手にしたことはないな」
 血は大方乾いていたが、爪で引っかかれ、噛み付かれた歯型が無数に散っている。ふと視線をずらせば、クッションの間に隠すように忍ばせた、ずたずたになった左手が赤黒く腫れ上がり、じくじくと出血している。骨を噛み砕かれているのではなかろうか。
「まるで鞭打ちの刑をくらった罪人みたいだな。さすがに骨は見えんが、あちこち肉を削られているぞ」
 皮膚を引き破られたその上を、さらに爪を立てて掻き毟られるなど、想像を絶する痛みに違いない。なまくらな刃で、じわじわと削られているようなものだ。
「・・・・・・」
 歯型のついた力の入っていない右手が、なにかを取ろうと伸ばされる。その先を見て、クラスターはサカキの脱ぎ捨てられたベルトポーチに入っていた白ポーションを、栓を抜いてから手渡してやった。
「さんきゅ・・・」
 痛みを堪えて自分の背と左手にポーションを掛けているサカキを見ないふりをして、クラスターは窓を開けた。冷たい空気が入ってきたが、いい加減、この部屋にこもった匂いにはうんざりしていた。
 正直言って、正気の沙汰とは思えない。そもそも、それだけの苦痛に耐えながら勃起していられるものか。例え愛した女が相手だったとしても、クラスターにはそこまでしてやれる自信は無い。まして、初対面の、友人の血縁者と・・・。
 ことんという硬い音に振り向けば、ベッドから垂れ下がった手から離れた、空のポーション瓶が揺れている。とっさにサカキの首筋に脈を探ったが、疲れ果てて眠っただけのようだ。
「まったく・・・恐れ入る」
 クラスターは先に用意した別の客室まで運ぶために、汚れたシーツごとサカキを担ぎ上げた。
 ロードナイトに転職できていて良かったと、クラスターは密かに安堵した。錬金術師とはいえ、先陣を切って戦いをこなし、筋骨逞しい男を好んで抱く男には、それなりの体重があった。

 クラスターは、サンダルフォンがマルコを寝かしつけてやってくる前に、サカキの体の汚れを、あらかた拭ってやれたつもりだった。ところが、それが余計にひどい傷を目立たせたようで、サカキを見たサンダルフォンは、卒倒しそうなほど青ざめていた。
「もっとグロいのを見慣れているだろうが」
「それと、これとは・・・別だっ」
 サンダルフォンが、覚えたてのサンクチュアリを展開させたまま、全力でヒールをかけていくと、小さなうめきとともに、うつ伏せになった体が身じろいだ。
「サカキ、大丈夫か?」
「・・・左手が、痛い」
 深くえぐられたところを除いて、背や肩の傷は、すでに薄皮が張るほどに回復したが、出血は止まったものの、まだ左手はめちゃくちゃなままだ。
 サンダルフォンは慎重にその手を治療し、しばらく動かさないように添え木を当てて、包帯でしっかりと固定した。
「少し不便をかけるが、我慢してくれ。まだ、ひどく痛むか?」
「だいぶ、楽になった」
「そうか」
 仰向けに寝られるよう、背と肩の治療に集中しだしたサンダルフォンから、クラスターは壁に背を預けて立ったまま、相変わらず顔色の悪いサカキに視線を落とした。
「血管ブッちぎれて、よく失血死しなかったな」
「・・・貧血で・・・死にそうなほど、気分が悪い」
「そうでなけりゃ、人間じゃねぇ。だいたい、血で反応するからって、自分の左手食わす奴があるか。それじゃしばらく盾も持てまい?阿呆か」
「クラスター!」
 サンダルフォンの怒鳴り声は、その感情の半分もクラスターには向けられていない。視線をサカキの背に落としたまま、その手は震えている。
「私の・・・せいだ」
「あ?」
「すまない、サカキ。・・・わかっていたんだ。サカキなら、絶対にマルコを傷つけないだろうって。・・・本当に、かすり傷ひとつなくて・・・暴れただろうに、拘束痕も無くて・・・!」
「痣ならいっぱいつけたが・・・」
 ぼそぼそという怪我人の呟きに、サンダルフォンの冷静さの糸が切れた。
「それはキスマークだろうが!なんだあれ、脚とかにもあったぞ!それなのに、あそこが切れていないって、なんなんだお前は!?」
「いや・・・それは痛くてさすがに萎えるっていうか立ちきれないっていうか近年稀に見る生殺しだった・・・て、なに言ってんだ俺は?」
 頭に血が足りていないせいか、普段ならしゃべりそうも無いことまで、サカキはだらだらとこぼしている。
「つまり、俺はマゾじゃない」
「結論はそこか」
「だからだなぁ〜っ!!」
 ぐしゃっと包帯を握りつぶしながら、サンダルフォンが絶叫する。
「私がサカキを利用したんだ!サカキなら、マルコを助けてやれる。しかも、弱者の為なら自分が血を流すことも厭わない。必ず仕事をやり遂げる責任感がある。私は・・・自分が未熟で力及ばないからといって、安易に・・・安易にサカキに犠牲を求めた!私は・・・」
「サンダルフォン」
 サカキはごそごそと右腕だけで肘をつくと、青白いままの顔に手を当てた。
「耳鳴りがして、聞こえない。喉が渇いたし、水が欲しい」
「サカ・・・」
「俺は、サンダルフォンの期待と信頼に応えられたか?上首尾だったのなら、水を一杯くれ」
「・・・いま、持ってくる」
 サンダルフォンが踵を返して部屋を出て行くと、サカキはぼふりと枕の上に沈没した。
「意外とお人好しだったんだな」
「ふん、そんな事を言われたのは初めてだ」
 くぐもった声は、いつもの気難しい調子だ。
「やつは身分の低い妾の子でな。才能の割に不遇な環境で育った。誰とでも上手くやっていけるくせに、腹の底では誰も信用しちゃいない。・・・本気で誠意を返されると、混乱するんだ」
「なるほど。それで、あの子を助けたかったのか」
 クラスターがベッドを覗き込むと、枕に埋もれながらサカキの琥珀色の目が見上げてきた。
「マルコはあの症状が出てから、両親に・・・特に母親から忌まれ、蔑まれていたらしい。自分が悪い物だと思い込んで、それを封じるよう、ずっと努力していたようだ」
 クラスターの背にどっと冷や汗が流れたのを、サカキは見破っただろうか。視線を水平に戻したサカキは、そのまま目をつぶった。
「自分を助けたかったんだろう。誰にも助けてもらえなかった自分を重ねて・・・。誰にも必要とされていないなんて、誰も思いたくない」
「・・・そうだな」
 クラスターは再び背を壁に預け、目を伏せた。
 なぜ法衣を着たサンダルフォンに、ねじれた角と蝙蝠の翼と黒くて細長い尻尾が無いのか、それがクラスターには不思議でならない。
(サカキのことを言えんな)
 いずれ、何くれとなくマルコの身辺に気を配ってやる自分を予想できて、クラスターは自分の甘さや弱さをくしゃくしゃに丸めて、お人好しと書かれた脳内屑篭に放り込んだ。
 だが、悪くない。自分もマルコに示していくに違いない。自分は生まれてきてよかったのだと、そう思える、これからの人生を。