『昔話』
日暮れと共に健全な経済活動が終わると、ラクエンはネオンきらめく不夜城へと表情を変える。 奔放で自堕落な支配者は、「働かざる者遊ぶべからず」を領民に言い渡しており、逆に言えば、実に魔族らしからぬ、法に縛られた街でもあった。 「美食と歓楽の都市」という、表向きの顔しか知らない者が移住しようとすれば、都市条例という名の決まり事の多さにうんざりするのは間違いない。 だが、それもラクエンが指折りの「古都」であることを考えれば、魔族が首を傾げたくなるような些細な決まり事にも、古い歴史を知っている者ならば納得するだろう。 例えば、この飄々とした男のような・・・ 都市の熱気がビルに当たって生み出す上昇気流に身を任せ、葬儀屋は優雅な空中散歩を楽しんでいた。 普段は地上や地下を駆けずり回っていることが多いのだが、たまには夜風に吹かれて夜景観賞したくなる。 一ヶ月ぶりに美味い血液を補給できたので、若干ハイになっているのも否めない。何年生きていても、こればかりは吸血鬼の悲しい性か・・・。 「おや?」 飛ぶと言うより、滑空しながら通り過ぎたビルの上に人影を見つけ、葬儀屋はくるりと身体を反転させて、滑らかなビルの壁に垂直に立った。 そこは通称「城」と呼ばれるビル群の一角で、ラクエンの公的中枢であった。むろん、支配者たる微睡みの君主の居住区も含まれている。 カツカツと足音を立てるのは、一応の気遣いだ。ビルの外壁を登りきり、見ている方が重力の方向に混乱しそうなほど自然に、屋上へと足を乗せる。 やはり、見間違いではなかった。 「こんばんは」 しかし、身体を丸めて横たわったままのその人影は動かない。 「風邪引くよ?」 「ぅん・・・葬儀屋さん?」 むくりと頭だけ動かした細身の若者の声が、寝起きにしては奇妙に濡れていた。 「どうした?怖い夢でも見たか?」 「・・・うん」 目を擦って起き上がったその寝台は、さして広くない。ビルの屋上と言うより、尖塔の足掛かりとでも言うようなスペースで、少し下を覗き込めば、目のくらむような高さに身がこわばる。寝返りでも打とうものなら、簡単に地上へ叩きつけられるだろう。 「こんな高い所で寝ていて、よくちびらないな」 「葬儀屋さんは、棺桶でないと寝ないの?」 「場合による」 そのちびりそうな高さをものともせず、黒衣の葬儀屋は年下の支配者の隣へくると、ジャケットを脱いでむき出しの細い肩にかけてやった。 「ほら、そんな格好でいると寒いだろう」 「ありがと」 いくら年中暖かいラクエンでも、高層ビルの上で当たる夜風は冷たい。両腕両脚はもちろん、背も腹も大胆に露出させている微睡みの君主は、まだぼんやりとした眼差しのまま、ブラックスーツのジャケットに袖を通した。 その隣に腰掛けると、葬儀屋はシガレットケースから一本取り出して火をつけた。眼下には、宝石箱をひっくり返して中身をぶちまけたような夜景が広がっている。 「葬儀屋さんは、お仕事中?」 「いんや。今月の血液パックもらって、いい気分で散歩中だった。毎度世話になるよ」 「お役に立てて何よりです」 ラクエンで働く人間たちの献血の一部を、葬儀屋は血液バンクから購入していた。魔族の血でも一応構わないのだが、卵から孵った魔族の血は、葬儀屋の腹に優しくないのだ。 極端に人間の数が減った現代で安全かつ確実に血液を入手するのに、ラクエンの人間族血液バンクは、葬儀屋たちにとって非常にありがたい機関だ。変に気取ったところで、もうむやみに人間を狩ることは出来ないのだ。もっとも、「創世」前でも、葬儀屋はいたずらに人間を死なせはしなかったが。 「そのお返しといっちゃ何だが、おじさんが聞いてやろうか?」 「創世」以前から生き続けている微睡みの君主より、さらに長生きをしている葬儀屋は、微睡みの君主が敬意を払う、数少ない年長者だった。そして、微睡みの君主が「創世」以前は何者であったかを知るのも・・・。 「何でもお見通しですね。かなわないな」 「お前さんが泣くほどの悪夢って言えば、まぁ決まってるわな」 人間も異形も、生き残る為に殺しあった時代。 現代もその流れは大して変わらないが、あの頃のようにどこもかしこもが戦場というわけではない。 何百年もかけてやっと手に入れた、「創世」前程度の、仮初の繁栄。その礎となった、引き裂かれた、小さな幸福・・・。 「何度も何度も後悔して、その度に筋道を立てて自分を納得させるのに・・・」 「納得してねぇからだろ」 「・・・」 悲しげに伏せられた大きな目から、ネオンを反射するきらめきが伝い落ちる。 抱えた膝に埋めた横顔は、不敵な若者ではなく、頼りない女の泣き顔だった。 「自分が・・・自分で選んだ、んです。だから・・・」 「後悔するのがお門違いだってか?そもそもお前さんが魔族になっちまったことは偶然で、そこにお前さんの責任はねぇんだ。」 誰もが生き残ることに必死だった。その中で、ぎりぎりの選択を迫られ、全力を尽くしていた。それが、最善、最良とは言えなくても。 「僕は、今に満足しています。十分幸せだと思います」 「それでも後悔するのは、立派に人間だったからさ」 彼を生かすことだけを考え、なりふり構わず魔族の力を行使した。それが彼を人間として死なせることを、永久に奪う行為だとは考えずに・・・。 意識を取り戻した彼は、微睡みの君主が知っている彼ではなかった。 何度も、何度も、繰り返す悪夢は、地獄絵図の最後にいつも同じシーンを見せつける。どうして殺してくれなかったのかと。 それが、自責の念が見せる、まったく根拠のない幻想だとしても、身を縮めて許しを請うことしか出来ない。 「でもなぁ、こう言っちゃ何だが・・・お前さんが微睡みの君主でよかったと思うぜ。お前さんもそうだが、本だって、あのことがなけりゃ、クソつまんねぇ魔族だったろうぜ?」 ぽんと頭に置かれた手が、くしゃっと黒髪をかき混ぜる。 「まだ人間が多かったあの頃なら、転生を待たなくても、いくらでもリセットできたはずだ。本の身体の特異性や時間的猶予を差し引いたって、記憶にないしがらみに煩わされるよりいいはずだ。・・・だが、あいつはお前といることを選んだ」 天使因子に食い荒らされ、かろうじて身体を保つ程度に欠片ほどしか残らなかった魂。共に過ごしてきた記憶も感情もないに等しかったのに、瀕死の重傷で姿を消した微睡みの君主の居場所を探し当て、一人で逝くことを許さなかった。 かつて、微睡みの君主が彼にそうしたように・・・。 「お前さんが苦しむのは、誇り高い人間だったせいもあるし、最後まで魔族因子に抵抗し続けた・・・いや、安定しているとはいえ、今でも抵抗し続けている、稀有な存在だからだ」 「僕は・・・」 「今のお前も、昔のお前も、同じお前だ。だから、今でも悪夢にうなされる。ちがうか?」 「・・・ちがいません」 少し顔を上げた微睡みの君主を見て、葬儀屋は満足げに紫煙を吐き出した。 過去は変えられない。だが、その一言では片付けられないほど、彼女はあまりにも深い傷を負い、その上に多くの人の平穏が築かれた。後悔は現在の否定と切り捨てるには、彼女は過去に生き、そして愛しすぎていた。 「何度でも後悔すればいい。それはお前さんが人間だった証ではあるが、今の本を愛していないとか、ラクエンの支配者が無様な能無しだとかって証拠にはならん」 ポケット灰皿に吸殻を放り込むと、葬儀屋は涙で冷たくなった目元にくちづけた。 「何百年生きたって、どうにもならないことはある。もっと気を楽に持て」 「うん」 頭を撫でられる気持ちよさからか、わずかに寄せられた身体を、葬儀屋は少しためらった後、抱きとめた。 「今夜だけだ。今度から本にしてもらえ」 小さな顎を指で上向かせ、そっと唇を重ねる。 煙草くさいキスは、誰にもまねの出来ない、ほろ苦い優しさで満ちていた。 ![]() ≪もどる |