『帰り道』
夕日を受け、黄金色に輝くパンデモニウム。 漣がキラキラとはじける湖に、悠然と浮かぶその威容は、まったく溜息が出るほど美しい。 はるか昔、このあたりはYARUSHALAYIMと呼ばれていたが、現在その話をしても、聞いた者の片頬をゆがませるぐらいが関の山な史実だ。 殉教者の血を吸い続けていた「聖地」がフタである事は、ラリった詩人が迷い込んで以来、よく知られたことだったはずだ。 しかし、愚かな人間族の祖先は、毎日のように、そのフタを緩め続けた。 その結果、暮れなずむ空の下、仕事帰りの青年の視線をしばし引き止める風景を生み出した。 現在パンデモニウムと呼ばれる場所に街はなく、湖とその湖上に建つ宮殿だけを指す。しかし、その湖のほとりには、いくつかの街があり、青年が立ち止まっている場所も、そのうちのひとつだ。 突然の爆発音に驚いて振りかえると、どうやらただの喧嘩らしく、巻き添えを避けるように避難してくる人たちの向こうで、続けざまに閃光やら爆音やら爆風やらが踊り狂っている。 秀才くさい呆れ顔が、軽く溜息をつく。その額には、もう一対の目が鋭い光を放っていた。 額の目は騒ぎの中心をにらんだまま、頬のすぐ上にある切れ長の目が、ふと小さな影をとらえた。 人の流れを避け、街路樹が植えられた石造りのプランターの上で縮こまっている。さてはこの騒ぎで連れとはぐれた迷子か。 しかし、すぐに飼い主が見つけるか、警備員に保護されるだろう。遠目ながら、青年はその子供にドッグタグが付いた首輪がされているのを確認して、踵を返しかけた。 「おい、奴の連れてたペットじゃねぇか?」 「こんなところに隠れてたのか。野生種って珍しいんだろ?売れるんじゃね?」 「やっ・・・はなせっ!」 「いてっ」 まだ100歳にも満たないであろう若者たちが小さな生物を取り囲んだが、したたかに反撃されたらしい。 「こいつ人間のくせに!」 殴り飛ばされた勢いで包囲から転がり出た小動物は、勇敢なことにすぐに跳ね起きたが、首輪から伸びた長い鎖の端を引っ張られて、再び地面に転がった。 魔族の若者たちが囃し立てる中、地面を引きずられかけた小さな人間が、全身のばねを使って鎖の端を握っていた一人に飛び掛ったのは、側で見ていた二対の目を持つ青年にも予想が出来なかった。 小さな人間は意外にも凶暴らしく、噛み付いたり引っかいたりはもとより、自分の鎖を相手の首にかけて絞め倒すなど、ギャラリーである青年を大いに楽しませた。 しかし、それも若者たちが剣を抜くまでだった。 「はいはい、そこまで」 若者たちの包囲をさっさと掻き分け、目を丸くして見上げている痣や埃だらけになった小動物を、青年はひょいと抱き上げた。 「鎖は千切れてしまったのか。ふむ、予防接種も所有登録も済んでいる。坊やはカインという名前なんだね」 首輪についているタグを確認した青年に、カインはこくんとうなずいた。しかし、青年の肩越しに若者たちの刃が迫るのを映した瞳がこわばった。 「カイン!カイーン!どこだー!?」 その野太い声に、カインは座っていた青年の膝から飛び降りて駆け出した。 「ライドウ!」 「おお、いたいた。どうした、転んだか?」 逞しい青年士官に抱き上げられながら、カインははぐれていた間の一部始終を話し、「あの人が助けてくれた」と、街路樹が植わった石のプランターに腰掛けた青年を指差した。 「自分は軍機卿麾下第24部隊のライドウであります。うちのカインが世話になったようで。ありがとうございました」 きっちりと頭を下げた若い軍人に、青年はにこにこと微笑み返した。 「いやいや、こちらも楽しませてもらったよ。元気のいい子ザルさんだ。・・・そうだ、これで新しい鎖を買うといい」 青年が放ってよこしたのは財布だった。 「俺のじゃない。カイン君を襲ってきた奴らのだから、遠慮せずに持っていきたまえ」 では、と手を振る青年に、ライドウは慌てて名を尋ねたが、青銀色の髪が揺れて黄昏の街に遠ざかっていった。 「ライドウ、名前かどうかわかんないけど・・・」 「知ってるのか?」 「俺をいじめた奴ら、あの人の頭にみんな食われちゃったんだ。その時、誰かが『ブックだ』って言ってた」 「ブック・・・まさか、あの人が |
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「創世」より生き続ける魔王の一人
であり、パンデモニウムの宮殿に出
入りできる、大図書館の管理者だ。
そして・・・ (微睡みの君主の愛人だって噂は ホントか・・・?) なにやら複雑そうな表情をした ライドウの肩の上で、くたびれて しまったカインは大きなあくびを して、桜の花びらのようなまぶた を閉じた。 ≪もどる |