『飼い犬』


 半ば倒れるように、床の上に伏せっていた青年が、気だるげに顔を上げた。
「よっ、ドギー」
「葬儀屋さんですか?」
 青年の目は閉じられたまま。主人に両目を潰されて以来、彼はずっと闇の中で生活している。
「明かりはついていますか?」
「ああ、大丈夫」
 いつきてもこの居住空間は最新モデルなのだが、それは訪ねて来る者を快適に過ごさせるためだ。住んでいる盲目の青年には、あまり関係がない。
「今日は娘を連れてきた」
「娘さん・・・?」
 雪花石膏のように白い青年の頬に、柔らかな女の手が触れた。
「はじめまして、ドギーさん。麗といいます」
 きびきびとした歯切れのよい声は、しかしいたわるように優しげだ。
「はじめまして。あの・・・呼び捨てにしてください」
「・・・わかったわ」
 そうでなくてはドギーが困ることを、麗は知っていた。
「毎度きついこと頼むんだが・・・」
「大丈夫ですよ」
 葬儀屋が内ポケットから取り出した、密閉式のビニール袋の中には、金色の細い指輪があった。それを床の上、ドギーの目の前に置く。
「残念ながら、本体の方は腐っちまってな」
「はい」
 ドギーが手を伸ばし、その指先がビニール越しに指輪に触れる。が、すぐにドギーは手を引っ込めた。
「大丈夫か?」
 ドギーはぎゅっと両手を握り締めて、縮こまるように震えていたが、しっかりとうなずいた。
「だ、いじょうぶ・・・。ね・・・粘土板を・・・」
 そのかすれた声が、心の裏側のひどく敏感なところを撫でるように、麗には感じられた。
 葬儀屋が指輪の代わりに差し出した、真平らな粘土板に、ドギーは指先で探りながら、ヘラで一心不乱に何かを描き付けた。
 それは、どこかの地図か、見取り図のようだ。
「こういう・・・所、です。この辺に立つと・・・こっちのビルの上に、緑色の・・・看板が見えます」
 粘土板を葬儀屋に手渡すと、ドギーは、再び床に抱擁した。
「顔の四角い、怖そうな男の人と・・・話していました。一緒に、巻き角の・・・細い男の人がいたけど、その人は、なにか怒っていたみたいで、どこかに消えちゃいました・・・」
「OK。・・・ふふん、なるほどな。さんきゅ、ドぎ・・・」
 その気配に、ドギーはぐったりしていたのが嘘の様に飛び出し、葬儀屋と麗は同時に振り向いた。絶対零度のクリスタルに、甘美な猛毒を封じ込めたかのような・・・。
「誰かと思ったら、葬儀屋さんと麗さんじゃない」
 客が旧知とわかって、部屋に入ってきた若者は親しげに声を和らげた。
「どーも。お邪魔してるよ」
 にかっと笑顔を作った葬儀屋の隣で、麗は軽く頭を下げた。
「なに突っ立ってんですか?かけてください。せっかくだし、僕の血でも飲んでいきますか?」
「いや、ドギーには一働きしてもらったところだし、今日は先約があったみたいだから、このまま帰るよ」
 そのドギーは若者の足元にうずくまり、サンダルをはいた素足に口付け、赤い舌を伸ばしている。
 しかし、軽く蹴り上げられた白い顔は、無情にもサンダルに踏みつけられた。
「お役に立てたみたいで何より。でも、先約なんてないですよ?」
 素肌が見え隠れする扇情的な服装は、その辺を歩いている若者と変わらない。それなのに、黒髪の下から二人を見つめる目の、なんと異質なことか。
「ペットの顔を見るのに、わざわざアポイントメントなんて、取らなくないですか?」
 くすり、と色香の漂う赤い唇がゆがむ。
「ドギー、首輪を出せ」
 ドギーの声は、返事になる前に潰れた咳になった。
 元々薄物一枚しか纏っていなかったせいで、力任せに引き裂かれ
れば、首輪どころか全てをさらけ出す結果になる。滑らかな肌に散
る、無数の痣。白と赤紫のコントラストは、特別その趣味がない者
にまで嗜虐心をそそらせた。
 カチリと、鎖と首輪の金具が噛み合った。踏みつけていた足がど
かされ、太い鎖を引かれると、ドギーは従順に四つん這いになって、
青みがかった美しい翼をたたんだ。
「こいつは優秀だし、大人しいんだけど・・・食が細いんですよねぇ。
好きな物とか聞き出せたら、僕にも教えてくださいね」
 屈託ない笑顔に見送られて、男女は犬小屋・・・を後にした。
「・・・あの人にはしばらく会わなかったけど、その・・・」
「貫禄だろう。凄絶という言葉がぴったりだ。そういえば・・・」
「なに?」
 娘が見上げた先には、うそ寒げに首をすくめる父の背があった。
「なんでもない。それより、ドギーのケツにでっけぇディルドが
突っ込まれていたの、見たか?あれ凄くね?」
「なっ・・・どこ見てんのよ!」
「いや、見えたんだって・・・いててっ」
 娘の振り上げた拳から逃げる父の、おどけ半分本気半分の悲鳴
が、地下空洞に響いた。



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