『とある不死の一族』


 「人間贔屓」と揶揄される、微睡みの君主が支配する、不夜城ラクエンのダウンタウン。
 その住人の多くは魔族だが、魔族に使役されている人間族や、魔族ではないが、それに近い少数種族もいた。
 年代物な軽鉄筋製のボロアパート。その狭くて急な階段を、やや小柄でやせぎすの男が、軽やかに駆け上がっていく。
 ブラックスーツの上着を小脇に挟み、シャツにベストだけなのも、彼の肉の薄さを強調してしまっているようだ。
 コンクリートがむき出しの、やたらと音の響くフロアで、ドアをノックする。
「ハロー?」
 返事を待たずに玄関扉を開くと、まるで自分の家のように、ずかずかと暗い部屋の中に入っていった。
 物の少ない部屋だった。きっちりと厚手のカーテンが閉まったワンルームで、サイドランプの照らす領域に、かろうじて揺り椅子が見えた。
「おお、年寄りは早起きだな」
 サングラスを取った男は、くっきりした眉や大きな目をしているにもかかわらず、全体的に涼しげな印象のハンサムだ。
「・・・お前に言われたくない」
 ぼそぼそと返ってきたのは、老婆の干からびたような声だ。
「まだ死ねてねーじゃん。いい加減、あきらめたら?」
「何の用だ」
 老人に対して失礼なことを言う男に、老婆はそっけない様子だ。
「人間に取り憑いた天使族がはじけて、大暴れなんだよ」
「騒がしかった」
「うーん、そんだけ?」
 男が言いたいことは老婆もわかっているようで、ちらりと剣呑な視線を向けたが、すぐにうつむくように下を向いた。
「ラクエンの警備は相変わらずか」
「来る者拒まずだからなー。法を犯さなきゃ、天使だって住める」
 ただし、魔族に見つかったなら、生きていられる保証はない。
 長い闘争の歴史の果てに、魔族とも人間とも穏やかに接することが出来るようになった天使がいることを、彼らは知っている。ただし、今回は事情が違う。
「誰も制御していないのか」
「それが一人や二人でなくてさ・・・」
 城の精鋭がスクランブルしたが、逃げた数匹がこの辺に潜伏したらしい。
「迷惑な・・・」
「そういうわけで、お気をつけあそばせ」
「ああ」
 男が老婆の部屋を出て行こうとドアを開けると、どこからか悲鳴が聞こえてきた。
「あらっ」
 そのまま外へ駆け出す男を、ゆっくりと閉まるドアが隠した。悲鳴は一度で終わらず、老婆の部屋の外で断続的にあがった。同時に、騒々しい物音も・・・
 ガシャンともズドンとも取れそうな音と共に、老婆の部屋に黄昏の薄明かりが差し込んだ。窓を壁ごと壊しながら突っ込んできたのは、小さな白い羽をした傷だらけの女天使だった。この翼のサイズでは、ようよう飛ぶことも儘ならないだろう。不完全な覚醒だ。
 老婆は揺り椅子から動くことなく、鋭い視線だけを、若い天使に向けた。
「追い詰めたぞ!」
 壊れた窓から侵入してきたのは、天使だけではなかった。魔族のシルエットに、老婆は舌打ちした。
 よろよろと立ち上がった天使は、助けを求めるように老婆へと足を踏み出したが、その背に向けて、一斉に銃口が向けられる。
「撃つな!」
 しかし、老婆の叫びもむなしく、穴だらけになった女天使が、揺り椅子の老婆に向かって倒れる。天使の血が、ぼたぼたと老婆に降り注ぎ、ぐんにゃりとした肢体がしなだれかかった。
「目標沈黙。任務完了だ」
「・・・待ちなさい」
 部屋を出て行こうとする魔族たちを、ハリのある女の低い声が呼び止めた。
 揺り椅子の側に転がった天使のものではない。揺り椅子から立ち上がった、 うら若い女が発したものだ。
「このクソバカどもが・・・。撃つなと言ったのに!」
 まさに神速と呼べる速さに、ラクエンの軍人ですら反応できなかった。 ある者は頭をたたきつぶされ、ある者は体を貫いた手に心臓を 破壊された。最後の一人の首をボキリと握りつぶすと、知的な小顔を怒りに赤くした女は、年寄りくさい服のまま、仁王立ちで叫んだ。
「また若返っちゃったじゃないの!!いい加減死なせなさい よぉ!!」
 その悲痛な叫び声を、彼女の数代前にあたる、父とも祖父 とも呼べるハンサムな男が、少し離れたところで聞いて、苦 笑いを浮かべた。



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