悩める愛人の至福 3


 本の腕の中で、白いバスローブに包まれた細い肩と薄い背が、ゆっくりと動いている。
 うずくまるように本の胸に体を寄せた微睡みの君主の寝顔は、本からは見えない。見えるのは、少し乱れた黒髪だけだ。
 いつもの穏やかなセックスもいいが、嬌声を上げて乱れる彼女を抱くのも、新鮮でよかった。
(・・・いつもああなのかな?)
 少し胸の奥がちくりとしたが、よく考えたら、微睡みの君主がそんなところを他人に見せるはずもなく、思わず苦笑いがこぼれる。本ともあろう者が、ずいぶんと器の小さいことを思ったものだ。
 途中から両性になってしまうこともなく、本は心の中で、微睡みの君主の純情さに対し非礼を詫びた。
 ふと身じろぎした微睡みの君主が、もそもそと本を見上げた。
「どうした?」
「・・・ん、ううん。今何時?」
「まだ夜明け前だ。寝てていいぞ」
「んー」
 ぽてっと、柔らかな頬が本の胸に乗る。
「ねぇ、あれ、どこのメーカー?」
「あれ?」
「本が使った、薬入りローション」
「ああ、あれは市販品じゃない。破壊王クラックに作ってもらった」
 ぶっと噴く音がして、微睡みの君主の腕が、本の体の上に巻きつくようにのしかかってきた。
「マジ!?ちょっと、あの男そんなに器用なわけ?」
 信じられないといった面持ちで本を見下ろす微睡みの君主に、本は胸の上に乗られる息苦しさに耐えながら頷いた。
「趣味だそうだ」
「いや、まぁ・・・あの絶倫魔人の趣味と言われれば、納得がいくような・・・そうでもないような・・・」
 微睡みの君主はうーんと眉根を寄せたが、とりあえず本の上から退いて、元の位置に戻った。
「脳ミソが白子で出来ていると思っていたのに・・・」
「ひどいことを・・・」
 最愛の人が、半分冗談半分本気で口汚く友人をこき下ろすのに、思わず苦笑いが浮かぶ。
「だって、あいつ二本足で歩いてる生き物なら、男だろうと女だろうと両性類だろうと、穴があれば四つん這いにさせて突っ込むよ?相手がノンケだろうがレズだろうが、恋人がいようが子供がいようが、まったく躊躇なしなんだよ?」
「・・・まぁ、大体あっているので、それに関しては反論しない。というか、それ微睡みにも当てはまらないか?」
「え?・・・いやぁ・・・僕は、そこまで見境なく乱暴じゃないと思うんだけど。だいたい、雷と「精比べ」をして負かすような奴と一緒にしないでよ」
 ぷぅと膨らませた頬をつつくと、ニヤリといつもの微笑が浮かぶ。
「へー。そっかぁ。ちょっと見直したな」
「そうなのか」
 ごろんと仰向けになると、微睡みの君主はごく真面目な表情で頷いた。
「うん。あれ、すごく良かったよ。あのての物って、けっこう頭の芯に残るもんなんだけど、終わったらすっきり消えたもん。こんなに綺麗に消えるの、はじめてかも。なんだろ・・・半分以上優しさで出来ています的な。でも気持ちよくなる効果はちゃんとあって・・・売り物にしたら、ものすごく高そうだなぁ」
「微睡みにそんなに褒めてもらえたら、あの人も喜ぶだろうな」
「うん。香りのセンスもいいし、僕は大満足」
「それは良かった。俺が相手じゃ、なかなか満足させられてないだろうと思っていたから」
 跳ね起きた頭が、目を丸くしている。なにか言おうとしているようだが、うまく言葉にならない。
「なんだ?」
「あの・・・いや、ごめん・・・」
「なにが?何も、謝られるようなことはされていないが?」
 わずかに頬を染めて、また本の脇に、白い体がうずくまった。
「そんなの、気にしてるなんて・・・」
「ああ。オスのつまらんコンプレックスだ。・・・変な事を言ったな。忘れろ」
 抱き寄せて頭を撫でると、細い腕が伸びて本の肩をしっかりと抱き、ぴたりと胸に頬がはりついた。
「僕、そんなの・・・本とこうしていられるだけでいいのに・・・」
「・・・俺が、微睡みをもっと喜ばせたいと思うのは、だめか?」
「・・・。それはいい。うん、それならいいや」
 微睡みの君主の気分が一瞬で切り替わった様子に、ほっと胸をなでおろす。まだ最初のキスを引きずっているのか、いらないことを口走ったと反省する。
 ふと、本の肩を掴んでいた微睡みの君主の手が離れ、なにやら本の腰の辺りを探っている。それも、前ではなく、後ろ・・・尻の辺りなのだが。
「なんだ?」
「ん、いや、あの破壊王とお友達しているみたいなこと言うから・・・」
 微睡みの君主が、本の尻穴の心配をしているのだと気付き、思わずその手を掴んだ。
「大丈夫だっ。俺があんな筋肉ムキムキな男にたつと思うか!?」
「そんなのあいつに関係ないじゃん!ちょっと、見せてよ!」
「本当にだいじょう・・・やめんかっ!」
 ひとしきりベッドの上でじゃれあうと、さすがに疲れたのか、くすくす笑っていた微睡みの君主が、本の腕枕で満足気に眠りに落ちた。
 その健やかな寝顔を見つめながら、たしかにあの破壊王が、本の体には手を出してこないのは不思議だと首をかしげた。破壊王は今のところ、雷の王に熱を上げているが、彼がその間に他の者に手をつけないなどということは無い。
 破壊王にも好みがあるだろうし、本のように肉体関係を持たずに友誼を保つ相手もいるだろう。
 本の公的な部分は、皇帝と、なにより魔族社会全体が必要としている。だが私的な部分は、微睡みの君主が圧倒的に実権を握っていた。本と関係を持とうとした場合、恐れるべきは皇帝ではなく、何よりも微睡みの君主の勘気だ。
(まさかな・・・)
 破壊王は微睡みの君主と同じプリンスであり、それほど微睡みの君主を恐れているようには見えない。
 だが、本の後ろにいる微睡みの君主の存在が、例え理由のひとつだとしても、破壊王の征服衝動を抑えているのだとしたら・・・。
(俺は、守られてばかりだな)
 柔らかく暖かい毛布を引き上げ、細い肩や繊細な首筋が外気に触れないよう整える。乱れた髪を軽く梳いて、あどけない額に、そっと口付けた。
 たかだかナイト格の本が、プリンスである微睡みの君主に寵愛されることになった経緯は、いささか複雑で、状況が先なのか、感情が先なのか、それすら上手く説明が出来ない。
 『彼女』が愛したのは、『本』ではない。しかし、本の中に『彼』を見出し、すべてを受け入れた上で、共に生きる道を選んだ。
 本が微睡みの君主を好きだと思うのは、情にほだされたのか、それとも微かに残る『彼』に影響されたのか、本にはよくわかっていない。ただ、記憶にある『微睡みの君主』よりも、いまの微睡みの君主の方が、絶対に魅力的だとは思っている。
 本は、昔の『彼女』でも、もっと大昔の『微睡みの君主』でもなく、今の微睡みの君主が丸ごと好きなのだ。
 それは、おそらく、微睡みの君主の方でも同じだろう。そうでなければ、本の呼びかけに応えて、死の淵から戻ってくることもなく、いまこうして寄り添って眠ることもないだろう。
 彼女と同じ時を生き、彼女と触れ合っていられることが、とても幸せだった。
 いつか必ず別れの来るものだとしても、本はこの生だけは、彼女と共にいられるよう願わずにいられない。どうか、なにがあろうとも、彼女と一緒に・・・。