黒いドレスときつい靴
一年に一度の、パンデモニウムで過ごす我慢の数日。
なるべく表情を消して、微睡みの君主はパーティー会場の壁際にたたずんでいた。そうすれば、例え見つかっても、元々近寄りがたい人物だと思われている上に、眠そうな雰囲気を上乗せできて、近寄ってくる者はほぼいない。 きらびやかな衣装を身に纏った紳士淑女たちは、みな立派な容姿や体躯をしており、申し訳程度に似合わない黒いドレスを着た微睡みの君主など、脆弱な存在にしか見えなかった。 空になったカクテルグラスを給仕カートに置くと、微睡みの君主は柱の陰に背をもたれさせ、本気で居眠りの体勢に入った。履き慣れない、高いヒールの靴のせいで、脚もだるくて痛かった。 (早く終わんないかなぁ・・・) 腕を組んでぐるりと首を回すと、椅子も用意されていない会場に舌打ちしたいのを堪えて、まぶたを閉じた。 緩やかな音楽、穏やかな談笑、グラスや食器の音などが、鼓膜を控えめに揺らしていく。 何百回と経験した新年のパーティーだが、いつまでたっても慣れない・・・というか、場違いな気分がする。そもそも、他の高位魔族と顔をあわせるのも億劫だし、しゃべるのはもっと面倒くさい。自分が外交に向いていないことをわかっているので、せめてラクエンの官僚たちが泣かないように、できるだけ大人しくしているほかはない。ややこしい事態になって困るのは、結局自分なのだから。 ふいに、ざわりと音が乱れたのを聞きとがめ、片目だけ薄く開く。目の前に、上品に口髭を蓄えた、優しそうな中年紳士が立っていた。 「こんなところにいたのか。探しちゃったよ?」 穏やかな微笑みに反抗するわけにもいかず、微睡みの君主は柱から背をはがすと、小さくお辞儀をした。 「なにか御用でしょうか、 眠そうなかすれ声の、ぼそぼそとした返答に、微睡みの君主をよく知らない新参者からの不審な視線が集まり、一応顔は知っている者たちからは好奇に満ちた視線が集まる。 すっきりと切りそろえられた漆黒の髪と、同じ色の目。女らしい丸みに欠けた、折れそうなほどに華奢な肢体は、周囲の参列者と比べると、やせた子供のように貧相に見えた。しかし、白磁のように滑らかな肌は、黒絹のドレスに映えて、なまめかしいほどに美しい。 おそらく、皇帝が話しかけなければ、そこに微睡みの君主がいたことに気付かない者も多かったに違いない。しかし、気付いてしまったなら、その姿から目をそらせるのは容易ではない。 「何か飲むかね?」 「いえ、けっこうです」 「ははは、相変わらずのようだ。パーティーは退屈かね?」 金と紫紺の刺繍が入った純白の正装をゆすって、無視されずに答えを貰ったことだけで嬉しそうに笑うロマンスグレーに、微睡みの君主は内心の居心地悪さを隠しつつもうなずいた。 「苦手です」 「それでも毎年出席してくれるのは、一応僕がまとめ役として認めてもらっているって認識でいいのかな。君に嫌われてしまったら、僕はこの地上で生きていけないからね」 灰色がかった青い目を細めて悪戯っぽく笑う皇帝に、微睡みの君主は呆れたような表情を作って首を振った。 「ご冗談を。皇帝の庇護がなければ、僕の周りはもっと騒がしくて、昼寝も出来やしないでしょう」 正直言って、微睡みの君主は大勢の中で皇帝と会話をしたくなかった。皇帝が嫌いなわけではない。他の魔族との駆け引きのような会話とは別に、皇帝とは微妙な事情がある。 もっとも、その事情のせいで、親しく話さなければならないという一面も、たしかにあるのだが・・・。 (しかし、いまのはギリギリやばいだろ) 冷や汗を控えめな微笑にすりかえ、微睡みの君主はチクチクと刺さる視線に耐えた。 皇帝より先に地上に出た魔族の中で、転生もせずにまだ生きている者は、数えるほどしかいない。 地上における最高支配者は、先駆者か、それとも皇帝か?「創世」以来、このての噂が絶えることはない。 微睡みの君主は今のところ、皇帝の差配に不満はないし、自ら地上の魔族を取り仕切ろうなんて考えは、これっぽっちもない。だが、無責任な噂はとかく広まりやすく、それに惑わされる者も、後を絶たない。 「御領の様子はいかがです?ご用命いただければ、また指導員を派遣いたしますが」 「ふむ。不作とは聞いていないが、悩んでいることもあるかもしれないな。追って連絡させるから、よろしく取り計らってくれ」 「かしこまりました」 話は終わりだと小さく頭をさげて視線をはずした瞬間、腰に巻きついてきた腕に引き寄せられた。 「ちょ・・・」 「たまには遊びに来たまえ。微睡み君が姿を見せれば、 耳元でささやかれた下世話な労わりに、微睡みの君主は思わず苦笑いを浮かべて、皇帝を見返した。 「その筆頭は、皇帝でしょうか?」 「む、やぶ蛇だったかな」 皇帝の憎めない人柄が演技だったとしても、微睡みの君主は一向に構わなかった。敵対の意思はないが、必要以上に関わりを深く持とうとも思わなかったからだ。皇帝もわかっているから、微睡みの君主の儀礼的そっけなさを面白がっている。 軽く舌を重ねる社交辞令のキスは、視線を絡めたまま。今のところ、互いに不満はないという確認。例え、それが数秒後に翻ったとしても。 糸を引いて離れた舌が、素早く唇に隠れる。 「君との口付けは命がけだよ、微睡み君」 「そうですか?」 微睡みの君主が操る毒息は、無機物でない限りほぼ確実に息の根を止めることが出来る。それは魔王のような強者であっても場合によっては即死させたが、皇帝が恐れているとは思えない。事実、皇帝はくくっと喉の奥で笑った。 「嫉妬の視線が痛い痛い」 眼差しを皇帝から動かすことなく、微睡みの君主は自分たちに注がれる視線に、馴染みのある気配が混ざっているのを捉えた。 「皇帝、そう思うのなら、そろそろお放しください。僕はもっと多くの方々からの視線で、穴だらけになりそうです」 「それはいけない」 そっと離された腕から、軽やかに身を引き剥がす。すぐ後ろに柱があるのでそれ以上下がれないが、軽く膝を曲げて敬愛の意を表す。それだけで十分だ。 「今年もよろしくね」 「こちらこそ・・・」 軽く手を上げて会場の中心へと戻っていく皇帝の後姿を見送ると、入れ替わりに青銀色の髪をした男が微睡みの君主のそばに立った。 皇帝から親しく声をかけられるも、そっけない態度をとる微睡みの君主に興味を持った者たちは、鉄色のローブに包まれた背から放たれる無言の威嚇に、すごすごと引き下がらざるをえない。領地に引きこもりがちな微睡みの君主よりも、情報を統括して頻繁にパンデモニウムに出入りする本の方が、顔も名前も権力の範囲も知れていた。 さりげなく野次馬を遠ざけて細い手をとると、挨拶代わりに唇を落とす。どんなに気持ちが高ぶっても、公の場ではめをはずすことがない男だ。しかし、微睡みの君主にしか聞こえない小さな呟きは、苛立ちを抑えきれていない。 「皇帝に先を越された」 「ばぁか。そんなところで張り合うなよ」 本と話をしたがる者は多い。この大事な社交機会を逃すかと、あちこちの輪に強引に引っ張り込まれているうちに、微睡みの君主の姿を見失ったのだ。 「新年早々、落ち込んだ」 本当にしょんぼりした呟きに、微睡みの君主は笑い声を噛み殺した。こんなことを本に言わせられるのは、世界広しといえども自分だけだと、パーティーの憂鬱さが吹き飛ぶような満足感に満たされた。 「僕は抜け出すぞ」 「お供しよう」 「本気か?大事な情報収集の機会だぞ」 「いい」 珍しく余裕のない本に、微睡みの君主は今度こそ忍び笑いを漏らした。するりと腕を絡ませ、ぴたりと身体を寄せる。 「早くこのドレスと靴を脱ぎたい」 「仰せのままに」 ちらちらと視線が集まる中、二人は連れだってパーティー会場を後にした。 |