ミニのはじめまして


 それを目の前にして、イーヴァルは言うべき言葉を見つけられずに立ち尽くした。
「ぐずっ・・・・・・、ひっく・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「すみません、急に来ていただいて・・・・・・」
「いや・・・・・・」
 イーヴァルが焔から「緊急事態だ!」と急かされて来たのは、クロムに抱っこされてベソをかいているものを引き取るためだ。
「実は、かくかくしかじかで・・・・・・ナッツが小さくなってしまったんです」
「・・・・・・」
 惑星リリーパにて放棄されていた機械を調査中に、いきなり動き出した機械から放たれた怪光線を浴びたイグナーツが幼児になってしまった。
「大人の時の記憶は多少あるようですが、体と精神がほとんど幼稚園児並みです」
「そのようだな」
「ふぇっ・・・・・・いーばぁ、っうえぇぇん」
「ああ、ほらほら、泣かないで。大丈夫だよ」
 クロムがあやすイグナーツは、どう見ても3〜4歳児程度だ。大きすぎるシャツにくるまれて、泣き腫らした頬が赤くなっている。
「わかった」
 イグナーツを抱きうけると、大きすぎるサイバーグラスを握っていない方の小さな手が、ひしっとイーヴァルのシャツを握りしめた。自分で涙や鼻水を拭ったらしい、ぶかぶかなシャツの袖は、もうびしょびしょになっている。
「イグナーツ」
「うぅ」
「泣くな。俺は泣かしていない」
「うっ・・・・・・」
 しゃくりあげて、こんこんと咳をしたものの、イグナーツはそれ以上、泣き声も涙も出さなくなった。
「アークスが元に戻る方法を調査していますが、いつになるか・・・・・・。すみませんが、よろしくお願いします」
 深々と頭を下げたクロムにうなずいて、イーヴァルは自分のオフィスに戻った。


 服から下着から靴から一切合財を幼児サイズで買い揃え、ようやく小さなイグナーツはソファに座った。
「はい、サイバーグラス」
「・・・・・・ありがとう」
 服選びも着替えの最中も、ずっと目を瞑っているか下を向いていたイグナーツが、焔が手渡した子供サイズのサイバーグラスをかけて、やっと顔をあげた。顔は洗ったが、目も頬も、まだ赤いままだ。
「可愛いなぁ。まさかこんなミニサイズになったイグナーツを見られるなんて」
 焔はにこにことイグナーツを撫でるが、イグナーツは口を噤んだまま、ぼんやりとしている。
「子供でも目の事は徹底しているらしいな」
「・・・・・・」
「イーヴァ、そんなつっけんどんな言い方は、この子に通用しないんじゃないか?」
「ふん」
 またうつむいてしまったイグナーツは、確かに大人の時と比べて様子がおかしい。大人だった時なら、イーヴァルの皮肉やからかいに言い返してきたが、小さくなったイグナーツは、泣き止んでからはだんまりとして静かだ。
「さあ、服は着られたし、おなかすいてないかい?」
 小さなイグナーツは少し首を傾げてから、ふるんふるんと横に振った。
「何か欲しい物あるかな?」
「・・・・・・のどかわいた」
「オーケー」
 焔からリンゴジュースを受け取って、冷たさにぎゅっと目を瞑りながらも、イグナーツはストローをすすった。よほど喉が渇いていたようで、一気にグラスの半分が無くなった。
「おいしい」
「そう、よかった。ああ、可愛いなぁ」
「焔・・・・・・」
 猫可愛がりする焔にイーヴァルはうんざりとした声をかけたが、焔も負けていない。
「イーヴァ、泣かすなよ」
「・・・・・・」
 引き取ったはいいが、頭が痛くなってきたイーヴァルだった。

 イーヴァルが仕事を終えてあたりを見渡すと、ソファに小さな物体が丸くなって、くぅくぅと寝息を立てていた。
(忘れてた・・・・・・)
 しばらく焔が相手をしていたはずだが、いつの間にか呼び出されて行ったのか、小さなイグナーツだけが残っていた。
 焔がここに小さいイグナーツを置いていったということは、小さいながらも身の回りのことが一通りできると確認できたからなのか、後のことをイーヴァルに一任していったからのどちらかだろう。前者なら問題はないが、後者だった場合、イーヴァルに一任された記憶がないのが問題だ。焔が何か言っていったとしても、全然聞いていなかった自信がある。
「おい」
「ん・・・・・・」
 頭をつついてやると、小さな手が自分の頭や顔をぺたぺたと触るようなしぐさをして、幼児服に包まれた丸っこい身体がもそもそと動いた。
「起きたか?」
「うん」
 むっくりと起き上がった小さなイグナーツは、目を擦りたそうに瞬きを繰り返し、両腕をイーヴァルに向かって差し出してきた。
「いーば、だっこして」
「・・・・・・・・・・・・」
 だっことはつまり抱っこであって、セックスという意味ではない。それはわかっているのだが、イーヴァルはその事実に打ちのめされると同時に、こいつは明らかにイグナーツではあるが、自分の知っているイグナーツではなく、幼児のイグナーツだと改めて確信した。
「・・・・・・だっこ!」
 再びの催促を、イーヴァルは聞いてやることにした。ここでへそを曲げられたり、また泣かれたりするのは、勘弁してもらいたい。
「わかったわかった」
 軽いため息をつきながらも、イーヴァルはひょいと小さなイグナーツを抱き上げた。
「帰って食事にするぞ」
「はんばーぐ!」
「・・・・・・・・・・・・」
 大人の時よりも要望をストレートに表現してくれるのは、イーヴァルにとっては扱いやすいはずだが、この脱力感は如何ともしがたいところだった。


 一晩小さくなったイグナーツと一緒にいただけで、本当にうんざりとした顔になったイーヴァルに、焔は呆れて説教をした。
「食事も残さない、夜のトイレも一人で出来る。自分じゃできなくて大人にして欲しいことはきちんと口で言える。何にもしないイーヴァよりも、しっかりした子だろ」
「シャワーが届かないって、一緒に風呂に入った」
「ぷっ・・・・・・それはご褒美だろ」
「・・・・・・・・・・・・」
 ハンバーグで満足した、ぽんぽこりんのおなかを見ても、イーヴァルには少しもご褒美ではない。すべてが幼児サイズなので、当然そこも子供のままだ。
「ミニ、焔のところに行くか?」
「やーん!」
 小さなイグナーツは全身で拒否し、オフィスチェアに座って脚を組んでいたイーヴァルの脛に、ひしっとしがみついた。
「蹴るぞ・・・・・・」
「蹴るな。うーん、俺のところは駄目か、残念だ」
 残念がる焔に、イーヴァルの脚にしがみついたままの小さなイグナーツは、はっきりと主張した。
「ほむりゃしゃん、だいしゅき!でも、いーばのお家にいたい!いーばと一緒にいる!!」
「ほうほう。そうかそうかぁ」
「ちっ・・・・・・」
「大好きって言われるのが自分だけだと思っていたのか、愚兄」
 焔は勝ち誇ったように胸をそらし、義兄に向けるまなざしが若干冷ややかだ。
「子供の言うことだ」
「子供は素直で正直だからな」
「・・・・・・・・・・・・」
「ところで、ミニってなんだ。ミニって」
「こいつだ」
「それはわかるが・・・・・・」
「イグナーツでは混乱する。大きい方、小さい方では、言いにくいしまどろっこしい。見てそのままだからミニだ」
「名前でいいじゃないか」
「こいつは、あのイグナーツじゃない。俺の呼びやすいようにする」
 焔が盛大にため息をついたが、イーヴァルはその呼び方を譲る気はなかった。今イーヴァルの脚にくっついているのは、どう見てもイーヴァルの嗜好に付き合ってくれていたイグナーツではないし、この姿のイグナーツを付きあわせる気など、もちろんない。イーヴァルなりの、一応のけじめというあたりだろうか。
「ミニ」
「あい」
 こうして、ちゃんと返事もすることだし。
「仕事だ。あっちにいってろ」
「・・・・・・ぅー」
 しょんぼりとしつつも、ミニはイーヴァルの脚から離れ、応接ソファまでとことこと歩いて行き、よじ登ってちょこんと座った。
「健気だ・・・・・・」
「仕事の邪魔をしたら放り出すと言ってあるからな」
「鬼」
「ふん」
 こうして、小さくなってしまったイグナーツ・・・・・・通称ミニは、『レイヴン』の社長室で日中を過ごし、夜間はイーヴァルのマンションで眠るという生活になった。
(これも飼っていることに・・・・・・なるのか?)
 なにやら想像していたものとは違っていることに、イーヴァルはこれじゃないと文句を言いたい気持ちを押さえて、愛嬌たっぷりに見上げてくる小動物の飼育を始めることにしたのだった。