小悪魔遊戯
カスラがその地区を訪れたのは、完全に興味からだった。
昨今は船の外にしか興味がないと思われがちだが、それはカスラにしか手に負えない厄介事の多くが、惑星を含む船外で起こっているからに他ならない。それに、拠点であるアークスシップの運営面の多くは、外を飛び回るアークスの管轄ではない。もちろん、全権はシャオが持っているし、アークスの活動におけるバックアップはアークス職員がやっているが、日常生活に関することの多くは一般員が担っている。役割分担があり、責任者が置かれているところに、他部署の上位者が顔を出して、余計な軋轢を生みたくないという配慮もあった。 猥雑な店舗が連なるその一歩奥は、シップの治安維持部隊も苦慮するスラム街。色とりどりの光が飾る華やかな表通りとは裏腹に、暗くひっそりと静まり返っている。そのくせ、積み上がったゴミや部品を抜かれたシティサイクルや壊れた家具が転がるそこかしこの闇には気配が蠢き、古くなった建物の中からは声が漏れ聞こえてくる。 カスラは目立たないように着古した私服と外套をまとってはいたが、それでもここでは身なりが良く見える。なにより、カスラの姿勢の良さと落ち着いた足取りが、ここの住人ではないと主張していた。 (・・・・・・ここか) 目印の酒場にたどり着き、カスラは足を止めて周囲を見回した。ここより先は、治安維持部隊の屈強な精鋭でも少人数では踏み込まないという。無事に帰れる保証のない、修羅が跋扈するスラムの玄関口だ。 「・・・・・・・・・・・・」 営業中の看板を確認して、カスラは酒場に足を踏み入れた。 「いらっしゃい」 古臭いが掃除の行き届いた店内は細長く、手前にカウンター、奥にテーブル席があるようだ。カウンター内に立つマスターは意外と若く、目立つ頬の傷跡や鋭い眼差しを除けば、カスラと同年代と思われた。 目礼を返したカスラに、マスターは仕草で奥の方のカウンター席を勧めた。カスラとしては不慮の事態に対応しやすいよう、入り口近くにいたかったが、奥の方がカウンターの出入り口に近く、店側が素人を守りやすいと思っているのだろう。カスラはその厚情に甘え、素直に示された席に座った。 「ご注文は?」 まずは飲み慣れた好きな蒸留酒をダブルで頼み、味を確かめる。自宅で飲むとさほど変わらない、スモーキーな風味の液体は、するりと喉を通って胃の腑に滴り落ちる。情報通りなら、安全なはずだ。 「うん、とても美味しいですね」 「どうも。それで、どういったご用件で?」 マスターの太い声がやや低められ、やや迷惑そうにスカーフェイスが歪む。まだ客はカスラ一人だが、これから来る客とは会わせたくないようだ。 「お酒を飲みに来ただけですよ?」 「冗談言うな。あんた、アークスだろ?しかもかなり強い」 「おやおや」 いくら六芒均衡の一角を担っていた有名人とはいえ、初対面の一般員に当てられるとは思っていなかった。一般員に紛れた服装だから、身分まではバレていないようだが。 「お知り合いに、アークスがいるんですか?」 「まぁな。それでなくても、こんなところに堂々と一人で入ってくるのは、近所の人間か、腕に覚えのある奴だけだ」 出されたツマミの皿に、カスラは軽く目を見張った。カットされたクラッカーにチーズやピクルスが華やかに乗っており、控えめに言ってお洒落だ。目の前の厳つい男が作ったのだとしたら、センスもいいし、たいそう器用だと褒めたい。 「私は腕に覚えがある自惚れだと?」 「ふん。実力が無けりゃ、ここまで辿り着けねぇよ」 「お褒めいただき、光栄ですよ。しかし、私のことなんかより、このカナッペの方が、ずっと褒めがいがあります。こんなに綺麗で華やかな酒の肴を出されたのは、初めてですよ。美味しそうですねぇ」 カスラが上機嫌でスモークハムが乗ったクラッカーを口に運ぶのと同時に、店のドアが開いてぞろぞろと客が入ってきた。縦にも横にも逞しい男たちは、薄汚れた格好で、不平不満を貼り付けたような表情をしており、見るからにすさんだ雰囲気だ。 「いらっしゃい・・・・・・おいッ」 マスターが鋭い声を発したのは、先頭を歩いていたスキンヘッドの男が、クラッカーを口に放り込んだカスラの二の腕をつかんだからだ。脂と垢の匂いが、ツンと鼻につく。 「見かけねぇ顔だが、ディナンの借金を肩代わりしに来たのか?それとも、セシャの身請け人か?」 「止めねぇか、うちの客だ!」 「俺たちも客だぜ、ロイ」 七、八人はいるだろう。多勢に無勢というより、客とは呼べない客だと判断した為か、マスターの目がすうっと目が据わっていくのを見て、カスラはやれやれと自分の腕を掴んでいる男を見上げた。腕の太さなどカスラの倍以上、胸も肩も厚く、首も太い。明らかにシップ内でやり合うためだけの、物理的な力に特化した肉体だ。 「放していただけますか?さっきからマスターお手製の料理が、私に食べられるのを待っているんです」 「ハァ?何言って・・・・・・」 スキンヘッドの太くざらついた声を遮るように、ゴツンと痛そうな音が響いた。 「ギャア!」 「ガッ」 「なっ、うがっ!」 「この・・・・・・」 バキッ、ドカッ、ドサッ、ガスッ・・・・・・まさしく、ちぎっては投げ、ちぎっては投げ、という表現が似合いそうな音が、男の肉体に視界を遮られているカスラにどんどん近付いてくる。 「なんだテメ・・・・・・ギャアアアアァ!!」 カスラの腕を離し、顔を覆ってよろめいた男の頭を、誰かが鷲掴みにして堅いカウンターの角に叩きつけた。カスラの前にある皿とグラスが跳ね、それぞれの中身が軽いステップを踏む。 「ウチのたいしょーに、なぁにメンチキッてんの?お前ら死にてぇの?」 鼻血を噴きながら崩れ落ちたスキンヘッドの男に代わってカスラの前に立ったのは、オラクルの船員が着ているような服ではなく、地球で見かけるような洒落た服装をした、細身の若い男だった。そんな恰好をする一般員は稀で、一目でアークスだとわかる。夜明け前の空を思わせる深い青の髪から、先の尖った耳がちらりと見えた。 「アゼル、店を壊すな」 「ぶっぱなす前に片付けてやっただろ、兄弟?店の中で殺しもしないで。俺やっさしー」 マスターがため息をつきながら、なにかをカウンター下にしまう。重く硬い音から察するに、銃だろう。 「・・・・・・放り出せ」 「はぁ〜い」 「私も手伝いましょう」 「いいって、いいって。座ってなよ、カスラ」 明るく軽い笑い声を上げながら、若い男は店内に転がる男たちを店の外に引きずっていく。見かけによらず、かなりの膂力だ。 「カスラ?三英雄のカスラか!?」 「ええ、まあ・・・・・・そう呼ばれていましたね」 目をむく店主に、カスラは柔らかく微笑んでグラスを傾けた。さすがにアークスには面が割れている。 最後の男を店外に放り出して戻ってきた若いアークスは、ちゃっかりカスラの隣に座って注文を飛ばす。その武器タコのある手に妙な匂いを感じて、カスラは軽く首を傾げた。 「殺してきたんですか?」 「後腐れが無いようにした」 一字一句はっきりとした発音が、赤くぷっくりとした色っぽい唇から放たれ、泣きぼくろのある大きなたれ目が、ニヤリと嘲笑する。 カスラも正直、血の臭いを感じたわけではない。だが、この笑顔で確信した。目の前の男は、生き物をただの物に変えることに、何の痛痒も感じない人間だと。 「俺はアゼル。よろしくな、情報部司令官殿」 「こちらこそ。素手でもあれほどの戦闘力をお持ちとは、なかなか有望なアークスですね」 隣に座るアゼルを観察しながらコンソールに指を滑らせ、カスラは納得の吐息を漏らした。 「ああ、あのチーム・・・・・・」 「うちのチーム、そんなに有名?」 「悪名高い、というのが正確ですね」 目を据わらせるカスラに、アゼルはケラケラと嗤う。アゼルが所属しているチームは、実力こそあれ、規律と風紀を乱してアークスの品性を貶めること多々ある、やっかいな集団だった。多少の注意勧告など、彼らには馬耳東風だ。 「見覚えのあるデータです。貴方も前科持ちでしょう?違法な装備を作った・・・・・・」 「その時は素晴らしく運が良くて出来ちゃったんだから仕方ないだろ?それに、いまは持ってない。金かけたのに没収されたし」 「当然です」 ぶぅと唇を尖らせるアゼルに、カスラは額を押さえて嘆息した。 「なるほど、ここに出入りするのも頷けます」 「勘違いすんなよ。この辺は俺の古巣なだぁけ。アンタを見かけたのも偶然・・・・・・」 目の前に山盛りのソバメシが出され、アゼルの口はしゃべることから食事へと役目を変えた。その代り、マスターのロイが口を開いた。 「アゼルは殺しが上手い。俺を含めて、あの頃のガキが、何人も助かった」 「んふっ、ふきほほものにょじょうずなれ、って・・・・・・」 「口の中に入ったまましゃべるんじゃねぇ」 「ごっくん」 スラムで暮らしていた少年には殺人の才能があり、身を守るために子供を食い物にする大人たちを屠ってきた。それが長じての、現在なのだろう。 「スラム歩きたいなら、俺が案内するよ?」 「機会があればお願いしますよ。今夜は、ここへの道を、自分の目で確かめたかっただけです。すぐにお暇します」 「ひょっか、いふれも・・・・・・」 「アゼルッ!」 「んんー!」 面倒見のいい兄と、行儀の悪い弟のやり取りを見ているようで、カスラは知らず苦笑いを溢した。カスラには両親も兄弟も存在しないし、こうやって食事を出してくれたり、行儀の悪さを窘めてくれたりする人もいない。 − カスラ・・・・・・ 大嫌いな人の声が、脳にこびりついている。自信過剰で、常に人を見下し、馬鹿にしていた飼い犬に手を噛まれて滅びた人。 もう聞くことはないと思っていた、もうあの姿を見ることはないと思っていた。それなのに・・・・・・。 「どうしたの、カスラ?誰か殺したい人でもいる?」 驚いて見返すと、暗くて深い青味のある緑色が、優し気なたれ目の中で刃の輝きを煌かせていた。それは自分の快楽が合法的に得られると期待しての、心から楽しそうな輝きだった。 |