異質な人


 気さくに掛けられた声に応えて、ゼノは久しぶりに見る顔に表情をほころばせた。
「よう、お前さんか。久しぶりだな」
「ほんとだよ。六芒均衡就任、おめでとうございます。もう雲の上の人だなぁ」
「おいおい、勘弁してくれよ」
 慇懃に祝辞を述べる四つ年下の後輩に、ゼノは憮然と苦笑いをこぼした。相手の方も、口元に笑みを閃かせる。ゼノからは見えにくいが、その目もきっと、微笑んでいることだろう。
「ゼノ、なんかヤツレたんじゃね?」
「ああ、きっと姐さんのシゴキのせいだな」
「マリアさんが脳筋って噂は本当か」
「あー・・・・・・わりとな」
 地獄の特訓を思い出したらしいゼノは、命がいくつあっても足りないと呟く。だが、痩せた事実はなく、実際は、増えた筋量を支えるために、少し太ったくらいだ。彼がやつれて見えたのは、心労とか重責とか、おそらくはそんなもののせいだ。
「ああ、そういえば!」
「?」
 ゼノはすばやくあたりに目を配りながら、相手の腕を引いて引き寄せ、人気をはばかるように声を低めた。
「お前さん、『絶対令』アビスが効かないって、本当か?」
 きょとんとした表情が、複雑な色合いをみせながら微細に動き、結局は微笑んだ。
「ああ、本当だよ」
 長い前髪とサイバーグラスで、自分の目を人目から遮って生活しているイグナーツが、深刻そうな心配顔をするゼノに、たいしたことじゃないと事実を打ち明けた。
 さすがに人通りの多い場所で話すことではないと、ゼノとイグナーツは、清涼飲料水のボトルを片手に、改装の進んだショップエリアを歩いて、市街地を見下ろす広場のベンチに腰かけた。
「そうか、六芒均衡にはそういうリストがあるんだな」
「まあ、なんだ・・・・・・つまり、そういうことだな」
 ばつが悪そうに赤毛をかきまわすゼノに、イグナーツは何処から話そうかと首をかしげた。
「ゼノは、俺の目のこと知らないんだっけ?」
「病気の後遺症がある、としか聞いてないな」
 イグナーツは頷き、少し長くなるけどと前置きをして、『絶対令』が効かない理由、及びその原因を話し始めた。
「面倒くさいから、病気とか障害とか言っているけど、俺の視力自体には問題がないんだ。ただ俺の目には、生まれつき、人を狂死させる、変な力がある」
「生まれつき?」
「そう。・・・・・・ルーサーの実験のせいじゃないよ。彼の言葉を借りるなら、イレギュラー、かな」
 イレギュラー(変則)というより、フォーリン(異質)という方が、より近いだろうか。とにかく、イグナーツは自分の目に関して、虚空機関ヴォイドの総長は、発生には関わっていないはずだと断言する。
「ただ、ちょっとくらいの興味はあったんじゃないかな。それか、珍しいサンプルとして。処分されずに、こうして生きているんだからね」
 イグナーツは通称『パニック・アイズ』と呼ばれる邪視の持ち主であると同時に、後天的にフォトンの傾向が変化して第三世代になった、珍しいタイプなのだ。
「よく弄繰り回されなかったな」
「ルーサーの実験に耐えられるような体じゃなかったんだよ」
 イグナーツは生まれつき心臓が虚弱であると同時に、人工臓器を受け付けないほど繊細な体質だった。つまり、キャストになることすら不可能だったのだ。
「まわりの人間が発狂して死んでいくのが、俺の目のせいだってわかったら、その研究はすぐに始まったらしいよ。でも、俺たちの遺伝子には、何の問題も、普通の人との違いもなかった」
「どういうことだ?」
「人為的にどうにかなる物じゃない。つまり・・・・・・スピリチュアリティーとか、オカルトな代物だってことさ」
 一瞬胡乱気な表情になったゼノが、ふと目を見開いた。
「俺たち?」
「ああ・・・・・・弟がいたんだ。双子の。詳細は省くけど・・・・・・いまは、ここにいる」
 イグナーツが自分の胸を指差し、それが心臓の一点を示していることを、ゼノはすぐに悟った。
「俺は生まれてからずっと研究対象にされていて、多少わかったこともある。この目にも相性があるらしくて、まったく平気な人もいれば、即死する人も、長く苦しんで死ぬ人もいた。・・・・・・この目で何人殺したかは覚えてない。自覚して多少コントロールできるようになったとはいえ、いまでも第一級の危険物なんだよ」
 その危険なイグナーツが、アークスとしてその辺をうろつき回れるのは、本人の制御しようとする意志と、なにより一人でも戦力を確保したかった、当時のアークス上層部の苦渋の判断だった。
「でもさ、レギアス達は、そんなの気にしていないと思うよ。ルーサーが、もしかしたら俺を駒にするかもしれない、っていう潜在的な危険を心配したかもしれないけどね。俺の目は、キャストの電子アイだって貫通する」
 信じられないという面持ちのゼノに、イグナーツは肩をすくめてみせた。
「ジグさんとかサガみたいに、どこに目のセンサーがあるのかわかりにくいと、一瞬では合わせづらいけどね。レギアスやマリアみたいなヘッドパーツだと、相性悪くなければ一発だろうな。ま、六芒均衡相手に、この目を使おうとしたって、目を合わせる前に殺されているさ」
 圧倒的な力量差は承知している、とイグナーツは微笑む。
「言っとくけど、俺は人殺しをしたいわけじゃない。できれば、こんな目はないほうがいいんだ」
 ないほうがいいが、ないとアークスとしての活動ができなくなる。だから、他人から見えないようにしているのだ、という。
「俺が幸運だったのは、ルーサーがやっていたいろんな研究の中で、俺の研究よりも、造龍とかシオンに関する他の研究の方が、興味を引いたことだと思う。扱いにくい俺よりも、耐久性の高いものの方が、弄りやすかったんじゃないかな」
「扱いにくかった自覚があるのか」
「あるよ。だって、俺はもう自覚できる『力』を持っていたからね」
 自嘲するように、痛みをこらえるように、イグナーツは苦笑いを浮かべ、少し甘いスポーツドリンクを口に運んだ。
「ルーサーは頭いいけど、自分より弱い奴しか丸め込むことができない、卑劣で卑怯なタイプだ。でも俺は既に、十分すぎる力を持っていたし、もしも俺を誑かせても、保管するのに苦労したはずだ。下手に手を出して、自分が狂死する危険も冒したくなかっただろう」
「なるほどな。・・・・・・って、お前さんの言う通りだと、まさか、ルーサーもその目の力とやらでやっつけられたのか!?」
 愕然とするゼノに、イグナーツは首を横に振った。
「無理だよ。・・・・・・っていうのがわかったのは、だいぶ後だったけどね」
 イグナーツはレルシュの名前をあげ、彼の名前もリストにあっただろうと言った。たしかにその名は、ゼノが見た『絶対令』を無効にする人物リストのなかにあった。
「俺の『パニック・アイズ』は、ダーカーには通用しない。だから、ダークファルス【敗者】である、ルーサーには効かなかったと思う。それに、ダーカー因子に親和性がある人にも効きにくい・・・・・・といっても、ただのデューマンじゃ、抵抗率も、あって数%程度だと思う。『混血』のレルシュくらいじゃないと、弾き返すのは不可能だよ」
 『絶対令』の受容設定は、アークスになるときに、拒否権なしに遺伝子レベルで組み込まれる。ところが、イグナーツやレルシュの身体は、元々持っている他者への強制力や抵抗力により、その受容を無効だと再書き換えリ・リライトしてしまうのだ。
「俺たちは、別に六芒均衡になれるほどの実力があって、『絶対令』を弾くわけじゃない。だから、『絶対令』を発令することはできない。あくまで、一般員のように無効なだけだよ」
「はあぁ〜。なるほどねぇ」
 疑問が解けたとゼノは頷き、ボトルに口を付けた。
「『絶対令』が効かない理由はわかった。で・・・・・・ここまで聞いといて、さらに立ち入るようで悪いんだが・・・・・・それ、治るのか?」
 半ば答えがわかっていても、聞かずにはいられない。そんなゼノの心理にも、イグナーツは嫌がらずに答えた。
「無理じゃないかな。さっきも言ったように、俺のコレは、科学的に説明ができるモノじゃない。だから・・・・・・どうにもならないんじゃないかな」
「科学的に・・・・・・じゃないとしたら、なんなんだ?」
「呪いじゃない?それか、業ってヤツかもね。ロ・カミツなら、なにか適切な言葉を知っていそうだけど」
 どちらにせよ、まったくもって非科学的だと、イグナーツは笑う。
「大昔、俺と似たような力を持った人がいた、という記録が、無いわけじゃないんだ。ただ、本当かどうかわからないし、その人が俺たちの祖先なのか、フォトナーの誰かだったのか、それもわからない。もしその人の遺伝子情報があれば、俺との共通点を探すことができたかもしれないけどね」
 イグナーツは飲み干した容器を握り潰し、ダストボックスに放り込んだ。
 アークスでありながら六芒均衡に強制制御されない、戦闘能力を有する下層アークス。それは確かに異質で、不穏分子として始末される可能性が、全くないわけではない。それと同時に、強力な切り札ジョーカーになる状況も皆無とは言えないだろう。
「まあ、そういうわけで・・・・・・もしかしたら、俺たちが役に立つことが、あるかもしれないね?」
「不吉なことを言うな」
 先日のように、アークス同士で戦闘になるようなことは避けたい。ゼノが不愉快気に眉をひそめると、イグナーツも悪かったと謝り、自虐の笑みを納めた。
「いやはや、世の中にはいろんな奴がいるもんだ。話してくれて、ありがとな」
「どういたしまして。ゼノになら、別に隠すこともないしさ」
 勢いをつけてベンチから立ち上がったゼノに、イグナーツは肩をすくめてみせた。淡い青銀色の長い前髪が揺れる。
「そういやあ・・・・・・なんでサングラスとかにしないんだ?視界が悪いだろ」
 目を隠すだけなら、前髪を短くして、ゴーグルやサングラスでもいいはずだ。だがイグナーツは、わかってないなと首を振って見せた。
「ゴーグルとかサングラスは、似合わないからだよ。立派な理由だろ?じゃあ、またね」
 イグナーツはにっと唇の端を持ち上げて、唖然としているゼノに手を振って歩き去っていった。
「・・・・・・いやまあ・・・・・・そうかもしれねえけどよ」
 ゼノは頭をかいて、もっともらしい答えを期待していたらしい自分に呆れた。イグナーツは上手くはぐらかしたのか、案外本気で言っていたのかもしれない。後輩の秘密を知ったはずなのに、どういうわけか以前よりもつかみどころがなくなったような気がして、ゼノは自分に向かって苦笑いをこぼすのだった。