幾万の星の中で


 わりと最近まで、俺は本物の空を見たことがなかった。
 いや、「本物」というと、ちょっと違うかもしれない。人工の空や宇宙は見慣れているのだから、「天然」の空、と言った方がいいんだろう。
 ミドルスクールで漫然と講義を聞きながら、ふと窓の外に広がる人工の空に虹を見たのは、ほんの数か月前だというのに、なんだかずいぶん昔のような気がしてきた。

 ゲートエリアのソファに座り込み、ラダファムはぐったりと伸びていた。たったいま、ナベリウス凍土での任務から戻り、這いずるようにキャンプシップから出てきたところなのだが、しばらく立ち上がれそうにない。
「おいおい、ヘタレすぎだぞ」
「んなこと言ったって、ナッツ先輩・・・」
「ま、ファムたんにはちっときつかったかな。あと、いい加減に先輩ってのと敬語ヤメロ。呼び捨てでいいっつってんだろ。ここぁ学校じゃねーし、同じアークスなんだ。もう一緒に行ってやらねーぞ?」
「うえぇ・・・、それは勘弁してくだ・・・くれよ、ナッツ」
「そう、それでいい」
 ラダファムの前に立っているニューマンの男が、重々しくうなずきながらも、ニヤリと薄い唇を笑いの形にゆがめた。前を長く残したショートマッシュの髪は、やや青みを帯びた灰色で、人口の光の下ではぼんやりと銀色の輝きがあるように見える。さらにサイバーグラスもかけていることで、その表情はほとんど見えない。ただ、彼の両目が印象的な金色だということを、ラダファムは知っていた。
 ナッツというのは彼のあだ名で、本名はイグナーツという。元の名前の方がかっこいいのだが、本人は可愛らしいナッツの方を好んでおり、自分からあだ名の方で呼ぶよう広めている。同じように本名のラダファムではなく、ファムたんと呼ばせる後輩に対して、少なくない親近感を抱いているようだ。
「成長が早いのは認めるが、あんまり無茶はするなよ。テメェの命が一番大事なんだからよ。あと、砲台になりすぎだ。集中したいのはわかるが、チャージ中に動けるよう訓練しとけば、被弾も少なくなる」
「うん、わかった」
 素直にうなずくラダファムは、長杖を抱えたフォースだが、アドバイスをくれるイグナーツはハンターだ。器用に自在槍を操り、瞬く間にエネミーを殲滅していくスピードは、ラダファムもあっけにとられるほどだ。
 そのイグナーツが、満足気にラダファムを見下ろしている。
「ファムたんなら、すぐにテクターになれるだろ。飲み込みも早いし、何よりタフだからな」
「えっへへへ」
 照れ笑いをするラダファムの肉体は、年齢にちょっとそぐわないほど発達している。水色のレーベンシルトが覆わない肌は褐色で、イグナーツよりもがっしりとした筋肉が盛り上がっていた。テクニックを操るフォースでありながら、近距離での肉弾戦もこなせるテクターになるためだが、そもそも筋トレが趣味というマッチョなのだ。顔は愛らしい部類に入るので、首から上と下が別人と思われても仕方がないかもしれない。
「ソロでテクタークラスを開放できたら、ご褒美くれてやる。がんばれよ」
「まじで!?あ・・・ナッツは?」
「俺はこれからリリーパでの調査依頼が入ってるんでな。しばらくはそっち方面だな」
「そっか。気を付けてな」
「おう、お前もな。じゃ、お疲れさん」
 片手をあげて歩き去っていくイグナーツに、ラダファムはぶんぶんと手を振った。
「おつー!」
 アークスでごった返すロビーに、白いシークイエーガーの背が紛れて消えてしまうと、ラダファムは再び、ソファに腰を落ち着けた。歩き慣れない雪の中を、イグナーツのスピードに合わせて走っていたのだ。まだ疲れすぎた脚の違和感が抜けない。
「うひぃ・・・久しぶりに筋肉痛かな」
 少し頭を動かすと、自分の顔が反射して映る窓の向こうで、新たなキャンプシップが出発していくところだった。誰が、どの星に行くのだろうか。
 目の焦点を近くに戻し、窓に映る自分の顔を見つめる。浅黒い褐色の肌に大きな青い目、ふんわりとした金髪。愛らしい笑顔、元気がはじける笑顔、そんなふうに売り込んでいたはずだが、疲れ気味の顔に思わず苦笑いがこぼれた。自分が急に年を取ったような気がして、感傷的になるなんて自分らしくないと窓から視線を引きはがした。
 そろそろ自分の部屋に帰ろうと立ち上がる。いつまでもアークスたちでごった返すロビーにいては、邪魔になる。
「っとその前に、報告行かなきゃな」
 指定されて集めてきた収集物を抱え上げ、ラダファムはクエストカウンターへと歩きはじめた。
 スペースゲートやクエストカウンター前は、多くのアークスたちが行き来する。ラダファムはその合間を縫うように歩いていたが、押されるように目の前によろめいてきた影を避けようと、とっさに足を踏ん張った。
「うぉ・・・ぶっ」
「うわあっ、す、すみません・・・っ!」
 ラダファムの前でたたらを踏んで、結局ぶつかったのは、センシアスコートを着たニューマンの青年だった。長杖を背負っているので、ラダファムと同じフォースだろう。ぺこぺこと頭を下げるニューマンの青年に大丈夫と手を振り、ラダファムはデイリーオーダーの報告に向かった。
 収集品と交換に、担当官から報酬をもらってカウンターを離れると、さっきの青年がまだうろうろしていた。目的地があって移動しているアークスたちの間で立ち止まったり、モニターを見上げたりして、なんだか邪魔になっているように見える。
「おにーさん、大丈夫?」
「あ、すみません・・・」
 そのニューマンは、ラダファムよりけっこう年上で、大人に見えた。イグナーツよりも年上かもしれない。真っ白な髪で穏やかそうな顔立ちをしていたが、赤い縁付きの眼鏡の奥も、赤い目のように見える。
「あの・・・この書類を出しに行きたいんですが、どこに行けばいいんでしょう?」
 青年が差し出した書類は、惑星ナベリウスの森林探査に関する物で、ごく初級なオーダーだ。アークスなら誰でも通過するものだが、このニューマンは歳の割に、つい最近アークスになったばかりのようだ。
「ああ、コフィーさんのところだけど・・・」
 そのオーダーを報告する相手は、いまいる場所から人混みを突っ切っていかねばならない。口で説明するだけでは、彼がカウンターにたどり着けるまでに、あと一時間はかかるかもしれない。
「こっちだよ」
 苦笑いを失礼だと思って噛み殺し、ラダファムは青年の手を握って、なるべく邪魔にならないよう、人混みの外周を急ぎ足で通り抜けた。
「このブロックはチームとか、PTをマッチングさせて出たいやつが多いから、いつも混んでるよ。勧誘待ちでなければ、もっと空いているブロックに移動した方が楽だよ」
「ブロック?チーム?」
 青年はいくつもクエスチョンマークを浮かべており、本当に新人のようだ。
「まぁ、いっこいっこ覚えていけばいいんじゃないかな。ほら、この列だよ」
「あぁ、ありがとうございます」
 見覚えのある担当官を見つけられたのか、ニューマンの青年はホッと表情を緩めた。
「んー、アークスになったばっかり?知り合いとかいないの?」
「はい、まだ・・・」
「じゃあ、これあげる。おにーさんよりはアークスやってるから、多少はわかんないこと教えてあげられると思うし」
 ラダファムはパーソナル端末を操作し、青年にパートナーカードを送信した。
「ラダファムさん・・・?」
「ファムたんと呼んでくれぃ。その方が可愛いからな」
 胸を張ってふんすふんすと鼻の穴を膨らませるラダファムに、青年はにっこり微笑んで、自分のパートナーカードを送信してくれた。
「クロムさん?」
「はい。よろしくお願いします」
 明らかに年下のラダファムにも丁寧にお辞儀をするクロムは、ひょっとして育ちがいいのだろうか。荒くれ者も多いアークスの中で、ラダファムはちょっと守ってあげなきゃという保護者にも似た感覚を覚えた。
「では、報告に行ってきます。わざわざ案内してくれて、ありがとうございました」
「いいってことよ。俺もあんまりアークスの友達いないし、これからもよろしくな。じゃ、まったなー!」
 深々とお辞儀をした後、ラダファムに合わせて手を振ってくれたクロムに背を向けて、ラダファムはテレポーターに向かった。
「あー、明日は一日休みにしよ」
 おもだるい体にぼやくが、それでも体を動かすことは大好きなので、適度な負荷にまた筋肉がつくかと思えば、それはそれで顔がゆるむのだった。
(ナッツと凍土に行けたし、クロムと友達になれたし、今日は有意義な一日だったな)
 自分の部屋に帰りつき、ラダファムはウィオラキャップを外して、うんと伸びをした。
「もうこんな時間か。うーん・・・飯はデリバリーでいいか」
 マイルームの窓から見える市街地の天井は、人工の星空になっていた。手を伸ばせば届きそうな・・・ホログラムで出来た満天の星々だった。