優しい黒翼


 空調と人混みのせいで、渋谷駅地下通路は外よりずっと暖かい。多くの人が流れていくその片隅に佇む、すらりとした長身を見つけて、竜司は眉を上げた。
「祐介じゃねえか。なにやってんの?」
「竜司か。・・・・・・俺は人間観察だ。そちらこそ」
「いや、俺はゲーセン行こうかと思ったけど、さみーからモールでも覘くかなって・・・・・・」
 互いの顔にもの言いたげな雰囲気を感じ取ったせいか、竜司は祐介のそばで壁に背を預けてしゃがみ込み、祐介もその行動に何も言わない。
「お前、いつも一人でこんなとこに立ってんの?」
「だいたいは。たまに・・・・・・彼に、付き合ってもらうこともあったが」
 祐介の秀麗な顔に影が落ちるのを見上げ、竜司もため息をつく。
「俺も。・・・・・・なんか、いまのアイツ誘い辛くてよ」
「・・・・・・・・・・・・」
 獅童のパレスで明智の反応が消えた翌日、彼はすぐに真に頼んで冴と連絡を取ったらしい。もしかしたら、現実世界の議事堂のどこかで、ひとり身動きが取れなくなっているのかもしれないから探してほしいと。
「相変わらず、連絡は取れないか」
「ダメだ。警察も真のねーちゃんも、隅々まで探してるけど、まだ見つけられてねえってよ」
 期限まで時間がないし、明智の希望通り獅童のオタカラを頂戴するのを優先した。だがそれによってパレスが消滅してしまい、納得するまで探すことが出来なかった。明智の反応はないという、双葉のナビを信用しないわけではないが、彼が無念がっているのは誰にでもわかった。
「本人のシャドウが死んだら廃人決定。認知存在だけなら、現実の本人に影響はねえ。だけど、あの明智は生身だった・・・・・・」
「パレスの中で、生身の人間が死んだら?」
「俺が知るかよ。つか、異世界に入れるのだって、俺らだけだと思っていたし。・・・・・・モルガナだって、知らねえだろうよ」
 必ず成功させなくてはならない、そんな状況ばかりで、いつだって慎重に行動してきた。自分たちはいつだって、リーダーの黒いコートの背を追いかけて、情報を上げ、指示に従っていればよかった。
 自分たちには仲間がいた。助けてくれる、受け入れてくれる、共に考え、行動できる仲間が。だから、ひとりひとりは矮小で脆弱でも、大きな困難に立ち向かってこられた。
「俺、明智なんて大嫌いだけどよ。・・・・・・だけど、こんなクソな結末なんて、望んでねえ!」
 タイルに覆われた床に拳を叩きつける竜司の金髪頭をちらりと見下し、祐介も深く息をついた。
「・・・・・・俺たちは、恵まれていた。彼と出会えた幸運がなければ、明智のような力はなくとも、メメントスでいじけている輩程度には、歪みに囚われた道を歩んだかもしれない」
 あと数年早く出会えていれば・・・・・・。巨大な憎悪にまみれた、圧倒的な個性は、そう、残念がった。
 明智は彼を「心が自由だ」と評した。その通りだと祐介も感じたし、竜司も同感だ。理不尽なことが許せないくせに、その寛容さと優しさに、自分たちは何度も救われてきた。・・・・・・あの明智だって、きっとそうだ。だからあの時、自分たちは隔壁に阻まれたのだ。
「・・・・・・選挙は、来週か」
「獅童のヤツ、ぜってぇ改心してくれよ。マジで頼むぜ・・・・・・」
 オタカラを強奪した瞬間、現実の獅童に何やらトラブルが起きたようだったが、いまのところ獅童が死んだとか廃人になったとかいう報道はない。
 彼は獅童の改心に関しては、いつも通り信じているようだが、やはり現実世界でも連絡の取れなくなった明智の行方を心配しているらしい。いつも通り振る舞っているつもりのようだが、いくら顔に出にくいタイプだと言っても、一緒に修羅場を潜り抜けてきた自分たちが気付かないはずがない。
 あの時、隔壁越しに明智と約束した彼が、こぶしを握り締めて静寂に背を向けたのを、自分たちは見ている。動揺する自分たちを率いて帰還するために、蒼白になった唇をかみしめてでも、彼は踵を返す必要があったのだ。
「俺さぁ、全然あいつの役にたってねえよ。助けてもらってばかりでさ」
「そこまで卑下することはないだろう。うちのアタッカーと言えば竜司だ」
「んや、シャドウとの戦いじゃなくってさ。・・・・・・なんていうか」
 言葉が途切れた二人の目の前を、大勢の通行人が行きかっていく。何も知らない、一般人たちだ。時にはメメントスに現れることがあるかもしれないが、世間を騒がせる怪盗団すら娯楽のひとつにしてしまう、平和な人たちだ。
 そんな人たちに埋もれてしまう、小さな悲鳴を、自分たちは、彼は拾い上げてきた。いまは逆境だとしても、自分たちは彼の心が折れることはないと確信できた。
「彼は、心が強いからな」
「そう、それ。心の頭がいいっつーの?」
「心の・・・・・・頭?」
 理解が追い付かずに眉をひそめた祐介に、竜司は短い眉をぎゅっと寄せて、恥ずかしそうに口をとがらせる。
「そういう感じじゃねーか。あんましゃべんないくせに、俺たちが一番欲しい言葉を言ってくれるしさ。俺、すげー助かってる」
「たしかに。彼の言葉は、迷いで絡まった心が解かれ、整えられるようだ」
「そうかと思えば、しれっとした顔で、一番体張ってんのも、あいつなんだよな」
「ああ」
 怪盗団を壊滅させる罠を喰い破るために、彼は自ら死地ともいえる危険に飛び込んでいった。無事に帰ってきたからよかったものの、痣だらけになった彼と再会した時を思い出して、祐介は身震いをした。
「あれは計画的だったが、しかし、あんな思いは二度と御免だ」
「俺だってそうだよ。・・・・・・つっても、またしれっとした顔でなんかやらかしそうだとは思うんだけどな」
 あれは止められねえわ、と竜司はあきれ顔で嘆息し、祐介も渋々頷かざるを得ない。大人しそうな顔をした怪盗団のリーダーは、時に団員も仰天するほど大胆なことをするのだ。それが、「誰かを助けるため」という信念の下であるから、誰も文句は言えない。
「しかし、だからこそ、彼は俺たちのリーダーだ。彼が危険を承知で進むのならば、俺たちがその手助けをしてやればいい」
「ちがいねえ」
 祐介が柔らかく、竜司がニヤリ、と笑う。
 いまは心を痛めて沈んだ顔をしていても、獅童の件がきれいに片付くか、明智との連絡がつけば、きっといつものリーダーに戻ることだろう。
 ポケットから呼び出し音が鳴り、二人は同時にスマホを取り出した。
「はぁ!?いまからメメントス行くのか!?いや、文句はねぇけどよ」
「ククッ、こんな時でも人助けとは・・・・・・」
 苦笑いで了解の返信を打つと、二人は連れ立って田苑都市線の改札を通り抜けた。
「はぁー、なんか心配して損した。ふつーに元気じゃねーか」
「彼だって、体を動かしていたほうが、考えなくて済むと思っているのかもしれないぞ」
「はん。それじゃ、気のすむまで付き合ってやりますか」
 地上では十二月の冷たい空気に、獅童を応援する選挙カーの声が喧しく響いていることだろう。だが、もうそれがむなしい努力だということを、自分たちだけが知っていた。
「よっしゃ!いっちょ、派手にぶちかましてやんぜ!」
「歯ごたえのあるターゲットだといいな。・・・・・・そのまえに、腹ごしらえにルブランのカレーが食べたいが」
 他のメンバーもすぐにアジトに集まってくるだろう。二人は急いで、四軒茶屋行きの電車に乗り込んでいった。