正義の代償


 新品の薄茶色のジャンプスーツにはまだ慣れなかったが、秀尽の制服や怪盗服にも慣れたのだから、そんなに気にはならなかった。どうせ一年ほどの我慢だ。
(一年間の保護観もしのげなかったけどな)
 暁は自分にツッコミを入れて、額を押さえる。現状に満足しているとは言わないが、こうなった自分の判断を間違っていたとは思わない。
 少年院に移送されてから、まだ一週間ほどだが、検察が聴取に来る以外は、ひたすら自分自身や家庭環境などの作文を書かされており、そろそろ書くことがなくなっている。自由時間があっても、暇をつぶすものがなくて退屈だ。スマホは万が一を考えて、行っちゃ嫌だと泣く双葉に預けてきたし、せめて何か読める本があればいいのだが・・・・・・。
(筋トレでもやるか?)
 まだ独房暮らしだが、そろそろ集団室に移されて、行動訓練のようなものが始まるはずだ。面倒くさいとは思うが、できない、とは思っていない。やろうと思えば、暁はどんな仮面でもかぶれた。たとえば、模範生の仮面、とか・・・・・・。
(囚人慣れしたからな)
 慣れたくないものだが、ベルベットルームの独房を見慣れていなければ、現実の監獄に閉じ込められて、さぞ心細く感じたことだろう。法務教官からは、暁の異様なほどの冷静さに奇異の目を向けられたが、事情を知る担当官からは、逆に警戒されているようだった。「他人の心を自在に操る」そんな先入観を持たれているのかもしれない。
 壁に背を預けて目を瞑り、狭い独房の風景を視界から追い出す。一月の凍てついた空気は、鉄筋コンクリートを侵食して室内にもその触手を伸ばしていた。凍死しないように空調はかけられているが、ギリギリ不快に感じるこの温度は、暁の神経を不必要に刺激した。
 今日も聴取のために検察官が来たが、そこでの不毛なやり取りが、まだ眉間にチクチクと刺さっているような気がする。怪盗団の味方である冴は物腰が柔らかくなったが、それ以外の警察官や検察官は、相変わらず暁を犯罪者扱いして態度がとげとげしい。
 仲間のことは一切しゃべらない、そういう条件で出頭したはずなのだが、彼らは執拗に怪盗団のメンバーについて追及してきた。獅童の悪事や、明智や暁の使っていた能力に関することだけでは、彼らの手柄にならないとでもいうのだろうか。
(まあ、目に見えないことだから)
 一般人には到底想像の及ばない手口だからこそ、怪盗団が活躍できたという一面もあるのだが、彼らには目に見える犯人が欲しいのだろう。あまりにもしつこく、卑劣にも冴が暁とかわした取引を反故にしようと脅してきたので、さすがにキレてしまった。
 公安の自白剤と暴力の拷問にも耐えて、暗殺者の手から生還したのは自分だと。せっかく自分を出頭させた新島検事の顔を潰したいのか、ここの監視カメラは特別尋問室の様に飾りかな、と。
 検察官の顔がザッと青ざめ、立ち会っていた法務教官の顔が険しくなったが、暁はそれ以降、一切口を開かずに黙った。態度が悪いと評価されても、一回ブチキレるくらいかまわないだろう。ハッタリが効いて、向こうが黙ればそれでいいのだ。
「・・・・・・・・・・・・」
 目を開くと、相変わらず殺風景な独房の壁が見えた。苦しくないと言えばうそになる。自分は自由を知っており、自由のために抗ってきたのだから。それでも、これが正しいと思ったのだから、後悔はない。

― 己が信じた正義の為に、あまねく冒涜を省みぬ者よ
   たとえ地獄に繋がれようと全てを己で見定める、強き意志の力を

 虚空に伸ばした手が空を掴んで強く握りしめられ、暁は大きくため息をついた。それが自分の性なのだから、仕方がない。
 獅童とその取り巻きに関して、パレスで知りえた罪はすべて証言した。二年半前に遡る、一色若葉の不審死に関する裏と実行犯の関係についても証言をした。行方不明になっている女性カメラマンが、獅童の邪魔になったせいで廃人にされた可能性も伝えたから、大宅が相棒の敵討ちをする手助けになればいいと思う。それらに比べればささやかだが、自分が獅童と関わって前歴が付いた、最初の事件についても。
 認知訶学を利用した、「廃人化」と「精神暴走」と、自分たちがやった「改心」との、具体的な手法の違いは、説明しても当事者以外は納得しにくいだろう。なにしろ、やっていた当人たちですら、「そういうものだ」という認識と納得しかしておらず、与えられた道具と目覚めた力に関しては、まさに人知を超えたシロモノだったのだから。特にメメントスが無くなってしまった現在は、再現のしようもない。
「・・・・・・・・・・・・」
 結局、明智は行方不明のままだ。死体は確認していないが、おそらく獅童のパレスごと・・・・・・。
(助けられなかった・・・・・・)
 その事実だけが、いまも暁の胸を締め付け、良心を苛んだ。どうしようもなかったと、割り切るしかないのはわかっていたが、自分と同じように悪神に利用された片割れを失ったのは、いつまでも強い憤りと哀惜をもたらしていた。
(もう二度と・・・・・・)
 罪を重ねることでしか前に進めなかった、彼の悲劇は繰り返してはならない。そう強く思うのだが、具体的にどうすればいいのかなど、皆目見当もつかない。このまま大人しく少年院で過ごしているうちに、気持ちの整理がつき、良い考えが浮かぶのもと、淡い期待を持つしかなかった。
 就寝前の点呼が始まり、暁は独房の扉の前に立った。まだ当分は、“更生に励む囚人”でいるしかなさそうだ。
(モルガナ・・・・・・)
 屋根裏部屋のベッドで一緒に寝た、あの小さく柔らかな温もりが恋しかった。いまの暁には、態度のでかい希望すら、そばにいなかった・・・・・・。

 少年院の集団行動訓練は厳しい。軍隊並みとはよく言ったものだが、暁は持ち前の体力で付いていくことはできても、目立たないように緩く生活してきたツケか、きびきびと団体行動することはひどく疲れた。
(同じキビキビでも、自分のペースで行けたパレスの方がマシだ・・・・・・)
 だらしねぇなぁ、などと足元から聞こえてくる声もなく、暁は天井を仰いだ。運動の為の筋肉ではなく、主に不動の姿勢を保つための筋肉が不平の軋みをあげていた。
 こういうのは、真や杏や春の方が、意外とついて行けそうな気がする。双葉は論外だが、元陸上部でも短気な竜司や、日常生活ですらマイペースな芸術家肌の祐介にも難しいだろう。いや、絶対に無理だ。
 集団室にもかかわらず、ぐったりしている暁に、誰も声をかけない。私語厳禁であるここの生活だから、暁としてはありがたいのだが、それ以外に、妙な空気があった。強いて言うなら、秀尽学園に転入したての頃の雰囲気と似ている。
 あからさまなうわさ話は聞こえてこないが、避けられているような気がするのだ。暁が「傷害」でここに入ったことが知られているくらいなら、こんなによそよそしくはないだろう。だが、「怪盗団のリーダー」だとは知られていないはずだ。
(まあ、いいか)
 必要な伝達事項はきちんと伝わってくるので、いじめもなく煩わしくもないのは好都合だ。
 ところがまもなくして、その理由が分かった。
 自由時間に談話室のTVでニュースを眺めていた暁の前に、数人の少年が立ち塞がった。見かけたことはあるが、話したことはない。彼らから発せられるピリピリとした空気は、新参者の暁からの挨拶を要求しているように思われたが、暁は故意に無視をした。
「・・・・・・見えない」
 ぶわっと殺気じみた怒気が膨れ上がったように見えたが、さり気なく暁の隣に、別の少年が立った気配がした。
「お前が来栖か」
「そうだ」
 太く低い囁き声に、暁は視線を動かさずにうなずいた。
「・・・・・・・・・・・・」
 隣に立った少年の仕草で、暁の前に立ち塞がっていた壁がぞろぞろと離れていき、やっとTVが見えた。永田町で正月早々行われたデモを映していたらしいニュースが切り替わって、スポーツの話題になったところだった。
「外で仁義張ったんだってな。手出しさせるなと言われている」
 そこで初めて暁は目を見張り、少年を見やった。暁のくせっ毛とは対照的な、五分刈りの坊主頭があった。年は暁より少し上、二十歳くらいに見える。暁よりもがっしりとした体躯で、眼差しに剃刀のような鋭さがあった。
「まさか・・・・・・」
 思わずこぼれた暁のつぶやきに、少年はTVを眺めながら、不器用そうに肩をすくめて見せた。
 「仁義」などという単語を使う知り合いを、暁は一人しか知らない。少年院に入った暁を心配して、岩井が手を回したに違いない。
「ありがとう」
 少年はそれには応えず、歩き去っていった。身振りを見るに、まとめ役を任されている上級生だろう。しかしそんなことよりも、塀の外から暁の身の安全に気を配れと言う指示が出ているのには驚いた。
(岩井だって、「元」だし・・・・・・)
 ミリタリーショップの偏屈オヤジが、暁のためにそこまで踏み込んでくれたのは、やはり「仁義」の為だろう。薫もいるし、あまり危険なことはしてほしくなかったが、岩井の心遣いは嬉しかった。
(下手なことできないな)
 暁は首の後ろを撫で、気を引き締めた。外で暁を心配してくれる人たちがいるのに、無様な態度は取れない。暁は改めて、大人しく模範生として過ごすことを自分に言い聞かせた。

 世話になっている惣治郎には迷惑をかけたが、怪盗団のみんなに関しては真に後を任せてきたし、暁自身の処遇については冴に一任してある。あとは暁自身が、自分を見失わずに過ごしていれば、必ず収容期間は明ける。
(大丈夫)
 いままでにも、多くの困難を乗り越えてきた。これまでは仲間がそばにいて、いまは一人きりだと思っていたが、そうではないと光が見えた。
(大丈夫だ)
 きっとみんなが外で待っている。戻ったら戻ったで、勝手をしたことを叱られるかもしれないが、それすらもモチベーションになった。来週から二月だから、出所まではあと十一ヶ月の辛抱だ。
 聴取もなくなり、院の生活サイクルにもなじんできて、さらに精神的にゆとりができたのだろう。少しだけ険の取れた目をこすって暁は布団にくるまり、眠りについた。明日も、またきつい訓練があるのだ・・・・・・。