生きている証


 顔を赤くした喜多川祐介を見上げ、ベッドに押し倒された格好の滝浪昂は、目を丸くしたまま内心舞い上がっていた。
(か、わ、いいいぃ〜〜!!)
 いつも通りのスキンシップやキスから、まさか祐介が上になりたいと思っていたとは考えておらず、ぎこちないリードにテンション爆上がりだ。
「っ・・・・・・」
 しかし、がっちりと掴まれた手首に、大の男の体重がかかって、少し痛い。細身とはいえ、昂が一生懸命太らせている最中だし、それでなくとも意外と祐介は力が強い。竜司と腕相撲でいい勝負をしたことだってある。・・・・・・優勝は真だったが。
「何を考えている?」
「え?」
 昂の気が逸れているのを、祐介は拗ねた顔で指摘してくる。昔から、祐介だけは昂が違うことを考えているのを見抜いていた。それを思い出すと、またニヤニヤ笑いが浮かぶ。
「ちょっと痛いんだ。もう少し加減してもらえると、ありがたい」
 ぴこぴこと両手を振って苦痛を報せると、ばっと祐介の上体が昂の上から退き、昂の両手は自由になった。
「すまん・・・・・・」
 消え入りそうな謝罪の言葉に、昂は体を起こした。すぐそばにある祐介の顔は、暴走しかけた欲情と、体を重ねるための力加減を考えなかった至らなさに、羞恥で余計に赤くなってうつむいてしまう。
「ちょっと緩めてくれるだけ良かったんだよ。退かなくてもいいのに」
「おい、昂っ」
 今度は昂から祐介に抱き着いて、そのままベッドにダイブする。
「どうしたの祐介?祐介のほうこそ、なに考えてるの?」
「なに、と・・・・・・」
 向かい合って抱きしめたまま、どちらが上にも下にもならず、昂はスリスリと祐介の肩口に額をこすりつけた。
「祐介が俺に入れたいってだけなら構わないんだけど、祐介がそうしなきゃって思う様な悪い事、俺なにかしたかなぁって・・・・・・」
「そういう、ことでは・・・・・・ないのだが・・・・・・」
 視線を逸らす祐介を、昂はじぃっと上目遣いに見上げる。祐介は甘ちょろさんなので、たいていのことは口を割ってくれるのだが、言いたくなければ昂もあまり意地悪なことを言うつもりはない。
「身体に聞いたほうが、早いかな」
「ちょっ・・・・・・待て!そういうあれではなく!本当にただ・・・・・・」
「ただ?」
 彫りの深い顔立ちが、言いづらそうに昂の首筋に埋もれてきた。低い声がぽそぽそと耳をくすぐるたびに、頬の熱さがこちらに伝わってくる。
「俺が用意した食事を、無邪気に食べていたお前が・・・・・・か、かわいいと、思って・・・・・・そういう顔をする昂がいてくれることが、嬉しいと・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「だから、別にやましいことは考えていない!」
「お、おう・・・・・・」
 全然やましくはないが、昂の頬まで熱くさせるには十分な理由だった。
「俺、そんな顔して食べていたか・・・・・・」
「うむ」
 同棲を始めてから家事は出来るときにできる方がやっていたし、祐介が作った料理を食べたことも一度や二度ではない。それでも今日は、ことさら昂の顔が緩んでいたということか。
「だって、祐介の料理美味しいから」
「そう言ってもらえるのはありがたいが、俺が感じたのはそういうことではない」
「へ?」
 首を傾げる昂から祐介は体を離し、もう一度、昂の手首を包み込むように優しく握って、シーツの上に押さえつけた。
「お前の命日だったと、思いだした。・・・・・・あの日は、恐ろしくて心配で、一睡もできなかった」
 当時を思い出したのか、祐介の秀麗な顔が苦し気に歪む。
 十一月のあの日ではなく、十二月のあの日とも違う。最後まで心配そうな顔をしていた祐介に、昂は笑って胸を叩いた。『ダメだったら、もう一周するさ。いままでとは違う、心配するな』と。
「・・・・・・あれから何年も経って、正直、忘れていた。昂が生きてここにいることが、どれほど・・・・・・」
 傍らにいることが当たり前すぎて、突然失う可能性がゼロではないということを、また忘れかけていた。昂が平和な笑顔で祐介の料理を食べていることが嬉しいと思ったら、体が動いていた・・・・・・。
 そんなことをポロポロ泣きながら、奥歯を噛みしめてすりつぶすように言葉にする祐介から、昂は目が離せなかった。最終的に全部祐介に話したことで、納得はしてもらったが、いっそう心配をかけた。いまもこうして、時々泣かせるほど心細くさせてしまうのは、昂のせいだ。
「ごめんね」
「あ、謝るな・・・・・・っ、俺は、嬉しいんだと、っ、い、いってるだろ・・・・・・っ!」
 なかなか降りやまない涙の雨に、両の手首をつかまれたままの昂は困ってしまった。このままでは祐介の涙を拭うことも抱きしめることもできない。
「祐介・・・・・・ねぇ、祐介、俺ちゃんと生きてるだろ?」
「当たり前だ!」
「確かめてくれないか?息してるし心臓動いてるし、首も繋がっているよね?」
 昂の温かい呼気を確かめようと、祐介の骨ばった指が昂の唇に触れ、脈を確かめようと首筋に移動していく。その間に、昂はせっせと祐介の涙を拭い、乱れた長い前髪を撫でつけてやる。
(祐介は心配症だ)
 自分が若干能天気だという自覚があるのは否めないが、こんなに泣かれるほど危い人間だとは思っていない。それだけ失いたくないと思ってもらっているのは、確かに嬉しい事ではあるのだけれど。
 まだ昂をじっと見下し、ぺたぺたと触っている祐介に両手を伸ばした。せっかく整えた髪が乱れてしまうが、鼓動を伝えるには一番いい。
「・・・・・・ちゃんと動いているな」
「そうだろ?」
 呼吸するように感性を循環させる芸術家が、他人と自分の情緒も循環させるようになったのは、昂の影響によるところが大きい。そのせいで激しく揺れ動いてしまうことがあっても、それは人間らしくていいじゃないかと思う。ついでに互いの鼓動を聞いて、穏やかな気分になる機会でもあるのだし。
「ねぇ、またおまじないしてよ。祐介のは、最高に効くんだ」
 胸に抱えていた頭が動き、さらりとした髪が指の間をすり抜けていく。見つめ続けてくれる切れ長の目も、コーヒーを淹れると嗅ぎつけてくる鼻も、好意を伝えるだけで赤くなる頬も、どこにも行くなと言ってくれる唇も、なんて愛おしい。
「俺は祐介のおかげで、夢の続きを生きられた。そうだろう?」
「夢ではない。ここにいる俺もお前も、現実だ」
「うん」
 ちゅっと柔らかな感触が首に吸い付いて、思わず仰け反った喉から溜息が出る。息ができること、祐介が作った料理を食べられること、一緒にコーヒーが飲めること・・・・・・。全部、祐介がいなければ出来なかった。
 頸動脈の上を、筋の上を、柔らかな感触がふよふよと移動していく。鎖骨にもぐりこむ気道の稜線を伝い、しつこいほど喉仏を舐められる。
「あ、あの・・・・・・っ、祐介、ちょっとくすぐったいっていうか、そろそろっ・・・・・・」
「起ったか?」
「どストレートに聞くな!?起ったけど!」
 ムードもへったくれもないと苦笑いを溢しながら、昂は祐介の細い体を抱えて互いの位置を入れ替え、シーツの上に投げ出された白い手を恭しく取った。
「俺も祐介のこと、ちゃんと掴まえておかなくっちゃ。変な虫がつかないように」
 蒼く細い静脈が走る白い手首に唇を押し付け、少し強く吸い付く。青い春を謳歌していたあの頃の出会いが、ずいぶん懐かしく思いだされた。
「昂のおまじないも、よく効く」
「わかった、体中に付けろと言うことだな」
「待て、なにか語弊があったようだが」
「ないない」
 戸惑う柔らかな唇に甘噛みすると、細く長い指がおずおずと昂の手首を掴んだ。