幻影の悪戯


 暗い並木道に突然現れた高校生の集団を見咎め乗る者はいなかった。十月の終わりともなれば、とっくに日は沈み、あまり子供がうろつくような場所ではない所で夜闇に紛れるにはちょうどいい。
「撤収」
 全員が現れたことを確認したリーダーの静かな声に、若者たちは無言のまま霞ヶ関駅の階段を下りて行った。

 疲れた体を地下鉄に揺られながら、それでも坂本竜司は我慢できないと笑顔を見せる。
「しっかし、すげーこと考えるもんだぜ。明智って、意外と度胸も半端ねーのな」
「本当。まさかあそこで百万枚に増やせるなんて思わなかった。おかげで助かったわ」
 同意する新島真たちからの称賛を、明智吾郎はにこやかに受け入れた。
「どうも。ああいうのは勝ち方さえ知っていれば、持っている道具を上手く使うだけだよ。あとは野となれ、山となれ」
 女性受けするさわやかな笑顔の中でも、才気を煌かせるぱっちりとした目が、近くに立つ黒縁眼鏡に向けられた。
「バトルアリーナでもそうだけど、オタカラルートをこうもあっさり片付けるなんて、さすがだね。正直、恐れ入ったよ」
「慣れだな。だけど、明智がいなかったら、まだ最初のフロアでまごまごしていただろう」
「そうかい?役に立ててよかったよ」
 滝浪昂が言うように、たしかに明智がいなければ、ニイジマ・パレスを攻略することは難しかっただろう。しかし、明智はそれを抜きにしても、内心の驚きと焦りを押し隠すのに苦労した。
 明智には単独行動でパレスの主を脅したり屈服させたりする力はあっても、チームを率いてパレスのルールを破壊することなく・・・・・・つまり、現実の人間の精神に負担をかけることなく、最奥まで侵入する技量とスピードはない。もちろん、殺すことなく改心させる、その具体的な方法など今まで知らなかったのだが、それにしても昂の指揮は的確だった。
(まさか、たった二日でたどり着くなんて・・・・・・)
 冴の認知による障壁がなければ、一日で踏破したかもしれない。マップがあるとはいえ、まるで知っているかのように通風孔のような抜け道を使って迷いなく歩みを進め、当然のように複数のペルソナを操って被害を最小限に抑えながら、弱点の狙い方を指示する。その昂に、メンバーも良くついて行っていた。自分が不利とわかれば後退し、効率よく勝利を得るための動きが出来上がっている、
(予想通り、危険な人間だよ)
 優秀な将に率いられれば、羊の群れだって猛獣に立ち向かう。だが、将さえ倒してしまえば、残りは烏合の衆、浮足立って壊乱する羊の群れだ。
 しかし、このままでは包囲網が完成する前に突破されてしまう。なんとか理由をつけて、決行日を遅らせなければならない。怪盗団は自分たちの立場が分かっているから目立つようなことはしないと思うが、それでも賞金がかけられている今、どこから綻びが出ないとも限らない。怪盗団を焦らせるための賞金だったはずが、これでは自分たちの首を絞めている状態だ。
 内心の苛立ちを欠片も外に出さないまま、明智は怪盗団のメンバーと共に渋谷の街に降り立った。ここからそれぞれの家に帰るのだ。
「それじゃあ、予告状を出すときは呼んでね」
「あ、待った」
 手を上げかけた明智に、昂が声をかけて、手を差し出した。
「明智、トリックオアトリート」
「は?」
 目を丸くした明智の前には、明智に匹敵する中性的な美貌を伊達眼鏡で隠した男が、柔らかく微笑んでいる。
「お菓子をくれなきゃ、悪戯するぞ?」
「ええっ、いま、なにか持ってたかな・・・・・・?」
 そういえば今日はハロウィンで、周囲にもハロウィンの装飾が溢れている。だが、自分がお菓子を強請られるとは思ってもみなかった。ポケットの中には、ガム一枚、のど飴ひとつ、入っていなかった。
「ないのか?じゃあ、悪戯だ」
「えっ、ちょ・・・・・・」
 慌てる明智の両手に、軽い金属音が鳴った。
「!?」
 そこには、銀色の手錠。驚いて顔を上げた明智の目の前に、指先を突き付けた昂がまっすぐ立っていた。
「Bang!」
 黒いくせ毛と光を反射する伊達眼鏡の下で、ふっくらとした唇がニィッと歪んだ。
「ハハッ、なんだよ。明智でも、ハトが豆鉄砲食らったみたいな顔するんだな」
「なっ・・・・・・」
「はい、悪戯終わり。玩具だよ、ここを押せば、簡単に外れる」
 パーティーグッズと引き換えに、明智の手には昂から怪盗ウエハースチョコが載せられた。
「いいなー!私にもお菓子くれ!」
「双葉はうみゃあ棒と怪盗チョコ、どっちがいい?」
「どっちも!!」
 昂はそれぞれにお菓子を持った両手を上げて、ぴょんぴょん跳び上がる佐倉双葉をかわす。
「あはっ、驚いたな。いくらこの仕事が終わったら解散する条件を出したからって、僕を殺さないでよ」
「安心しろ。俺は人間に向ける銃口は持っていない」
「・・・・・・へえ」
 双葉をかわして奇妙な踊り状態になっている昂は、軽やかにくるくると回り、楽しそうに明智に微笑んだ。
「顔面に風穴開けてやるなら、ムカつく神様に・・・・・・ぐほぁ!!」
 双葉のパンチをもろにわき腹に食らい、昂は体を折った。
「ふ、双葉、レバー入った・・・・・・」
「正義の勝利!お菓子はもらっていくぞ!」
「ついでに、みんなにも配って」
「らじゃー!」
 手品のようにお菓子を出す昂から双葉は受け取り、両手に抱えてメンバーのもとに走って行く。
「いてて・・・・・・」
「そっちも悪戯されたみたいだね」
「なかなかいいパンチだった」
 ブレザーの上から右胸の下あたりをさする昂に、明智はくすくす笑って菓子をポケットにしまった。
「ごちそうさま。ありがたくもらっておくよ」
「ああ。お疲れ様」
「お疲れ様。またね」
 今度こそ手をあげて踵を返して歩き出した明智は、一人で改札をくぐった後でも人目を気にして崩せない表情に、目の端を引きつらせた。
(ふざけるなよ・・・・・・!)
 勧善懲悪を掲げて太平楽に世の中を掻き乱す怪盗団と、自分の正義とは違うのだ。自分の計画のために、いつまでも怪盗団をのさばらせるわけにはいかない。
(呑気に解散だと信じているがいい!)
 明確な殺意が表情に出そうで、明智は手袋をはめた手で目元を覆う。あの飄々とした怪盗団のリーダーの顔を、信じられないと呆然としている顔を真正面からぶち抜いてやると、奥歯をかみしめるように固く誓った。

「昂、ありがと!」
「悪いな。貰っているぞ」
 昂がみんなにと配った駄菓子を両手に、高巻杏と喜多川祐介はご機嫌だ。
「あんな挑発をして大丈夫なの?」
 心配そうに見上げてくる奥村春に、昂はにっこりと微笑んだ。
「鶏が先か、卵が先か、だよ」
「もう」
 可愛らしく頬を膨らませるお嬢様に、負い目のある昂は大丈夫だと優しく請け負った。彼女の父を救えず、さらに一時的にとはいえ仇と同行させていることを知る身としては、この居心地の悪さはいつまでも慣れない。
「つーか、早く帰ろう。電車の中じゃケータイつかわないだろうけど、降りたらしゃべりだすかもしれない」
 それにお腹すいた、と双葉は口をとがらせる。昂からもらったお菓子は、行儀よく食後のデザートにするらしい。
「そうだな。今回も強行軍だったけど、みんなありがとう。今夜はゆっくり休んでくれ」
「ねえ、本当に決行日を遅らせろって、明智から言ってくるの?」
 不安そうな真に、昂ははっきりと頷いた。
「確実に俺を捕まえる罠を仕掛けるには、大規模に組織を動かすための時間がかかる。双葉のおかげで計画も駄々洩れになるし、日にちだって向こうが指定してくれるだろうさ。それまで俺たちは、自由にやらせてもらう。生き残るために」
 リーダーの力強い眼差しに、怪盗団のメンバーも決意を新たに頷く。
「それじゃ、解散!」
「オマエら、ちゃんと休めよ!」
「サラダバー!」
「おう、また明日な!」
「じゃあねー」
「お疲れ様でした」
「またな」
「おやすみ」
 ぶんぶんと手を振る双葉と一緒に、昂は田苑都市線の改札へと降りて行った。
「なあ、昂」
「なに?」
 昂は自分の肩のあたりにあるオレンジ色のつむじを見下した。双葉は言いにくそうにもじもじしていたが、やがてぽつりとつぶやいた。
「なんでアイツ、敵なんだろうな」
「・・・・・・そうだな」
「わかってるよ?アイツがお母さんの仇かもしれないって。・・・・・・だけど、なんでそうなっちゃったのか・・・・・・」
 若葉が死んだ二年前と言えば、明智は今の双葉と同い年だったはずだ。当時の明智を駆り立てたものは何だったのか、双葉はそれを知らなければ納得しないだろう。
「・・・・・・そのうちわかると思うよ。そのために、盗聴よろしくな?」
「へへっ、任せとけ」
 はにかんだ笑顔で見上げてくる双葉の頭を、昂は優しく撫でた。天使の輪が出来ているつるつるした手触りのロングヘアは、触っていて気持ちがいい。
(サラサラな祐介の髪の次に、だけど)
 昂がそんなことを思っているとは知らず、双葉は頬を赤くして華奢な腕を振り回した。
「はっはわわわっ。なんかドキドキするっ。わ、私はモナを撫でるぞっ!」
「オイコラッ、やめろっ!」
 バッグの中のモルガナを双葉に撫でさせるままに、昂は窓の外を流れていくコンクリートの壁を眺めた。
 暗闇でしか幻影は存在を許されない。陽の光の下にさらされれば、たちまち霧散するだろう。
(それでも、俺たちは生き残らなきゃならない)
 昂は唇の端に小さく笑みを刻んだ。彼は自分がしたように、正面から撃ってくれるだろうか、と。