070 援軍到着
それからしばらくは、平穏な日が続いた。
カレモレ館のご近所には、貴族と言うのも名ばかりな下っ端というか、ほぼ平民な家が多かった。薄くても貴族の血筋だからお城で下働きや下級官吏をしています、みたいな。貴族ではないけれど領地を持っているブルネルティ家よりも、だいぶ家格が下がるお家ばかりだ。 そんなわけで、こちらから正式に挨拶をしに行くのは却ってよくない為、僕のお散歩ついでに、その辺のお屋敷の門番や使用人に、さりげなく顔と名前を周知させるにとどめた。正式なものとなると、母上が「お茶会を開くので、ぜひいらして」と招待状を送るところからになるだろう。 「今日もご苦労様。井戸でちゃんと手を洗ってからご飯を食べるんだよ。そうすれば、病気をいくらか防げるからね」 「へへぇっ、ありがとうございます」 平身低頭する清掃夫……つまり、汚物の回収をしてくれる貧民に、僕は銅貨を三枚渡した。これは料金ではなく、いわゆるチップだ。彼らの普段使いの通貨はウル鉄貨なので、銅貨でもよい稼ぎのはずだ。 「汚物の捨て場所が変わったとか、病気の人が急に増えたとか、なにか変わったことはあった?」 「そういうことはありませんが……最近、身なりのいい冒険者に助けられたって奴が、何人かいますね」 「身なりのいい冒険者?」 「へい。なんでも、障毒にかかっても治せるようになったとかで。“障り”避けがないほうがいいんじゃねぇかって話もしてて……俺たちの、この仕事を馬鹿にしねえんです」 「ほう……」 たぶん、アクルックス帰りの冒険者だろう。公衆衛生の意識が変わってきたことも喜ぶべきことだけど、清掃夫を馬鹿にしないのが一番の高評価だ。 「スラムの害獣駆除もやってくれるようになって、ありがてえことです。障毒で動けねえ奴も多いですから」 「それはよかった。おっちゃんも、害獣に気をつけてね」 「ありがとうございます。では、俺はこれで……」 清掃夫と共につーんとした臭いが遠ざかり、僕は大きく息を吐いた。スラムをまるごと水洗いしたくなるよ。 僕は清掃夫にチップを渡して仲良くなり、王都内の情報をいくつか手に入れることができた。 たとえば、王都の中心、王城や公方家の屋敷がある上層は、そもそも“障り”避けがないらしい。直接下水に流れる仕組みのトイレがあるか、上層と中層を隔てる城壁の中層側にブツを積み上げているそうだ。これならたしかに、上層に貧民が入り込むことはないし、冒険者が入るのも下水路だけだろう。 下層はまだまだ意識が低いが、カレモレ館のある中層は“障り”避けがほぼ無くなったそうだ。僕のように清掃夫と仲良くなる人はほとんどいないし、汚い臭いと邪険にされることが多いけれど、チップをくれる所には、なるべく身ぎれいにして行き、丁寧に仕事をするよう努めているとか。 王都の北に流れている川が濁ってきているらしいとか。王都に入ってくる綺麗な馬車が増えていているとか。職人と商人の仲が、あちこちでピリピリしているようだとか。 スラムに住む清掃夫たちには、それがどういう意味を持つのかわからなくても、カレモレ館から大きく動けない僕には、ありがたい情報ばかりだ。 「そろそろ、王都の周辺くらいはまわろうかなぁ」 最近の僕は、ソルとナスリンと一緒に勉強する以外の時間は、ファラをおんぶして散歩するか、アトリエでダンジョンや迷宮の建築にいそしんでいる。ダンジョンを出現させる予定地にも目星がついているので、あとはそこまで僕が行けばいいだけなのだ。 ただ、王都の外まで行くなら、冒険者のイヴェルとローガンは連れていけないし、ソルを連れていくにはまだ不安がある。もう少し、健康な体を取り戻してからでもいいだろう。 「それはそれとして、お前が一番のトリックスターなんだよ、ファラ」 迷宮産の石鹸で手洗いをしてから、僕はカレモレ館のアイドルを抱き上げた。 いつかハニシェにもしたように、ソルたちにも迷宮製の鑑定機に触ってもらった。 ソル 年齢 18 状態 羸痩 レベル 6 スキル − ナスリン 年齢 17 状態 羸痩・凍傷(軽微) レベル 2 スキル − そして、問題のファラ。 ファラ 年齢 1 状態 羸痩 レベル 1 スキル 【強運】 三人とも、状態が衰弱から栄養失調を経て、 そして、ファラがスキル【強運】を持っていたのは、父親が貴族だったからなのか、そのおかげで生き延びたのか、皮肉と言うべきか、巡り合わせの妙と言うべきか。 (でもこのスキル、パッシブで扱いづらいんだよな) 字面だけ見るなら、とても良いスキルのように見えるけれど、LCNに載っていた説明によると、「己が身にとっての最良を引き寄せるが、そのために周囲の運を下げることがある。その結果、己が幸福になるとは限らない」という、一筋縄ではないかないスキルのようだった。 具体的にどういう事かと言うと、僕が見た限りでは、自分が生き残るために母親であるナスリンを死なせかねなかった、というところだろうか。 あの時、死にかけたナスリンが出す“障り”にポルトルルが気付いたから、僕が二人とも助けてあげられたけれど、少しでもタイミングがずれていたら、ナスリンは助からなかっただろう。母親を失ったファラが、生き残ったとしても、その先が幸福かどうかは、別問題という事だ。 (僕の庇護下にあることが、ファラにとって最良であれば、僕が不運に見舞われることはないだろう。だけど、万が一、僕以外の所にいた方がファラにとって最良である状況になったなら、致命的な悪影響をこうむりかねない) ちょっと……どころではなく、だいぶ面倒くさいスキルだ。ファラの【強運】が、いつ周囲にとっての【凶運】になるかわからない。なるべく関わり合いたくないけれど、味方にいる間のメリットは計り知れない。 たぶん、周囲から愛情を注がれ、きちんと教育を受けたなら、生まれつきのサイコパスでもない限り、 この時間、ナスリンはソルと一緒にハニシェに習いながら掃除をしている。僕はファラを抱っこして、エースがいる厩舎に散歩に行った。 「だぁ〜!」 「エースは大きいねぇ」 鼻先に伸ばされた小さなファラの手を、エースは優しく嗅いでいる。本当に大人しい大山羊だ。 「坊ちゃん! ああ、ここにいた」 「どうしたの?」 庭や門の周辺で警護していたイヴェルが走ってきた。 「ブルネルティ家の遣いが来ています」 「え!?」 ブルネルティ領でなにかあったのかと、僕は慌てて正面エントランスまで行った。 「お久しぶりです、ショーディーさま」 「クービェ! いったいどうしたの!?」 そこにいたのは、実家の衛兵であるクービェだった。僕が抱きかかえているファラに目を瞬いたが、寡黙なこの男らしく、自分の疑問よりも要件を口にした。 「まもなく、奥様がこちらに到着されます」 「は?」 僕はしばらくその言葉を咀嚼して、飲み込んだらちょっとパニックになった。 「は、母上が来るの!? え、もう!? は、ハニシェ! ハニシェを呼んで!!」 それからはバタバタと出迎えの準備が始まったけれど、すぐにブルネルティ家の紋章旗を掲げた馬車列が、カレモレ館の門をくぐってきた。 「母上!」 侍女のパルティにエスコートされながら馬車から降りてきた母上は、駆け寄った僕を笑顔で抱きしめてくれた。 「母上、長旅お疲れ様でした」 「ありがとう、ショーディー。おかしなことになっていたのに、待たせてしまったわね。後は母にお任せなさい」 どうやら、僕がマリュー家の問題を速達で知らせてから、すぐにこちらに来る用意をしてくれたらしい。 「ハニシェ、使用人のみんなに、カレモレ館のことを教えてあげて。イヴェルとローガンは警備に戻って。ソルとナスリンは、ファラも一緒に、僕と来て」 「かしこまりました」 「「了解」」 「「ハイ」」 僕は母上を応接室に通して、パルティにお茶を入れてもらった。他の侍女たちは、母上のお部屋を整えに行っている。 「その二人は、ショーディーが雇ったの?」 「はい。二人ともセーゼ・ラロォナ国出身で、奴隷身分です」 母上は一瞬眉をひそめたけれど、迷宮関連で教皇国と仲が悪くなる僕の護衛や使用人に、教皇国とトラブルがあった二人を雇ったのだと説明して納得してもらった。下手にリンベリュート王国人を雇うよりも、内通される危険が少ないと理解したのだ。 「犯罪者でないのなら、よいでしょう」 「ファラもいい子ですよ。ぼく、姉上や兄上がしてくれたように、ぼくより小さい子に優しくしないといけないって思いました」 「それはいいことだわ。他人の人生に責任を持つことになるけれど、ショーディーの判断で、人を使いこなしなさい」 「はい、母上」 積もる話はたくさんあるのだが、入浴の準備が整ったと侍女が来たので、続きはまた後ですることにした。 「ショーディー、ネィジェーヌがやりましたよ」 「あっ、完成したんですね!」 侍女が持ってきたバスケットの中には、ポプリのような小さな布袋がたくさん詰まっていた。 それは、粉砕した極小粒の魔力石をハーブなどと一緒にした、薬用入浴剤だった。 |