068 笑って殴り飛ばせ
夕食の時間になったので、その日のレッスンは終了して、カーラをミモザに帰した。これから毎日、一緒に勉強するのだ。
「ソル、晩御飯食べに行くよ」 ソルと手を繋ぐと、やはり少し戸惑ったような気配を感じさせるけれど、大人しくついてきてくれる。もしかしたら、僕くらいの年齢の子供と触れ合う機会が少なかったんだろうか。妹さんは、活発に動けるような体調ではなかったようだし。 (僕の妹たちは、それはそれは、やかましかったけどな……) 前世の僕には、妹が二人いた。どちらも元気いっぱいで、「お兄ちゃん(はぁと」なんて甘えてくるのは、自分に都合がいい時だけという、非常に生意気で小癪な奴らだったが。 (あんなんでも、殺されてしまうのは嫌だ。ソルは、どんなに悔しかったことか……) ソルの妹は、身分や経済力で縛られて、巻き添えになったのだ。 これが、ソルだけだったなら、たぶん誰も、ソル自身も文句は言わないだろう。武人の一門であるネーヴィア家に連なるものとして、本分を果たしての結果と受け入れるに違いない。 「うーん、ソルの手、ごつごつしてる。これが剣ダコというものか」 ぷにぷにした僕の手と見比べると、筋張って骨が浮き出たソルの手のひらには、皮膚が硬くなった盛り上がりがいくつもあった。 「あのね、ぼくんちも、武家なんだよ。父上と兄上に会ったら、きっと手合わせしてくれるんじゃないかな」 異国の戦士と知れば、ブルネルティ家の血が騒ぐに違いない。 「あ、ぼくには期待しないでね。剣は習ってないし、全然強くないから。姉上も剣を習ってて、すごく強いけど、ソルとの手合わせは、きっと母上がお許しにならないんじゃないかなぁ。でもね、ぼくは見てみたいなぁ」 言葉が通じなくて、返事は無くても、僕はソルに話し続けた。意味は分からなくても、音に慣れていった方が、覚えやすいだろう。 食卓はソルを歓迎して、いつもより少し賑やかだった。消化しやすいようにと、固いパンは野菜をくたくたに煮込んだスープに浸され、味の濃い肉のパイとは別に、香草で蒸した魚が用意されていた。 イヴェルやローガンはお酒を飲むけれど、ソルにはホットワインが少し出された。僕とハニシェはお茶だけどね。 夕食後、ソルはイヴェルたちに使用人棟へ連れていかれた。そちらに部屋が用意されたようだ。 (まあ、まだ身分は奴隷だしね。僕とハニシェの側で寝かせるわけにはいかないか) 奴隷は買えたけれど、明日からも色々やらなければならないことができた。死にかけている親子の面倒も見ないといけないし、少しずつ片付けよう。 「はわぁぁ……。とりあえず、ちゃんと寝るか」 あくびと共に大きく背伸びをして、僕はベッドに入った。疲労のせいで、また風邪を引いたら困る。 方針を含めた全部の決定権を持っている僕が倒れたら、なにもできなくなっちゃうからね。 翌日、僕はまず親子の様子を見るために、オフィスエリアに行った。 「おはよー。どんな感じー?」 親子が寝かされていたのは、病室というよりは、処置室と言うべき部屋だった。そもそも、病室を作ってなかったからね。 「おはよ、ボス。意識は戻ったから、もうちょっと寝心地のいい場所に移した方がいいんじゃないかな。とりあえず、目立った病気はナシ。栄養失調と、凍傷が少しあるだけだね。子供の方も、栄養足りてないだけ」 「そうか。ありがとう、イトウ。助かったよ」 「どういたしまして」 少しおどけた仕草で応えたイトウの目が、眼鏡の奥でシニカルに微笑んでいた。 「どうしたの?」 「いや? ちょっとね、意外だっただけ。ボスがこの世界の人間を助けるなんてさ」 「目の前で死なれたら、気分良くないでしょ。しかも、赤ちゃんだし」 「ハイハイ。そう言う事にしておきますわ」 「なんだよー!」 僕がぷーっと怒るのに、イトウはケラケラと笑っている。 それをよそに、イトウの部下たちが無表情に親子の世話を焼いていく。まるでマネキンが動いているような不気味さだけど、本職の看護師ではないので問題はない。 イトウの部下たちは、イトウが欲しいと言ったので僕が裁量を分けて好きに作らせた、ほとんどロボットのようなものだ。感情も意思もないけれど、精密な作業ができる器用さと、人間を簡単に制圧できる剛力を兼ね備えている。 「ハセガワが、おかゆ持ってきてくれるついでに、服も持ってきたよ」 「ありがとう。お風呂に入れてあげてから着せるよ」 「ん。あと、紙おむつの試作品持ってって。乾燥させたスライム粉末を使ってみたんだけど、使用感のレスが欲しいんだよ」 「助かる〜!」 洗濯はされたけれど、ぼろい服を着た母親が子供を抱き上げてベッドから降りたので、僕は大量の荷物を抱えたまま、カレモレ館への扉を開いた。 「こっちだよ」 イトウたちに促されて、母親はおずおずとついてくる。奴隷市にいたはずなのに、気が付いたらイトウのラボにいたので、言葉も通じないで不安になっているだろう。ソルやカーラと話が出来れば、少しは安心するかもしれないな。 「ハニシェ〜、連れてきたよー」 「おかえりなさいませ、坊ちゃま。まあ、本当に赤ちゃん! ひどいですね、こんな方まで奴隷にするなんて! こちらへどうぞ」 カレモレ館には使用人棟がひとつしかなかったので、男どもの中に未亡人を入れるわけにもいかず、親子には主屋の屋根裏部屋を使ってもらうことにした。ちなみに、屋敷の屋根裏部屋が使用人部屋にされるのは普通のことで、それを見越して簡単な家具も設置されていた。 そして、とりあえずソルと顔合わせをさせて、ここが危険な場所ではないこと、奴隷として買われたことを、なんとなくわかってもらったら、風呂場に連れて行って、親子ともどもハニシェに洗わせた。固まった垢の層って、一回洗ったくらいじゃ、なかなか全部落ちないんだよね。 母親の方にお仕着せを着せて、みんなで昼食を食べたら、ハニシェはイヴェルを連れて買い出し。ローガンはカレモレ館の警備。残った僕らは、カーラを呼んで、レッスン&事情聴取の時間だ。 勉強部屋の隅に置いたソファの上で、僕はファラという名前だった赤ん坊のおしめを替えたり、あやしたりしながら、カーラが通訳してくれることを聞いていた。 母親の方、ナスリンさんは、ソルと同じように、内戦に負けた陣営の下級貴族に仕えていたメイドだった。通常なら、雇い主が没落したら、解雇から新しい職場を探せばいいだけだったのだが、お腹にいた赤ちゃんが問題だった。 「なるほど。そりゃ、黙っていた方がいいな」 いわゆる、 以前イトウが言っていたように、この世界の女性が妊娠するには、まず「発情状態」にならなければならない。そのため、暴力行為を受けても、望まぬ妊娠まで至ってしまうことは、そう多くないらしい。例外は、夏と冬に多い「 そこで、貴族の子ではなく、従軍して戦死した兵士の子供だと言い張って、出産まではグルメニア教の救護院に置いてもらっていたらしい。 「その下級貴族が、死ぬ間際に面倒なことを言ったのが問題です。『自分も黒髪であり、生まれてくる子も黒髪なら、きっと稀人の血筋に違いない』、と」 「そんなん、教皇国から罰当たりだとか不敬罪だとか、めっちゃ言われるに決まってるよ!」 たしかに、ファラは癖のある黒髪だが、日本人によくいるような焦げ茶色から真っ黒という色合いではなく、アッシュグリーンが混じったようなエキゾチックな色だ。ナスリンが癖のある薄紅色の髪なので、たぶん父方の色だろう。肌の色は、やはり親子そろって象牙色だ。 「ナスリンがでっち上げた兵士の髪色も黒かったので、処刑された貴族のいい分だけが通るわけではなかったようですが、彼女たちが救護院に居辛くなったのは当然でしょう。身寄りもなかったのが災いして、そのまま奴隷として売られたようです」 一度は保護したくせに、放り出すどころか、売り飛ばすのかよ。本当に稀人が絡むと、グルメニア教は道徳も人情も宇宙の彼方だな! 「なんというか、壮絶だな。ファラ、お前よく生きてこの国にたどり着けたな。えらいぞ〜」 「あ〜、いっ」 本当なら、もっとぷくぷくしていていいはずの痩せた頬を、ファラはにこにこと微笑ませている。もう一歳を過ぎているそうなので、このままどんどん重くなっていって、数年後には元気な少女に育ってほしいと思う。 「そういうことなら、ファラの父親について、セーゼ・ラロォナ国の貴族だとは主張しないんだな?」 カーラの通訳に、ナスリンは大きく頷いた。 そして、ソルとナスリンは顔を見合わせ、再びカーラと言葉を交わす。 「……二人とも、この国で、できればグルメニア教や教皇国とは距離を置いた生活をしたいと望んでいます。それぞれの理由から、ショーディーさまが不利益をこうむりかねないと考えているようです」 「うーん、そもそも無理なんだよねえ」 僕は抱っこしていたファラをナスリンに渡してから、カーラの横に立った。 「ぼくは今後、ぼく自身が持つ理由によって、グルメニア教、及びライシーカ教皇国から、最も排除するべき存在と言われるようになるだろう。きみたちの経歴とは関係なしにね」 カーラの通訳を待って、僕はさらに続けた。 「きみたちが、教皇国から逃げて暮らすんじゃない。きみたちは、きみたちを買ったぼくと、自分たちの新しい生活を、教皇国から護るんだ。後戻りできないのだから、噛みついてやればいいんだよ」 自分たちばかりが傷付いたままなのは、不公平だと思う。泣き寝入りしかないなんて、とても悔しいことだ。 「教皇国の奴らよりも、いい暮らしをする。その方がきっと、楽しい人生になるんじゃないかな」 聖人面したクズどもを殴り飛ばして大笑いした方が、きっとすっきりすると思うんだよね! |