058 氷の舌鋒
引っ越し先の最初の候補地に到着したと、御者に呼ばれて外に出てみたけど……。
「あー、やっぱりな」 「ダメだね」 「そのようですな」 その邸宅の前に繋がる道までは、かろうじて入れそうなものの、その先の門が明らかに狭くて、ルドゥクリムジンが曲がれそうもない。立地も屋敷の格式も申し分ない物件だったのだが、これでは僕の家族を迎えられない。 「王都では、このように大きな馬車は必要ありませんからな」 エスポロがほほっと笑うが、僕は軽く肩をすくめてルドゥクリムジンに戻った。 「客が求めているものを正確に把握できないなら、営業なんてやめれば? ああ、一応、不動産関係のまとめ役なんだっけ? コネか身分でその役職についたの?」 僕の隠すことのない嫌味に、ルドゥクはニヤニヤ、ポルトルルはアルカイックスマイルを浮かべたまま。エスポロだけが、なにが理由で貶されているかわかっていないようで、口髭の下が不愉快そうに歪んでいるのが感じられた。 「ルドゥク、次行ってみよう」 「了解でさ。おい!」 へい、と御者の返事があり、馬車は次の候補地へと走り出した。 最終的に、僕が満足できた物件はふたつあり、どちらにしようか迷った。そこで、ポルトルルの「こちらの方が、“障り”が少なかったですな」との囁きによって、“障り”が少ない方の物件に決めた。 (“障り”が濃いってことは、なんかあるってことでしょ? 事故物件とか、曰く付きとか。もしくは、表に出てないだけで、係争の種になりそうとか) 資産運用的に貸し出しているならばともかく、借金のかたに取り上げられた物件だとかしたら、余計な恨みを買いそうだ。そんなところに、わざわざ手を突っ込みたくはない。それに、“障り”が少ない方が、害獣が出にくいからね。 僕が選んだ屋敷は、元は国が離宮か迎賓館を建てる予定だったのに中止になったので、大手商会に売り払われて、あらためて貸出可能な屋敷として完成させたものだった。言われてみれば、基礎に近い場所や棟の一部など、目立たないところで無理やり変更したかのような、チグハグな印象があった。 それでも、一年くらい暮らすのには気にならないだろう。これも味と気にいるかもしれないし。なにより商会が作ったので、大きな荷車の搬入搬出が想定されているのがポイント高い。 「これだけ広ければ、ブルネルティ領から来た馬車や大山羊車を、ぜぇ〜んぶ置いておけるね!」 「ええ。ご夫妻さまとモンダートさまと、それに見合った使用人たちとを計算に入れますと、このくらいの屋敷は必要でしょうな」 地方から大荷物を積んでやってきた馬車列を入れる、という重要な点を見逃していたエスポロだったが、僕とポルトルルの会話でようやく気が付いたようだった。 屋敷の見栄えばかりを気にする王都の上流階級とはちがって、こちらが必要としているのは、厩の数と車庫の広さなんだよ。当然、敷地に出入りするための道は広くなければ困るんだ。 商会ギルドの建物に戻った僕たちは、さっさと契約を済ませて、余計な難癖をつけられる前に退散した。僕はこの国の契約書が意外とちゃんとしていたことに、ちょっと感心した。 「あのエスポロって人、貴族か役人の家の出身かな? 契約に関しては、きっちりしていたね」 「おう、よくわかったな。しっかし、噂には聞いていたが……本当に六歳なのか?」 「うん? もう少しで七歳になるよ」 時間としてはだいぶ遅くなった昼食を、ルドゥクに引っ張っていかれたレストランで取る。ウルダンは恐縮していたけれど、僕の隣にちゃんと座らせた。 辛そうな香辛料が付いた骨付き肉を豪快に齧りながらこちらを見ているルドゥクに、僕はコーンシチューを運んでいたスプーンの手を止めた。 「いや、七歳でもよ……。弁は立つし、契約書は読めるし……」 おっと、また子供らしくないと言われるのか。 もう慣れてきたなぁと思ったけど、そこにポルトルルが苦笑を浮かべた。 「ルドゥク、ショーディー様の御祖父君は、あの“氷舌マリュー”ですよ?」 「んがっ!? ……そ、そうか。お前さんの母上は、マリュー家のご令嬢だったな」 「うん?」 なんか、僕を見るルドゥクの目が、さっきよりも恐れ戦いているように見える。 「その、“ 「はい。あの方の容赦のなさは、当時の軍人貴族に、それは恐れられていましたよ」 「そうなの? ウルダンは知ってた?」 「いえ。俺が雇われたのは、大旦那様が引退された後ですし……」 たしかに、ウルダンの若さでは、おじい様の武勇伝を聞く機会は少なかったかもしれない。 「ショーディー様になじみがある話とすると……例えばですね……」 クスクス笑うポルトルルによると、ロロナ様の事件があった後、当時のおじい様は、軍務卿の右腕だったそうだ。 害獣被害が王侯貴族に及び、冒険者ギルドの勢力が浸透していくにつれて、貴族たちから国の軍事費の削減が求められるようになった。要は、私兵を強化するために、納める税金を減らしたかったのだ。害獣退治は冒険者がするのだから、町や街道を警備する兵士は少なくていいだろう、と。 そこで、オラディオおじい様が言った。 「では、人数に対して一番費用が掛かっている部署を、削減か解散します。それが一番効果的ですから」 これに貴族たちが賛成した次の日、なんと近衛騎士団が解散されてしまった。近衛騎士になるのは、よほど腕の立つ武家の出身か、ほとんどが貴族の次男以下だったので、格式のある就職先がなくなってしまったのだ。 阿鼻叫喚になる貴族たちに詰め寄られるも、オラディオおじい様は冷たく言い放ったそうだ。 「ですから、人数に対して一番費用が掛かっている部署だと、先に申し上げました。それに賛成したのは、貴方がたでございます」 たしかに、近衛騎士団の装備は一級品だ。だがそれ以上に、身分をかさにきて、あれこれ無茶な出費を経費で落とさせようとする者が多かったらしい。オーダーメイドの剣帯に始まり、飲食店のツケが毎月のように来ていたそうだ。 軍務省も近衛騎士の浪費には困っていたけれど、相手が貴族なので、そこまで身分が高くない役人である自分たちが抗議しても効果がなかった。そこに、オラディオおじい様の乾坤一擲が決まった形になった。 もちろん、貴族たちが納得するはずもない。「解散するのは、冒険者に仕事を奪われる、役立たずな下級兵士どもだ」と騒ぐものの、「先ごろ、王子殿下と王女殿下が害獣に襲われた時、近衛騎士はどこにおりましたかな」と返されては、ぐうの音も出ない。 近衛の方が役立たずだと断じるオラディオおじい様、マジリスペクト。貴族連中相手に、すごい肝の据わり方だ。 まあ結局のところ、近衛騎士団は復活させられてしまったわけだけど、相当に軍規が厳しくなったとかなんとか。軍務省としては、予算が減らずに浪費が無くなったので、万々歳という事だ。 「そんな経緯がありまして、いまでも近衛は軍務省とあまり仲が良くないそうですよ」 「あっはははは! おじい様ったら、最っ高!」 馬鹿笑いしすぎて、食べたばかりのお腹が痛くなりそうだ。オラディオおじい様、凄すぎ。 「そうかぁ。母上も厳しい人だけど、おじい様はもっと厳しい人だったんだね」 「そうかもしれませんな。必要なところには、きちんと予算を分配する方のようでしたので、話を聞いてもらえる下々の兵士からは人気が高かったですよ。我々冒険者とも、不必要に事を構えるような考え方をされませんでしたし」 話を聞けば聞くほど、オラディオおじい様の株が上がっていく。そんなオラディオおじいさまに似ていると言われるのは、やっぱり嬉しい。 ニコニコしている僕を、ルドゥクは納得半分困惑半分と言った雰囲気で眺めてきた。 「なるほどなぁ。あの“氷舌”の孫なら……いや、でもなぁ……あの孫か……」 小さな呟きに耳を澄ませると、しきりに「孫」という単語が出てくるようだ。 「ぼくの姉上なら、いっぱいお勉強してて、立派な淑女だから、次期領主に相応しいよ。兄上は、すっごく強くて、剣も魔法も使いこなしているよ。それとも……もしかして、ぼくの従兄弟たちのこと?」 「おう……あ、いや……」 気まずげに視線を逸らすルドゥクに、僕は気にしていないと首を横に振った。 「あんまりいい噂は聞いていないから、平気。アレッサンドは学校デビューに失敗してひきこもり。カルローは手の付けられない乱暴者だって。僕は、まだ会ってないけどね」 「そうですかい」 「伯父上も、自分の子供のことくらい、もう少し考えて欲しいよね。マリュー家をどうしたいのか知らないけど、跡取りの教育もしないでさ。なにやってんだか」 肩をすくめる僕を、三人の大人たちは、子供に対してなんとも言い難い表情で見返してくるのだった。 |