038 見失わない事


 妖怪狂骨姫という失礼な単語が僕の中で馴染みつつあるけれど、ロロナ様は僕の想像とは全然違う逞しい人だった。
(ライノが尊敬する人って言ってたの、なんかわかるな)
 彼女は「生きること以外に権限がない」と言っていたけれど、その「生きること」、「生き延びること」に全力を尽くしてきたのだろう。
 伴侶であるサーエール卿が生きていれば、まだ少し違っていただろう。逆に、子供がいれば、母子揃って命を狙われたかもしれない。皮肉にも、彼女一人だったからこそ、不自由な自分の身一つを護り抜いてこられたのだ。
(実家からは疎まれ、いつ政争の種にされるか分かったものではないからな)
 事実、冒険者ギルドの誘致において、ヨーガレイド家に旗印にされている。それは経緯上、当たり前かもしれないが、事が済めば国から処分されてもおかしくない、危い立場だ。
 彼女はヨーガレイド家の離宮という限られた空間の中で、三十年もの間、自分を閉じ込める思惑に殺されないよう、懸命に身を処してきたのだ。それはきっと、僕には想像もつかないほど、神経をすり減らす人生だったことだろう。
「そういえば、ライノはどうしたの? お前と一緒ではなかったかしら?」
「あ、アクルックスに行きました。冒険者たちの暴動が起きかねないので」
 ヨーガレイド家が迷宮を支配しようとしたので戦争になりそうだから、冒険者は危険だから帰ってね、なんて言われたら、冒険者としては「公方家はなにをやっているんだ!」と激怒するに違いない。
 ダンジョンに入る冒険者よりも、技術研修に来ている職人たちの方が、怒りの度合いが高いかもしれない。特に、稀人の知識を用いた技術はライシーカ教皇国に独占されているので、目新しい仕組みや技術で作られた品には、かじりつくように見入っていたはずだ。
「そうね、うちの侍女のせいで、迷惑をかけたわ。お詫びと言ってはなんだけど、それの処分はお任せするわ。煮るなり焼くなり、さらし首にするなり、お好きなように」
 骨ばった顎で床に這っている侍女を示されたけれど、いいのだろうか。
「ロロナ様が勝手に許可出しちゃって、いいんですか? さっき、権限がないって言っていたのに」
「別にいいわよ。だって、わたくし、もうヨーガレイド家に帰るつもりないもの。金目の物だって、ありったけ持ってきたわ」
「へ?」
 今度こそ、僕の目と口がぽかんと開いたままになった。
「だぁって、わたくし、今年でもう……それなりの歳よ? ライノとメーリガに聞いたけど、湯治基金を使っても、まだ余分に費用がかかった場合は、ダンジョンで稼ぐことになっているんでしょう? 冒険よ、冒険! 早く元気になって、魔法の勘を取り戻さなくちゃ! それに、迷宮の町って、とっても清潔で綺麗で便利で治安が良くて、食べ物も美味しいっていうじゃない! うふふふふっ。王家も公方家も手を出せない町で、誰にも文句を言われない、自由な生活よ! あぁ、楽しみ!」
 新生活の希望を、一気にまくしたてるロロナ様。
(……え? これ、いいの? まじ? 大丈夫?)
 めちゃくちゃ嬉しそうに、ばんざーいとばかりに両手を小さく上げてみせているロロナ様から、僕はギルド長のポルトルルに視線を移した……ら、なんか頷かれた。
 つまり、ロロナ様は、『魔法都市アクルックス』を終の棲家にしたいと、こう仰せなのかな。うん、まあ……いいか。
「はぁ……。では、そのように、市長のルナティエに言っておきますね。生ゴミの処理については、迷宮主の判断になると思うので」
「お願いね!」
 なぜかそういう事になったので、少し興奮してしまったロロナ様をメーリガや姉上たちお任せして、僕はまだ気を失っている粗大生ゴミを再び引きずって、臨時の客間を出て行こうとした。
「ショーディーさま、お手伝いいたします」
「ポルトルルさん」
 二つある生ゴミの片方を、ゴツゴツした手が引き取ってくれた。
「大丈夫ですか? けっこう重いですよ」
 大事なギルド長に、こんな所でぎっくりいかれると困る。
 しかしポルトルルは、侍女のドレスごと成人女性の体重をヒョイと抱えあげてしまった。さすがは長い間戦ってきた冒険者だ。痩せているように見えて、かなりしっかりした肉体をしているらしい。
「ふむ、たしかに。私などよりも、ショーディーさまの方が、力持ちであるように思えますな」
 僕の体が小さいから抱き上げられないだけで、大人二人分を引きずってこられる力はある。
 代官邸の廊下をエントランスに向かいながら、僕はポルトルルと少し話をした。
「なんでも、迷宮都市では平民でもレベルやスキルの鑑定をしてもらえるとか。年甲斐もなく、わくわくしております」
「そうだね。ギルド長なら、けっこうレベル高そう。ダンジョンで戦っていると、もっとレベルあがると思うよ」
「ほっほっほ。もう老いぼれは、引退を考えております。若い者に任せますよ」
「そう? とりあえず、アクルックス市長のルナティエとはお話してね。ルナティエって、もしかしたら人間嫌いかもしれないけど」
「おやおや。それは怖いですなぁ」
 ポルトルルは好々爺とした雰囲気と表情をしているけれど、冒険者としてこの歳まで生き残っているだけで、只者ではないだろう。多くの場合、健康に歳を重ねることが難しい職業なのだから。
「そういえば、ショーディーさまは先ほど、公方家など怖くないと言っておいででしたが」
「うん。怖くないよ」
「理由を教えていただけますかな?」
 代官邸のエントランスを出て、用意してもらった荷車に、生ゴミを載せる。建築現場で運搬作業に使っている、大八車みたいなものなので、柵らしいものもない。途中で暴れられて落ちてしまうと嫌なので、ロープでグルグル巻きにして固定しておく。
「ぼくが貴族を怖いって思わないのはね、ぼくの方が強いからだよ」
 個人の腕力で言っても、僕はけっこう強くなった。魔力に満ちた迷宮に住み、ダンジョンで時々レベル上げもしている。おかげで、ダンジョンに一番深く潜っている冒険者のレベルが30に届くかどうかというのに、すでに僕はレベル45になっている。もちろん、戦闘に関する技術を持っていないから、本職の戦士には敵わないだろう。
 だけど、もちろん、それだけが理由ではない。
「本当はね、すぐにでもこの国を滅ぼしたいんだ。だって、国が滅びれば、異世界人召喚の儀式ができなくなるんでしょ。父上がそう言ってたし」
 何か理解できない言葉を聞いたかのように固まるポルトルルを見て、僕はケラケラと笑って見せた。
「ヨーガレイド家だろうと、リンベリュート王家だろうと、簡単に滅ぼせるよ。だけど、今すぐにそれをやると、なにも知らない民が困るでしょう?」
 始末したい人間がいる場所を迷宮化した状態で、僕に敵対させればいいだけだ。僕の迷宮は、僕の敵対者を即死させるし、その死者の魂は僕の自由にできる。なんという壊れ能力か。
 ただ、俺つえーなチート級能力だとしても、あおりをくらった下々の民が、心と生活の平安を求めて、グルメニア教やライシーカ教皇国に流れるのは困る。
(それに、この国がダメでも、儀式は他の国でもやれてしまう。それはそれで、稀人の回収が難しくなって面倒だ)
 諸々のことを考えて、いまは僕から仕掛けないだけだ。
 僕は最初から、この国が滅んでも、心が痛まない。いっそのこと、ショーディー・ブルネルティという人間ごと、この世界が滅んでしまっても構わない。
 ただ、シロに頼まれて契約したので、その分の仕事はしようと思う。それ以外のことについては、正直言って、どうでもいい・・・・・・
「姉上や兄上のことは好きだから、贔屓しているんだよ。だから、アクルックスを出して、使えるようにしたの。兄上と、姉上のためなの。ライノにも言ったけど、冒険者は、ついで・・・
 僕のことを大切にお世話してくれるハニシェや、僕を弟としていつくしんでくれる兄姉を贔屓するのは当たり前。僕を護ろうとしてくれる三人のことは、僕も護ってあげたいし、報いたい。その他については、どうなろうと、まったく心が動かない。
 せいぜい、役に立ってほしい。それだけだ。
「きっとロロナ様も、ギルド長だって、今までに何度も取捨選択をしてきたでしょう? なにかを守るために、誰かを利用したり、なにかを惜しみながら切り捨てたりしてきたんじゃない? なにが優先すべき事か、それを見失わなかった。だから、この世界で生きてこられた」
 なにかを切り捨てるなんて、とんでもない。みんな仲良く、誰も犠牲にしない。それは理想であり、尊ぶことではあるだろう。だけど、それを言うだけなら、何もしない事と同じだ。
 僕が優先するべきことは、第一に「稀人を保護すること」であり、腐りきったこの世界を恒久的に救う事ではない。もちろん、異世界人召喚の儀式をさせないことは最善だけど、いますぐには、どうしても無理がある。さっきも言ったように、僕が行けない他の国で儀式をされるとか、難民が出たりすることによって、余計に面倒な事になりかねない。だから、次善策として、姉上たちや冒険者ギルドを巻き込んだ。
(聞いていた工期が十分の一になっちゃったのが、一番の理由だけど! クソッタレが!)
 色々思い出して、またムカついてきた。いかん、いかん。ショーディーくんのきゅーとでぷりちーなスマイルを思い出せ。
「はぁ……ぼくがこういうこと言うと、なぜか怖がられるんだよねー。べつに虐めてないのにさー」
 ちょっとぼやいた僕は、僕を凝視したまま固まっているポルトルルに向かって、唇の前に人差し指を立ててみせた。
「だから、ナイショにしてね?」
 ちゃんと子供らしい笑顔で言えただろうか。
 どうも足元で転がっている生ゴミのせいで気分がささくれてしまう。さっさと処分してこよう。
「ギルド長、手伝ってくれて、ありがとうございました! それじゃ、しゅっぱつ、しんこー!」
 僕は荷台から飛び降りて牽き棒を掴むと、ポルトルルや使用人たちが止める間もなく走り出した。
「さらし首もいいけど、イトウが検体を欲しがってたよねー」
 生きた女性体を、二つも確保したのだ。きっと喜んでくれるだろう。