017 従業員を育てるという社長ムーブ


 箱庭のコンセプトは、「僕一人、あるいはハニシェ一人でも暮らせる家」だった。
 それは、家事や食料供給のことは元より、「精神の健康が保てる環境」という点に重きを置いたものだ。
「ふわぁぁ……」
 夜中に到着してベッドに入ったので、だいぶ寝過ごした時間に目を覚ました僕は、カーテンを引き開いて外を眺める。
「いい天気だ」
 手入れの行き届いた高原のペンションをイメージして造られた箱庭は、ガラス窓を開ければ清涼な空気が流れ込んでくる。ピチチチ、と鳥の鳴き声が聞こえた。
「……む、また寝そうだ」
 お子様の体はまだ睡眠を欲していたけれど、やらなきゃいけないことが渋滞しているので、頭をしゃっきりさせなくてはいけない。僕は窓を閉めてから、Tシャツとハーフパンツに、靴下をはいてスニーカーという、日本仕様のラフなお子様服に着替えて洗面所に向かった。
「おはようございます、旦那様」
 顔を洗ってダイニングに行くと、真っ先にこちらを向いたハセガワに挨拶された。続いて、ハニシェも慌てたようにお辞儀をする。
「おはようございます、坊ちゃま」
「おはよう。二人とも、座って」
 ハニシェにキッチンの使い方をレクチャーしながら、ハセガワが朝食を用意してくれたらしい。ダイニングテーブルには、二人分のプチパンとオニオンスープ、スクランブルエッグとベーコンとレタスのサラダが載った皿があった。
「わぁ、いいにおい!」
「どうぞ、お召し上がりください」
「いただきます!」
 ハセガワたち魔力で作った従者は、基本的に食事を必要としない。食べられなくはないので、人間に紛れることはできるけれど、迷宮にいる以上エネルギーは常に供給されているので、あくまで見せかけだけだ。
「んん、おいしい!」
 ハセガワの料理の腕もだけれど、僕が再現した食べ物の味も、予想より悪くない。卵や乳製品、生野菜の味はいいとして、強力粉の味なんて知らないから、完成品のパンから逆に想像するしかない。
 僕の向かいに座ったハニシェも、美味しそうに食べてくれている。
「どこまで教えてくれたの?」
「まだキッチンだけでございます。ランドリーやバスルームはこれから」
「うんうん」
 備えつけられている家電は、電力ではなく魔力で動いている。ついでに言うと家電自体がイメージと魔力で作ったデタラメ品なんだけど、そのうち魔道具技師が迷宮外で使えるものを作れるようになるかもしれない。
 いまはまだ家電になじみがないハニシェだけど、覚えてしまえば簡単だろう。
「寝具もちゃんと揃っていたけど……ハニシェはちゃんと眠れた?」
「はい。あの……ここは、どこなんでしょうか」
 美味しいものを食べて嬉しいけれど、同時に不安そうな顔もするという器用なハニシェに、僕はまず謝った。
「巻き込んじゃって、ごめんね、ハニシェ。この場所は、ぼくが大人になってから使う予定だったんだ」
 異世界人召喚が予想より早まったせいで、追突事故のように転がり込むことになってしまったのだ。
「ここは、ぼくがスキル【環境設計】で創った場所だよ。外の世界とは完全に切り離されている、避難場所。害獣も出ないから、とっても安全」
「切り離されて……。元の場所には、戻れないのですか?」
「戻れるよ。だけど、この場所……というか、ぼくのスキルについて、外の誰かに知られるわけにはいかないから、ハニシェを外に出してあげられないんだ。いまのところはね」
「ああ、えぇ……」
 ハニシェは納得と同時に、新たな困惑が出てしまったようだ。
「生活には困らないよ。ライフラインはばっちりだし、食料も無限湧きさせられるし。地上部分が仕上がったら、買い物をしに行ったりできるから、もうちょっと待って」
「はぁ……」
「ハニシェには、ここでも変わらず、僕のお世話をして欲しいんだ。家具の使い方はハセガワに習ったと思うけど、ぼくに聞いてくれても大丈夫だからね」
「あっ、それならできそうです!」
 ナイフとフォークを持ったまま固まっていたハニシェだったけれど、ぱっと笑顔になって食事を再開した。
「坊ちゃまのお世話は、ハニシェの仕事ですからね」
「そうそう。おねがいね」
「はいっ」
 やることがない、何をやっていいかわからない、というのは、かなり不安になるものだ。僕としても、気心の知れた彼女に朗らかな笑顔で世話してもらいたい。
 城館にいた頃のハニシェの仕事と言えば、僕の部屋の掃除と、僕の身支度やおやつを整えたり、一緒に遊んだり勉強の手伝いをしたり……そういうことをしていた。
(炊事洗濯をやっているところを、見たことがないんだよね)
 そういうのは、また別の人の仕事だった。
「そういえば、ハニシェの家族って、どこにいるの?」
「コロンの町です。鉱山の事務で働けるように勉強していたのですけれど、たまたまお城に上がる機会を得まして」
「そうだったんだ」
 コロンは南の山脈にある鉱山街のうちでも、最も規模が大きい。読み書き計算を教えてくれる場所があってもおかしくない。
「お城の料理のようにはいきませんが、家庭料理くらいならお出しできると思います」
「ほんと? たのしみだなぁ!」
 ハニシェの料理は普通に楽しみだけど、毎日作るのは大変だし、過度な期待はかけずに、見守り役の従者を早めに創ろう。その方が安心だ。
 ハセガワが淹れてくれた食後の紅茶を飲みながら、僕は新たな生活の見通しが立ってきたことに満足した。
「ぼくは仕事があるから、ハニシェはこの家の周りで自由に過ごしてね。小川を見てきてもいいし、菜園をつくってもいいし。誰かたずねて来たとしても、ハセガワのような、手助けしてくれる人だから、怖がらなくて大丈夫だよ」
「わかりました。では、大山羊の世話と、荷台の整理をやっておきますね」
 そういえば、大荷物を抱えていたんだった。たぶん、食料も入っているはず。
「すぐに使わない物は、地下室に入れておけばいいよ」
「わかりました」
 食事が終われば、僕には仕事が待っている。
 ハセガワがハニシェに食洗器や洗濯機などの使い方を教えている間に、僕はログハウスから出て、敷地を区切る門を潜り抜けた。
「おはようございます、ボス」
 応接室や従者の執務室が並ぶ回廊、便宜上オフィスと呼んでいるエリアに出た僕に、スーツ姿のカガミが会釈をする。
「おはよう、カガミ。報告は上がっている?」
「こちらに」
 いくつかのファイルを受け取ると、その大きさと量にちょっとふらついたので、カガミが持ち直してくれた。このまま運んでもらおう。
「すみません」
「いや、ありがとう。さすが、仕事が早いね」
「おそれいります。ハセガワからの報告書は、アトリエに運んであります」
「ありがとう。やれやれ、仕事場のリフォームも必要だな」
 アトリエは一人で仕事をするにはいいけれど、チームで仕事をするには向いていない。こういう資料を置いておく場所や、会議室も用意した方がいいだろう。
「まあ、いい。ぼくの身の安全は確保できたから、じっくりやっていくか」
 夜はハニシェがいるログハウスで寝て、昼間はこっちで仕事だ。とはいっても、五歳児の体がもたないので、大人ほどの長時間労働は無理。集中力も続かないしね。
「そうだ、休憩室の使い心地はどう?」
「はい、快適だと思います」
 不思議な言い回しで答えられたが、カガミたち従者は休息を必要としない。迷宮からの魔力が供給されている人形なので、基本的に食事も睡眠もとらない。皮膚の代謝や発汗、排泄もないから、入浴だって不要だ。
 だからといって、ずっと働かせ続けるのは、僕に心理的な負担がある。機械だってメンテナンスが必要だし、入浴中にいいアイディアが浮かんだりするものだ。
「外に出たハセガワが、シャワールームやランドリーを使ってみたようです。しかし、個別の住居までは不要ではないでしょうか……」
 ソフトドリンク飲み放題なゆったりしたラウンジと、カーテンでベッドの間を仕切られる仮眠室と、男女別のトイレとシャワー室と、ついでにランドリールームもつくった。
 さらに、金太郎飴的で面白味はないが、自分たちの趣味を反映させやすいシンプルなワンルームも用意してある。
「そのうち、稀人用の衣類や日用品の開発もするから、使って感想を聞かせてほしい。それに、人間らしい振る舞いに慣れておくことで、ぼくや稀人からの要求に対するレスポンスに、きみら自身が獲得した経験からの意見を付け加えられるようになるだろう」
 事実上、僕には相談する相手がいない。この世界の常識などは、ハニシェやシロに聞けばいいけれど、日本の一般レベルを知っている人がいないので、迷宮創りでちょっとしたことの意見を得ることができない。
(迷宮の魔王って、孤独なんだなぁ)
 そんなことをぼやきつつも、いっそのこと意見を言ってくれる人を、今から育てた方が建設的だという結論に達したのだ。従者たちには、ぜひ日本スタイルを学習していってもらいたいと思う。