012 人材・情報・時間


 おしおきで一人軟禁されると聞いておろおろするハニシェを宥めて、僕は西の塔に登った。
「足元、お気を付けください」
「だいじょうぶ」
 先導する衛兵のジェグズは、心配そうに何度も僕を振り返る。暗くて急な塔の階段を、僕は慎重に一歩ずつ上がっていた。
 後ろには同じく大柄なクービェがいたけど、僕が逃げ出さないようにというのが本来の役目なのに、僕が転げ落ちてきたら受け止めるという気概が溢れていて、こちらにも伝わってくる。
 主筋の子供にけがを負わせられないというのもあるけれど、父上に絶対服従な衛兵ばかりな中で、この二人は意外と僕に同情的なようだ。
「ふぅー、やっとついた」
 塔の中にある小部屋は、本来兵士が待機する場所なので、とても狭い。簡易ベッドとも呼べないベンチと、トイレ代わりの壺があるだけ。窓もないし、監獄同様だ。
「今夜は、兵士の誰かが扉の外におりますので……」
「お仕事ふやして、ごめんなさい」
「い、いえ……。のちほど、食事と毛布をお届けします」
「ありがとう!」
 ばいばい、と手を振ると、木の扉が閉まり、ぼそぼそと短い会話の後で一人分の足音が遠ざかっていった。どちらか一人が、見張りのために残っているのだろう。
(さて、と。……いやしかし、臭いな)
 普段は塔まで人が配置されていないので、掃除もろくにされていないし、なにより壺にこびりついた臭いがこもっている。子供の反省部屋としては、効果的かもしれないが、なかなか厳しい環境といえる。
 この部屋の扉には物理的な鍵がないので、まず不用意に入って来られないように、スキルでこの部屋を迷宮化させて扉を施錠。ついでに消臭もする。
(ぼくの【環境設計】は、“障り”さえあれば、どこでも迷宮に出来るのが強みだよね)
 アンダレイが言っていたように、僕らが感知できなくても、この城館にも“障り”は漂っている。
 アトリエとの行き来で使っている僕の姿見もそうだけど、例えば、その辺の壁に新しい扉を作って、全然違う場所とつなげたりとかもできる。僕がダンジョンクリエイターではなく、ラビリンスクリエイターである証とでも言おうか。
(そのうちハニシェがご飯持って来るだろうし、夜になるまでは、アトリエに入るのは危険だな)
 僕はベンチのほこりを払って腰かけると、石壁の目地をバッグの口に見立ててアトリエに繋ぎ、右手を突っ込んでモバイルタブレットを引っ張り出した。
「よいしょ」
 アトリエのデスクトップ同様に、ぼくが生前使っていたタブレットにも、ラビリンスクリエイトナビゲーションがインストールされている。
 シロはアトリエ内でないと僕と接触できないけれど、アプリのチャット機能でメッセージを送ることはできる。
「『専用人員創るから、教皇国とリンベリュート王国の上層部情報を、まとめて提出させて。二年後にうちの国で召喚があるなんて、聞いてないんだけど?』っと」
 静かにブチギレている僕に、シロが白い顔を、さらに青くさせているのが想像つく。
「まったく。最初に創る従者が、従業員になるとは……」
 LCNの従者エディタを呼び出し、外見や能力、所持スキルを設定していく。
 てっきり、稀人のお世話係や、迷宮を人間にアピールする人員を最初に創ると思っていたのに、まさか先に僕自身の助手が必要になるとは。
「あー、一人に盛りすぎるのはダメだな。国内外の情報分析を任せる人と、ダンジョンの営業窓口と、タウンエリア運営は分けよう。三分野をまとめる統括者として、僕の代理人も必要だな」
 従者は迷宮の外に出ることができないので、諜報活動ができる人員は後回し。まずは僕の執事と情報分析官を創り、彼らの執務室も創って、アトリエの外周回廊に繋げる。
 従者に調べて欲しいことを箇条書きしにしているところで、扉の外に人数が増える気配がした。
 僕はタブレットを目地に突っ込んでアトリエに隠し、ドアの施錠を解除した。
「坊ちゃま……!」
「ハニシェ!」
 食事の入ったバスケットを持ったハニシェと、毛織の毛布を持ったアンダレイが、狭い小部屋に入ってきた。
「ありがとう。ごめんね、ハニシェ。父上に怒られなかった?」
「ええ、それはもう。旦那さまは、大変にお怒りでしたよ」
 眉尻を下げながらも、なぜか朗らかな口調でハニシェは言う。ベンチのほこりを払って毛布を置くアンダレイに顔を向けると、彼も困ったようにハニシェを見やった。
「私からお話しても?」
「そうですね」
「なにがあったの?」
 僕は自分がやらかしたことが、予想以上に大事になったのだと、二人の顔を見て悟った。
「ショーディーさま、ハニシェは旦那様に解雇されました。この後、城館を下がります」
「え!」
「続きがございます。ショーディーさま、貴方も旦那様はブルネルティ家から追放すると言っておいでです。ですが、これには奥様をはじめ、ネィジェーヌさまやモンダートさまが反対しておられます」
「……」
 アンダレイが告げたことに、僕の脳みそはフル回転した。
 僕が家を出れば、ハニシェをメイドとして雇っても誰も文句は言わない。それに、ハニシェ以外の目がなくなるのは、アトリエにこもりたい僕にとってはかなり嬉しい。いまのところ現金はないけれど、稼ぐ手段は一応考えている。だけど……
「……さすがに、五歳児に言い負かされた腹いせで縁切りはみっともないって、母上も思ったのかな。まわりになんて説明するつもりだと」
 んっふ、と噴き出したハニシェだけでなく、アンダレイまで表情が見えないように僕から顔をそむけたので、たぶんそのとおりだったんだろう。
 母上に肖像画でゴマ擂っていたのもあるけど、動いてほしい方向と逆に作用されるのは困る。
「ぼくが不敬だっていうのは、自覚があるから、追放でもいいんだ。ぼくのスキルが教会に利用されるかもしれないとは……いや、ちがうな」
 父上は僕が教会をまったく敬っていないどころか、軽視、もっと言えば侮辱していることを知っている。グルメニア教会やライシーカ教皇国がいくら僕に触手を伸ばしても、僕が迎合せず対立するに違いないと確信しているはずだ。
(だから、スキル持ちでも戦闘向きでない僕を放出してもいいと。もし王家が僕を手に入れたなら、それこそ父親面して口を挟める。相変わらず、父上は脳筋だな)
 母上は逆に、僕を対人間用に利用できると思っている。僕が扱いにくい性格をしていたとしても、他家に婿に出すには問題がない。【環境設計】なんて詳細がわからない、いままで聞いたことのないスキルでも、スキル持ちであるなら結婚相手にしたいと思う人間は多いはずだ。絵を描けるっていうのも、芸術関係が好きな上流階級相手にはポイント高いと思っているだろう。
(このままだと、勝手に婚約者ができそうだ。父上の勘気に乗っかって、逃げ出した方がいいな)
 そこまで思考を進めて、僕は決心した。
「ねえ、アンダレイ。むかしこの辺を支配していた……何家だっけ?」
「デオハブ家、でございますね」
「そう、それ。そのデオハブ家の本拠地って、このお城じゃないでしょ?」
 この城館にも“障り”はあるけれど、ラポラルタ湿原の方が“障り”が濃い。行き止まりの山脈に向かってリンベリュート王家が北から攻め込んだならば、デオハブ家の本拠地はもっと南、戦場になったラポラルタ湿原の向こう側にあったはずだ。
 果たして、アンダレイは深く頷いた。
「さようでございます。デオハブ家が治めていた、デリンという町がラポラルタ湿原の近くにありましたが、現在は森に呑まれ、廃墟となっているはずです」
「そこも“障り”だらけ?」
「はい。少なくとも十年以上は、誰も入っていないと思います。道も途中で途絶えてしまい、正確な位置すら、もうわかりませんので」
 アンダレイが教えてくれた情報は、僕にとって朗報としか言いようがなかった。
(そんなに“障り”があるなら、追手や監視も来ないだろうし、隠れるのにぴったりじゃないか!)
 正直言うと、この家から逃げ出したとしても、市井に紛れるのは遠慮したかった。いまの生活以上に劣悪な環境だと、僕の心身が先にやられそうだからね。
(迷宮内なら、清潔なトイレとお風呂があるし、冷暖房完備だし、日本基準のごはんも用意できるし!)
 僕が迷宮を創って暮らせることを知る人間は、できるだけ少ない方がいい。ハニシェ一人なら、いまの僕でも懐柔できる自信がある。
「決めた。ぼく、このお城から出てく」
「ショーディーさま……いけません、お考え直しください」
 蒼褪めて首を振るアンダレイに、僕は大丈夫だと胸を張って見せた。
「ハニシェは、ぼくといっしょにきてね?」
「どこまでも、お供いたします! ええ、坊ちゃまにひもじい思いなんてさせませんとも。坊ちゃまのためなら……」
「体売るとか言わないでね? そんなことしなくて大丈夫だから」
 顔を赤くして固まるハニシェ。図星だったんだろう。
「アンダレイ、用意してほしいものがあるんだ。それが整えば、ぼくは明日にでも出ていくって、父上に言って」
「……わかりました」
 僕がアンダレイにお願いしたのは、僕とハニシェが乗れる馬車と、領地の南部まで行ける水と食料、それに日用品が少々。あと、お金も少し。それから、ラポラルタ湿原のそばまで街道を案内して護衛してくれる冒険者。
「衛兵はいらない、って言っても、監視についてくるんだろうなぁ。あぶないから、こなくていいんだけど」
「危ないなら、余計に護衛が必要では?」
「ぼくとハニシェだけなら、スキルでまもれるんだよ」
「そういう事でしたか」
 納得してくれたアンダレイは、僕がお願いした用意をするために戻っていった。
 僕は運んでもらった夕食を食べながら、ハニシェにこれからのことを軽く指示しておく。
「ちょっとびっくりするかもだけど、心配しないでね」
「ハニシェは賢い坊ちゃまを信じておりますから」
 僕のせいで解雇されるというのに、ハニシェは全然悲観していないように見える。普段なら、もっとジメジメグチグチと暗く沈んでそうなのに。
「……ぼくのせいでクビになったのに、嫌じゃないの? これから、こわくない?」
「なにをおっしゃいますか。坊ちゃまは、旦那様や家庭教師の先生に対して厳しくても、いつだって私をはじめとした使用人たちに優しかったです。それはきっと、坊ちゃまの信じるものが、私たち下々の者にとっても善いことに違いないからだと、私は思うのです」
 目を丸くする僕の前から、空になった食器を下げると、ハニシェはおやすみなさいませ、と頭を下げて塔の小部屋を出て行った。
 使用人用のお仕着せ性格を演じる必要がなくなっただけでも良い傾向だと思うけど、それ以上に、この世界の人間が思っていたよりも悪くないのではないかと考え直すきっかけになりそうだった。
(迷宮の外でも使える人材、か。情報も集めないと……時間の余裕も少ない)
 カラフルな毛布を盛り上げて僕が寝ているように偽装すると、出入り口から見えないように扉を作ってアトリエに向かった。