幕間 ある従者が出会った異世界人


 濃い塩気と魚介の刺激的な旨味が、口いっぱいに広がる。小麦で出来ているという細い麺に、温かいスープが良く絡んで、非常に美味だ。
「異世界の食事というのは、本当に驚くばかりです。どの料理も美味しいですね」
「湯を注ぐだけで出来るなんて、どういう仕組みなのだろうか?」
「そもそも、家庭で簡単に作れるように加工した、保存食だからなー」
 ずぞぞぞぞーっとカップラーメンをすする男三人。今日はシーフード味だ。
「んー、美味かった。食休みしたら出発するか」
「そうですね。夕方からまた雨になりそうですから、早めに休めるところを探しましょう」
「わかった」
 男の恰好で庶民の男のような話し方をするサルヴィアに、リオンはまだ少し慣れないのだが、リオンの主人であるジェリドは全く気に留めていないようだ。
 洗うのが面倒だからとサルヴィアが用意した、ぷらすちっくなる素材で作られた使い捨てフォークと、食べ終わったラーメンのカップをゴミ箱に捨て、リオンは軽く頭を振った。このゴミ箱も、次にバンガローを出した時にはきれいに空になっている。まったく、とんでもない道具だと思う。

 リオン・ハーバートは、この世に生を受けて一年後に、ジェリド・タスク・フライゼルの乳兄弟になった。
 以来、神童と称えられるジェリドの従者としてフライゼル家に仕え、勉学にも武術にも励んできた。もっとも、そのどれもがジェリドには敵わなかったが、侯爵家の嫡男として、厳格な父親の下で孤独になりがちなジェリドに寄り添ってきた。
 優秀過ぎる上に、義理や慣れ合いのような人付き合いが苦手で、円滑な交友関係を築くことに苦労するジェリドの補佐を任せられたリオンは、何があろうとジェリドの味方として生きていくことを、己に誓っていた。
 セントリオン王国での聖女騒動の折、それまでずっと付き従っていたジェリドと離れ離れになって心配するリオンを、同僚であるフライゼル家の使用人たちは生温かく笑った。リオンよりも優秀なジェリド坊ちゃまが、危機に陥ることなどない、と。少しは主人離れしないと、あらぬ疑いを向けられかねないぞ、と。
 たしかに、ジェリドは女性に対して淡白というか冷淡すぎるところがあり、何も知らない人間から見れば、常にそばに控えるリオンを、そういう対象にしているのではないかと思われても仕方がないかもしれない。
 それはさすがに不味いとリオンは納得し、自立心を鍛えるためにも、リオンはフライゼル家の屋敷で仕事をしながら、ジェリドの帰還を待っていた。
 しかし、聖女の巡礼中に呪われたジェリドが、フライゼル家に戻ってくることはなかった。呪いが伝染するからと会う事も許されず、胸を引き裂かれるような思いで日々を過ごしていたところ、老齢を理由にただ一人同行を許されたロータスから便りがあった。

―― 聖者様のお慈悲に縋れることに……。

 ジェリドにかけられた死の呪いを解くことができるかもしれない。その希望に、リオンは呼吸困難を起こすほど涙を流した。
 聖地の神官たちすら匙を投げた呪いを解いてもらえるならば、自分の命だって捧げる覚悟があった。それを、魔境の瘴気を浄化しているという神聖魔法使いは、特に謝礼を要求することなく、ブランヴェリ公爵家に頼まれたからと、善意でやってくれるというのだ。
(女神は我らをお見捨てにならなかった……!)
 ロータスから自分の代わりに魔境でジェリドの世話をしてくれないか、と話を持ち掛けられた時には、一も二もなく頷いた。

 ブランヴェリ公爵領の小さな廃村で再会したジェリドは、呪いで死にかけていたなどわからないほど回復していた。そして、なにより笑顔が増えていた。
 フライゼル侯爵家に戻る気はないと言われ少し残念に思ったが、ここに残った方がフライゼル家の役にも立つと説得され、ジェリドがそう言うならば自分もここに残ろうと決心した。
 ジェリドの呪いを解いてくれた聖者リヒターは、まったく偉ぶったところのない平民の若者で、女神アスヴァトルドの加護が厚いにもかかわらず、水神リューズィーにも敬意を払っていた。
「リューズィーだって、広義ではアスヴァトルド教の内なんだから、どっちにもお祈りすればいいんじゃない? あー、わかる。大神殿とか聖地とかって、なんか胡散くさいよな」
 強力な神聖魔法を使うのに、神官ですらない彼に信仰を尋ねると、そういう緩い回答が帰ってきた。
 リオンの主人であるジェリドなどは、大神殿は敵と認識していた。たしかに、自分たちが助けられなかったジェリドが生きているのは、大神殿のプライドを大きく傷つけていることだろう。こちらに対して攻撃をしてこないとは言い切れなかった。
「おや、ノアくん。おかえりなさい」
「おかえりなさいませ」
「じぇー、りおー、ただいま!」
 元気になって、セントリオン王国に仕えていた時よりも頭脳の切れ味が増したジェリドだが、リオンが見たこともないほど、でろんでろんに甘い顔をするのが、ノアという幼児だった。リヒターが保護しており、その実力は魔王級らしい。毎日のように森の中で巨大魔獣を狩り、貴重な素材を持ち帰ってくる子供だ。
 リオンが知る限り、ジェリドがいくら成人女性に淡白だとしても、幼児趣味だなんてことはなく、ただ単に、ノアという幼児の愛らしさと、そこからは想像もつかない実力が同居しているという、アンバランスな事実が面白くて気に入っているようだった。
「ジェリド様は、ノア様が大好きなんですね」
「ああ、大好きだね!」
 子供のように頬を染めて肯定するジェリドの笑顔を見て、リオンはこの笑顔が消えないよう願った。

 さて、ジェリドの呪いを解いたのはリヒターだが、ジェリドを実質的に保護しているのは、ブランヴェリ公爵家。もっと言えば、その代表である公爵代行のサルヴィアだ。
 彼が女装をした男性だという事を、リオンは早めに教えられていた。サルヴィアはまだ二十歳にもならない若さだが、その精神は成熟しており、手腕は高く、充分に公爵家を導いていけるだろう。
(ジェリド様より若いのに、ジェリド様と同等に渡り合えるとは……)
 その謎が解決したのは、旧王都シャンディラを攻略し、大神殿が隠し持っているメラーダの栽培地を探すために旅立ってからだった。
 長い黒髪を無造作に結い、その辺の冒険者と変わらない軽鎧姿で目の前に立たれた時は、はっきり言ってしばらく頭が混乱した。顔や声は確かにサルヴィアなのだが、目の前にいるのは淑女ではなく青年なのだから。
 ジェリドとリオンはサルヴィアの案内で、崩壊したシャンディラ魔術学園の地下にある『星の遺跡』から、南東シューガス地方にある『海の遺跡』に転移した。この転移の遺跡を使える者は限られているらしく、サルヴィアにはたまたま資格があったそうだ。
 あまり他人に知られたくない遺跡の転移機能をサルヴィアが使ったのは、時間短縮という理由に加えて、大神殿からの追っ手を撒くという理由があった。シャンディラから南東への土地は、まだほとんど浄化されておらず、その先に進むには、浄化魔法を使える者が必要だった。大神殿の神官でも、リヒターほど広範囲の瘴気を浄化できる者は少なく、多少の足止めにはなると思われた。
 逆に、サルヴィアは道化師レノレノにもひとつ譲渡された、魔道具師メロディが作成した浄化ペンダントを持っており、三人の道行きに問題はなかった。
 『海の遺跡』からジェリドの魔法で空中を移動して入江の上に出ると、三人はまず、そこからほど近い港町バーレークに向かった。バーレークはディアネスト王国時代で最大の港町であり、領主館や港湾管理局、それに神殿を調査する必要があったのだ。
「これだけ大規模にメラーダを栽培しているのに、その運搬ルートが陸上に見当たらないのは不自然です。ほぼ間違いなく、海上へ持ち出されているでしょう」
 ジェリドのその予想は的を射ており、バーレークでは大量の資料を見つけることができた。ただ、メラーダを保管していると思われる倉庫が、沖合の無人島にあり、海上の安全が確保できるまでは、調査できそうもなかった。
「僕たちが調査に入る前に、セントリオンの大神殿が潰してそうだな」
「セントリオンにいる者に調査させていますので、無収穫にはならないと期待しております」
「ジェリドが言うなら、大丈夫だろうな」
 サルヴィアの屈託ない笑みは、ジェリドに対する全幅の信頼が感じられ、リオンは我がことのように嬉しく思うのだった。
 三人という少数での旅について、リオンははじめ不安に思っていた。つまり、貴族として育ったジェリドやサルヴィアはもちろん、リオンにも野営の経験が少なかったからだ。ところが、サルヴィアがメロディから借りたという魔道具の家が、すべてを解決してくれた。見たことはなくても美味な食事があり、湯を使って体や衣類を清潔に保つことができ、安全な寝室で休むことができた。
 はじめてこのバンガローに招かれた時に、サルヴィアだけでなく、メロディとリヒターの半分が、異世界人であると打ち明けられた。
「僕は一回死んでいるんだよ。ちょうど、いまくらいの年齢だったかな」
 サルヴィアはハハッと軽く笑うが、一度死んで他の世界に生まれ変わるなど、リオンには想像もつかない事だった。
「厄災の神エイェルが蒔いた災いの種を摘むこと。それが、この世界に魂を召喚された、僕たちの役目らしいよ」
「この世界の神がもたらす災いならば、なぜ女神アスヴァトルドは我らをお使いにならないのでしょうか」
「いい質問だ、リオン。なぜかというと、エイェルが女神の神託を受け取る使徒までも壊すからだ。それを避けるためにも、僕たちはなるべくこの世界から逸脱しないように気を付けながら、こちらの人々に関わってエイェルの企みを阻止することを期待された」
 リヒターは元々、女神の使徒としての役目があったが、エイェルの妨害によって魂を壊され、それを補修するために、異世界人の魂が使われているという。女神アスヴァトルドは使徒を壊されたことで籠られており、神託が下されるような状態ではないらしい。
「自ら魂を分解して提供するなど……恐ろしい事です」
 それは聖者の献身というにふさわしい行いなのだろうが、とても常人には真似できそうもない覚悟だ。
「でもまあ、リヒターはリヒターだからな。これからも変わらず、変に持ち上げたり畏まったりしないで、緩い感じで付き合ってやって欲しいな。リヒターも、そう望んでいるはずだ」
「はい……」
 リオンの返事に、サルヴィアはにっこりと笑った。
 身分制度がほとんどない世界から転生してきたらしく、彼らは総じて分け隔てない態度を好むそうだ。サルヴィアも自身の身分が高いせいで、この世界での身分ごとの接し方には苦労したらしい。

 そんなサルヴィアが、公爵代行としての仕事以外で、目下非常に苦労し、ジェリドに相談していることがあるそうだ。
「サルヴィア嬢ほどの方ならば、相手が嫌という事なんてないと思うのですが……」
 リオンの主はそう言って苦笑いをこぼす。
「相手の意向を無視して男女の付き合いをする、まして求婚なんてできないと言うのですよ。公爵代行ともあろう方が」
「ええ……」
 これにはリオンも呆れてしまった。
 サルヴィアほどの地位と名声と財力と実力と美貌があれば、どんな女性でも喜んで求婚に応えるだろうに。性格だって悪くないのだから、実際の結婚は数年後として、婚約してからでも十分に心の距離を縮めることはできるだろう。
「いまだに文通で友誼を深めている段階だと言うので、私にはそれ以上助言できませんでした。平和な情勢で、王都などで暮らしているならばともかく……リオン、何かいい方法はありませんか?」
「……申し訳ございません。私にも妙案は……」
「そうですよねえ……」
 驚嘆するほど進んだ文明を持ちながら、理解できない感覚を持っている。異世界人というものは、我々から見ると、ずいぶん変わった人たちなのだなぁと、リオンは首を傾げるのだった。