第九幕・第二話 若村長と欲望の果て
メロディが広げた活版印刷のおかげで、ディアネスト王国では二十年近く前から週一で新聞が刊行されていた。
「初刊行が、初代『フラ君』のエンディング後。リヒターも生まれた後だから、ナイトハウル伯爵家が潰された事件は載ってないか」 ごわごわした紙に滲んだインクの字を、読みにくそうにしかめ面になりながら追うメロディだが、俺は大きなテーブルに山積みにされた新聞紙を眺め、よくこんなにとっておいたなと感心してしまう。号外も何枚か混じっているようだ。 「あっ! スヴェンのお母様と弟さんが亡くなった事故の記事がありましたわ!」 「なんだって」 サルヴィアが持っている紙束を覗き込むと、たしかに『マハム伯爵家の不幸』と書かれている。この記事によると、どうも水難事故のようだ。真昼間、船上茶会中に、湖に落ちたらしい。 「昼間の茶会中に? 使用人も大勢いるだろうに、誰も気が付かなかったのか?」 「ディアネスト王国の船上茶会がどういう規模で、どんな様子なのかは知りませんけれど、これだけだと、たしかに不自然ですわね」 サルヴィアは日付や事件の概要などをメモに書き写し、次の日付へと移っていった。 俺の方は、シュザーリ伯爵が大量猟奇殺人の犯人として、ダフ監獄という所に送られた記事を見つけた。彼の屋敷からは、数十人分のバラバラ死体と白骨が出てきたらしい。たぶん、こいつがコープス伯爵の素体だろう。 「うん? これは……」 なんとなく見覚えのある少女の似顔絵を見つけて、俺はその記事を読んだ。 「サリマ公女、今年も欠席か……?」 それは、ディアネスト国王デニサス二世の、即位十周年記念式典に関する記事だった。サリマ公女というのは、デニサス二世の従弟アフダヤン公爵の末娘で、表向きは病弱ということだったが、人前に出られないほど醜い容貌をしているという噂があるらしい。そうとは書いてないが、それとなく匂わせる嫌らしい書き方に、俺は顔をしかめた。 「なんだ、この失礼な記事は」 そこで思い出した。この少女、あのハエ女だ。癖のある黒髪とか、妙に鼻と口が近い造作とか、けっこう似ている。 「マジかよ……」 俺はその記事を遠くにやりたい気持ちを抑えて、メロディを呼んだ。 「メロディ、王族に近い人の記事があった。この女の子、俺たちがハルビスで戦った、初見殺しのハエ女だ」 「どれどれ? ……うわぁ、お上品な記事だこと」 メロディも眉間にしわを寄せ、唸るように吐き捨てた。 「この、アフダヤン公爵っていう人が、探している奴か?」 「ちょっと待ってね」 メロディが分厚い貴族名鑑をめくり、手書きの家系図と見比べ、そして頷いた。 「そうだ。アフダヤン公ガルシャフ。父親が先代の王弟で、デニサス二世と王位を争ったんだ」 その当時の新聞はないが、結局デニサス二世が王位を継ぎ、ガルシャフはほとんど隠居扱いになったとか……。 「たしか、ガルシャフの父親の方が優秀で人気が高かったけど、病弱で、政務に耐えられないからって、順当に兄のゴンドル三世が王位についたの。で、その息子がデニサス二世」 「叔父の病弱が、甥にも遺伝したのか?」 「そこ、素直すぎるだろ」 「え?」 首を傾げた俺に、サルヴィアが解説してくれた。 「毒殺未遂なんて、珍しくありませんわ」 「あ、あぁ〜……」 ディアネスト王家、ドロドロすぎるだろ。 「アイナ王女が病弱だったのも? 女の子でもターゲットになるのか」 「それはわかりませんけれど、毒によっては親から子供に影響があるのも否めませんわ。彼女の場合、本当に体質だったのかもしれませんが」 サルヴィアは浮かない顔でため息をついた。 「初代フラ君主人公が現れてくれたら、こんなことにはならなかったかもしれませんわ」 「そうなのか?」 「ゴンドル三世とガルシャフの父の間に、もうひとり男兄弟いるの。それが、初代『フラ君』の攻略対象の一人、第二王子ジャレッドよ」 ゲーム内の史実では、ジャレッドと主人公がくっつくことで、宮廷内のごたごたを丸く収めて、ジャレッドが王位を継ぐはずだったらしい。ところが、フラ君主人公が現れず、ジャレッドは他の貴婦人と結婚して、大公として王都から離れた領地に引っ込んでしまったそうだ。 「たぶん、きな臭い宮廷から逃げたのね。そのせいで、『フラ君U』の攻略対象ララヴァン王子が生まれていないわ」 「おう……もうそこからして破綻していたんだな」 ジャレッド王子の親友である騎士ゼファーも、陰謀の渦中で殺されてしまったせいで、彼の娘として生まれるはずだった、リヒターの対になる雷光の女騎士リンジェルも生まれなかったらしい。主人公が現れなかっただけで、グタグタ過ぎるだろ。 「そういうわけで、この国は第一王子が継いだのだけど、彼の治世も短かったの。その息子であるデニサス二世が、幼くして国王になったのだけど、病弱を理由に王位継承争いから脱落した第三王子の子であるガルシャフは、面白くないと思ったのね」 「デニサス二世には、はやくからお妃様が何人もいたんだけど、王子が生まれなかった。だから、最後まで王位継承権一位は、ガルシャフのままだったんだ」 「なるほど、そういうことか」 自分が早く国王になるために、デニサス二世を 「そういえば、第二王子だったジャレッドはどうなった? 彼だって、まだ五十歳になっていなかっただろ? その子供にも、一応、王位継承権があるだろうし」 「それが……彼の領地は、スタンピードの第一波をもろに受けた位置で……」 「ああ……」 戦争が起こる前に、生死不明、か……。 「処刑された王侯貴族の中で、一番未練が強かったのは、たぶんガルシャフだろうね」 「彼のアンデッドとしての影響を強く受けるなら、やっぱり近い位置にいる人たちでしょう。このサリマ公女を始め、アイナ王女を護りたかったアシや、精神的な力が強くないスヴェンが引っ張り込まれた可能性は、大いにありますわ」 俺たちの眉間は一様に深く谷を刻み、巨大な欲望に対してしばらく口を噤んだ。俺たちに、彼を倒すことができるだろうか。 (いや、なんとかしなくちゃいけない) 俺たちは、この土地を魔境ではなく人が住める土地にして、さらに『永冥のダンジョン』にゼガルノアを救けに行かなければならないのだ。 「……ビッグアンデッドの正体に、見当はついた。彼のまわりで、他にもモンスターになっているかもしれない人を探して、備えよう」 「ええ、そうね」 評判や派閥の主要人物くらいは、新聞からでもわかるだろう。 「なるほど。そこまで強い欲望を持っていたというのは、私も知りませんでした」 地形図を持って歩くジェリドと並んで、俺はノアを抱っこして歩きながら、サルヴィアとメロディと発見したことを話した。 「最近はディアネスト王家に男児が生まれず、病弱な方が多いというのは聞いていましたが、ずいぶん根の深いことだったようですね」 「ああ。お妃様の中にも、流産してしまったとか、はっきりと書かれてはいないが殺されてしまった人が、かなりの人数いたみたいだ」 「そういえば、デニサス二世の奥方の数は、十本の指では足りませんでしたね」 跡継ぎを生ませるためとはいえ、ハーレムだよな。 「十分とは言えないだろうけど、怪しい奴は何人かピックアップできたし、予備知識として共有したい。メロディかホープに言えば、新聞はいつでも見せてもらえると思うよ」 「ありがとうございます」 俺たちが歩いているのは、ユーパの町ではなく、崩壊した交易都市ジャイプルの外周だ。水路を中心に、枯れた田園が広がっている。水はあっても、瘴気のせいで作物が育たないのだ。世話をする人間もいないし。 プトロス川を切り離す計画だが、近くに別の川が流れていることが分かったので、そちらに一時繋げることにしていた。現状、誰も住んでいないので、いままでの下流が干上がっても、すぐに困ることはないという判断だった。瘴気のせいで、生態系も壊滅していることだし。 なお、川の流れを変えるバイパスは、やっぱりメロディが作らされていた。働くことにブー垂れてはいたが、サルヴィアから高額な工事費を提示されたら、偉そうなことを言いながら、にっこにこで片付けていた。 「ここが予定地です」 ジェリドに案内されたのは、ジャイプルの西側。いまだ、運河が滔々と水をたたえる場所だ。 「よし、ノア。あの辺りに、広さはリューズィーの村くらい、深さはアイアーラさんのような大きい人が、すっぽり入ってしまうくらいの、穴を作ってくれ」 「ん」 ノアの小さな指先が、ぴゅっと動くと、小さな閃光が空から落ちた。 どごぉぉおおおおおんんんんん!!! 「おわっ!?」 「っ……!」 よろけた俺やジェリドを、さすがの体幹と重量でガウリーが支えてくれた。 「大丈夫ですか」 「あ、ありがとうございます」 「さんきゅ」 水飛沫と一緒に吹き上がった瓦礫や土砂が、俺たちの前にまで、ばしゃばしゃと降り積もっていく。ジェリドの精霊がガードしてくれているおかげで、俺たちにはかからないが、地面から巻き上がった埃や湿気が顔にまとわりつく。 「ぶっ。げほっ……ノア、大丈夫か?」 「うん」 埃を払いながら下がる俺とは逆に、ジェリドは土手のように盛り上がった土砂をよじ登り、その向こう側を眺めまわした。 「さすがです、ノアくん。立派なため池ができましたよ」 「えっへん!」 「お、おう……」 ため池というか、クレーター作ったんだけどな。どう見ても、ちょびっとメテオストライクだ。 俺たちも柔らかな土手をよじ登ってみると、壊れた運河からジャイプルにたまっていた水が流れ出てきていた。 「これで、ジャイプルの汚水が下流に広がることはないでしょう。落ち着いたら、この辺りの工事もするとしましょう」 「やれやれ。これで一安心だな」 俺たちはやっと、ジャイプルの先に進めることになった。 |