第五幕・第四話 若村長と森むこうの廃村


 やはり森の終わりが見えるにつれ、徘徊するアンデッドが増えてきた。スケルトン類が多いが、時々すぐそばにレイスやボギーが浮いていたりするので、神経を張り詰めた俺が疲れてしまうのは早かった。
(全員を護るなんて考えていたら、手が回らない)
 女神像から慰霊碑に替えて設置したが、慰霊碑にはめた浄化玉に込められた魔力も、今までに見たことがないほど消費が激しかった。それだけ、自ら瘴気を発している、強い個体がうろついているという事だ。
「さすがに、リッチクラスがいっぺんに何体も出てこられたら、防ぎきれない」
「こりゃあ、もうちょっと準備が必要だね。まだ森の中でも稼げるし、いったん引き返そう」
「……それがいいですね」
 十体からの子分を連れたリッチを二回倒したところで、俺は息切れを起こした。マナの残量は充分あるんだが、精神的な疲労というか、重圧に耐えきれない。予想以上の難度に、俺は唇をかみしめて、アイアーラの提案に頷いた。
 早く先に進みたいが、俺一人の浄化能力では無理がある。あちこちに慰霊碑を設置することもそうだが、『大地の遺跡』のそばでやったような、慰霊式が必要かもしれない。
(あのリッチを倒せるようになったなんて、すごい進歩だと思うけど)
 それでも、あの時のように一体だけでは現れなくなってきている。スケルトンソルジャーが八体、レイスを五体も連れていた時なんか、アイアーラたちがいてくれなかったら、一目散に逃げていた。
 ノアの魔法も、幽霊のようなモンスターには効きが薄いらしく、ぷにぷにした可愛い頬を、憮然と膨らませていることが多い。
 前日にキャンプを張ったひとつ前の広場まで戻って一夜明け、帰るための隊列を組んでいると、ノアが空を指差した。
「たー、じぇーの」
「え?」
 俺が見上げると、ちかりと何かが光り、小指ほどの小さな紙筒が落ちてきた。どうやら、ジェリドが使役する精霊が手紙を届けてくれたようだ。
「なになに?」
 小さな紙片を広げると、そこには頭の痛くなるようなことが、極小の文字で書かれていた。

―― 緊急
    エルフィンタークの大神殿が動きました
    本日、難民キャンプより八名からなる半個小隊が南進開始
    内六名が神殿騎士、二名が神官、内一名奴隷扱い
    【鑑定】等、看破系能力持ちなし
    最上レベル87、精鋭クラスと思われる
    未確認ながら旧国境検問所からも侵入あり
    至急、隠れられよ
                  ジェリド―――

 旧国境検問所っていうと、俺たちが最初に足を踏み入れた、ハルビスの町か。封鎖した検問所から瘴気が漏れているらしいし、ついにリグラーダ辺境伯がキレたのかな。
(この、奴隷扱いってなんだ?)
 一応、エルフィンタークでは人身売買は禁じられているはずで、奴隷階級もないはずだが……それを神殿騎士が? よくわからないな。
 俺を探しているらしい精鋭部隊も、この様子では難民キャンプに着いてすぐにでも、作ったばかりの道に突入しているんだろう。
「さて、どうするかな……」
 とはいえ、すでに此方に向かってきているというのなら、選択肢は多くない。
「アイアーラさん、ちょっと」
「なんだい、面倒事かい?」
 俺は、この道を神殿騎士たちが下ってくるので、いったん別行動になると告げた。再会は、難民キャンプになるだろう。
「冒険者のふりをして、やり過ごすことはできないのかい?」
「それも出来なくはないと思いますが、先行して、森の先を偵察してこようと思っています」
「なんだって!」
 アイアーラが、無茶だと顔をしかめるのもわかる。俺の実力は、俺自身、よくわかっているつもりだ。
「戦うつもりはありません。隠形スキルはありませんが、隠れるための魔道具を持っています。それに、脱出用の転移スクロールも。……神殿騎士や神官たちに先を越されて、残されている記録などを破棄されては、この先の統治に支障が出ます。村や町を焼き払われて、余計に瘴気をひどくされることだって考えられます。彼らが何を考えているのか、それを探る必要があります」
「そうかもしれないけど、危険すぎるよ」
「ノアを連れて行きますから」
 アンデッドに囲まれなければ、そんなに心配はない。相手が魔獣や人間であれば、ノアの敵ではないからな。もっとも、俺はノアに神殿騎士たちを倒せなんて言うつもりは毛頭ない。
「大神殿の精鋭たちの、お手並み拝見といきますよ。それより、アイアーラさんたちも、気をつけて戻ってください」
 帰りは道を拓いたり木材を運んだりする必要もないから、たぶん二日もあればキャンプまで戻れるだろう。魔獣に襲われなければ、一日で到着するかもしれない。
「……しょうがないね。アンタもノア坊も、生きて帰ってくるんだよ」
「もちろんです」
 俺は同行していた冒険者たちに、俺の姿は見なかったことにしてもらい、全員を回復させてから見送った。
「よし。それじゃあ、暗くなる前に、行けるところまで行ってみよう」
「おー!」
 俺は【空間収納】から、隠密のケープというアイテムを引っ張り出した。以前、二郎ホープから買ったもので、気配を隠すことに優れている。姿が消えるわけではないが、人間だろうと魔獣だろうと、俺のことが気にならなくなるそうだ。
「問題は、アンデッドにも効果があるとは言ってなかったことだけど」
 なにしろ、俺は女神の加護が厚いせいで、人間以外でレベルの高い存在からは、すぐに察知されてしまう。
「ノア、これから、こっそり動くぞ。しー、だ」
「しー、ね」
 口先に人差し指を立てて、しー、とやるノアが可愛い。俺はノアをおんぶして、ケープの下に隠した。そして、この魔法もケープの下に展開させる。
「ライト。……逆に目立ったりしないよな?」
 レイスやボギー除けだが、リッチや神殿騎士たちからは見つけやすくなっていたら、本末転倒だ。
 切実に、神聖魔法の教師が欲しい。サルヴィアが入手してくれる教本は、使い方や効果は書いてくれてあるけど、ケースによる使い勝手みたいなものは書かれていないんだよな。
(ええい、なるようになれ!)
 俺は悟りの聖杖も【空間収納】にしまい、両手を開けると、大きなフードを下ろして、下草を踏みしめながら森の出口に向かって歩いた。


 俺たちが作った道の先にあったのは、広々とした村の風景だった。ただ、しんと静まり返って、時々ゴーストや鬼火が浮いているのを見かけるだけだ。
(意外と、エネミーがいないな)
 隠密のケープやライトのおかげかもしれないが、森の中のように、集団で襲ってくる気配はなかった。それに、黒狼や岩猪のような魔獣もいない。放置された作物どころか、雑草まで枯れぎみで、生命の気配が、まるでなかった。
 俺は間に合わせ程度に瘴気の浄化をしながら村を見てまわったが、墓穴が開いた墓地を見つけた以外は、村人の死体どころか、家畜の死骸すら見つけられなかった。
(喰われたか……それとも、『大地の遺跡』に襲ってきた中にいたのかな)
 たしか、アンデッドの中に、森の外に住んでいたはずの人がいたと、そんな報告があったはずだ。
「たー」
「どうした?」
 首の後ろからの囁き声に、俺はわずかに歩調を緩めた。
「おなかしゅいた」
「それは一大事だ」
 俺は日が傾いた空を見上げ、村長の家らしい木造の大きな平屋にもぐりこんだ。
 水や火を使って神殿騎士たちにバレる危険はあったが、幼児のご飯を妥協するわけにはいかない。二人で手を洗って、万が一のお弁当として持たせられている、ジャムのサンドイッチや鍋ごとの温かなスープを【空間収納】から取り出し、積もった埃を拭った食卓に並べた。
「エルマさんが作ってくれたスープだ。ほら、このお肉は、ノアが獲ってきたお肉だぞ」
「えへへっ、おいちいね!」
「ああ、美味しいな」
 ほっぺを膨らましてモリモリ食べるノアはご機嫌で、野菜や肉を小さめに切った塩味のスープも、甘いジャムを挟んだパンも、ぺろりと平らげた。健康的でいい事だ。
 歯磨きをした後に、ジェリドについていた呪いが変化した魔石をポリポリ食べていたが、まあ、あれで虫歯にはならんだろう。なんでも、甘くてシュワシュワとした口当たりなんだとか……コーラキャンディーかな? あの気持ちの悪い呪いが甘くなるのかと思ったが、もしかしたらジェリドのマナの味かもしれない。魔王の味覚は不思議だな。
 俺は自分の古い外套を毛布代わりにして、ノアをベッドに寝かしつけると、村長の書斎に入り込んだ。自分も故郷で村長業務をしていたから、どんな書類がどのあたりにしまってあるかは、だいたい見当がつく。
(人口が少ない割に、作付け面積が広いな。……ああ、救荒作物を急いで作っていたのか)
 スタンピードで全国的に農耕地が減少しているのに、さらに戦争が始まってしまっては、都市部での食糧危機は免れない。だからと言って出荷ばかりしていても、自分たちが食べるものまで無くなってしまう。できるだけ、収穫サイクルの早い作物ばかり作っていたのだろう。土地が痩せてきてしまっているようだ。
 俺はカンテラの火を調節して、次の紙束を手に取った。
(これだけの作物を作っても、村には自分たちの備蓄用以外の倉庫が見当たらない。つまり、すぐに流通に乗せられるということ。ということは、街道が近い。街道が近いという事は、エルフィンターク軍が移動した場所だから……)
 俺は森の中で見た、スケルトンソルジャーを思い出す。嫌な予感がした。
(まあ、それも狙っているって言えば、狙っているんだけどさ)
 手に負えないようなものを目撃するのは、勇気がいる。
 日誌の終わりの方で、エルフィンターク軍が作物を持っていったという殴り書きを見つけると、ずんと胃のあたりが重くなり、気分がふさぎ込んだ。
 俺はため息をつきながら、日誌や重要書類をまとめて【空間収納】に放り込むと、ノアが寝ているベッドまで戻り、カンテラの火を消した。
「ライト」
 冬の気配がしてきた夜明けは遠く、リューズィーの村に比べて不気味なほど静かな廃村の夜を、俺はライトの魔法が切れないよう見張りをしながら過ごした。