第二幕・第一話 若村長と家族の秘密


 パパ、パパ、と、柔らかく小さな手が、自分はここにいると主張している。俺はそれを追いかけて、いい匂いのする大切な○○○を抱き上げた。
 柔らかくて、もろくて、愛おしい……。
(これは……前世の記憶か)
 揺蕩う意識の中で、俺はそう理解する。
 魂と呼べるものがあるなら、きっとそこに記録されているのだろう。はしゃいだ笑い声に、思わず唇がほころぶ。ああ、しあわせだったんだな。
 だけど、日本にいた頃の思い出は、それ以上出てこなかった。それでも、俺は満足した。俺がいなくなった世界で、家族がどうなったのかはわからないが、護りたいものがあった人生に、悔いはない。
(だから、呼ばれたのか)
 俺は新たな世界に転生した、と思っていた。だが、正確に言うと、憑依に近いのかもしれない。結局は融合してしまったので、もはやどっちがどうという事もないのだけれど。
『神様! あぁ、だれかっ! お願い、この子を助けて……!』
 その悲痛な願いを叫んだ女が、そもそも能力アビリティ【身代わりの奇跡】を持っていた。自分の寿命を犠牲に、腕の中の我が子の生命を望んだ。
 そして、彼方から呼び寄せられた俺が、リヒターという赤ん坊を護るために、自分の魂で接ぎをし、皮膜のように覆い、散ろうとする命にもう一度活力を吹き込んだ。
(なるほど、一子相伝のユニークアビリティというやつか)
 急速に老化してミイラのようになった母親が死に、【身代わりの奇跡】は子であるリヒターに受け継がれた。それで誰もリヒターに、能力の存在や使い方を教えられなかったのか。
 ふーん、と他人事のように理解しつつも、同時に疑問がわき起こる。なぜこれほどのぶっ壊れ能力を持つ人間を、誰も保護していなかったのか。一子相伝なら、なおのこと、一族ごと保護されていておかしくない。特に、国家規模の権力者にとっては、喉から手が出るほど欲しいだろう。厚遇し、忠誠心を育て、子孫を作らせてから、万が一の事態には犠牲にする。嫌な言い方だが、そういう使い方をする能力なのだ。
(……あれ? 俺、その能力使った?)
 使ったら自分が死んでしまう能力だ。だからサルヴィア嬢が使うな、と念押ししてきたのだろう。
(俺、また死んだ?)
 自分の状態がわからなくて、疑問符で思考が埋まっていく。そもそも、ここはいったい……。


コッケコッケコォォーーーー!!!


「ぅっわ!?」
 耳元でコッケに叫ばれ、俺は飛び起きた。
「はっ、はぁ……っ、どこだ、ここ?」
 見回すと、不思議な場所だった。古い石造りの建物のようだが、その建材は大理石のように白くて滑らかで綺麗だ。ただ、異様な違和感がある。
(まるで、テーマパークの建物みたいだ)
 建物自体が歳月を経て風化したのではなく、元々風化した遺跡に見えるよう建てられた、そんな気がする。
「とにかく、ここ……おい、重いぞ」
「コッコッ……」
 簡素なベッドの上にいる俺の膝の上に、丸々とした白いコッケが鎮座している。さっき俺を叩き起こしたのは、こいつのようだ。
「なんか、デカくないか?」
 こちらのコッケは、前世で見たニワトリと比べて、一回りから二回りも小柄だ。それなのに、コイツはニワトリよりも大きく、もっちりとしている。しかも、赤い鶏冠や黒い尾羽を含めて、なんとなく全体的に金色っぽくキラキラしている。
 俺がじっと見つめると、コッケはヒョイと首を傾げ、さらに視線を逸らした。まるで、自分は何も知りませんと誤魔化しているようにも見える。
(そんなわけないか)
 俺はベッドから降りると、素足のままペタペタと歩いて、暖簾のような仕切りをくぐって部屋を出た。掃除が行き届いているようで、足の裏は痛くない。いま俺が着ているのはシャツとズボンだけで、荷物もどこに置かれているやら。
 ばさばさと羽ばたいて床に降りたコッケも、一緒についてきた。
「ここは何処だ、誰かいるのか?」
「コッコッコッ……」
 人の気配はするが、左右に続く無人の廊下に立ちすくむ俺に、コッケはこっちだと言いたげに歩いていく。
(コイツ、人間の言葉がわかっているんじゃないか?)
 なんだか、そんな気がしてならない。コッケの癖に、犬や猫みたいだ。
 とはいえ、他に当てがあるわけでもなく付いていけば、崩れた壁から外に出ることができた。
「ぅわ……」
 そこは、たしかに何かの遺跡のようだ。青空の下に、崩れかけた壁や柱がそびえ、石畳が剥げた地面には雑草が顔を出している。ただ、いまはあちこちにテントが張られ、人が行き来していた。平服を着た庶民が多いが、軽鎧を着た兵士や、元の高価さがわかるくたびれた服を着た人もいる。
「リヒター様!」
 女の人の声に呼ばれてそっちを見ると、布を積んだ桶を持った見覚えのあるおばさんがいた。
「あ……たしか、サルヴィア様の」
「はい。侍女頭のエルマと申します」
 すっと膝を折った挨拶が、ものすごく様になっている。
「すぐにお館様の……ああ、その前に、お召し物をお持ちいたします。どうぞこちらへ」
 壊れた壁の内側に戻って待っていると、服や靴を持ってきたエルマさんにテキパキと着替えさせられてしまった。一人でもできると言いたかったが、渡されたのは高そうな服だったし、お世話慣れしている人の手際には敵わなかった。
 着替え終わった俺は、流れ作業のようにブランヴェリ印の騎士に引き渡され、指揮所らしき大きなテントに連れて行かれた。
「リヒター!!」
「サルヴィア様。無事でよかっ……」
「このアホーーー!!」
 広げた扇で、べしっと頭を叩かれた。骨の部分で殴られなくてよかったが、繊細な扇が傷むから止めて欲しい。その扇一本でも、俺の金じゃ弁償しきれないだろう。
「あのアレは使わないでって言ったじゃありませんの! どんなに心配したと思っていらっしゃるの!? まあ、おかげさまで、わたくしは無傷でございますけど!」
「そ、それは良かった」
「良いわけないのに、結果的に良いとされるのが悔しいんですのよ!!」
 胸倉を掴まれ、がっくんがっくんと揺さぶられる。このお嬢様、鍛えているだけあって、意外と力が強い。
「こらこら、ヴィア。コッケを育てている人に乱暴をしてはいけない。私にとっても、大切な弟の命の恩人だ」
「お兄様!」
 なんだって、と回りかけた目を開けて見れば、たしかにサルヴィア嬢に似た黒髪の青年が立っていた。俺より少し年下に見える。きちんとした身なりをしているが、本人はそういうものに無頓着そうな雰囲気があった。なんというか、こういう自分が興味あることに寝る間も惜しんで没頭そうなタイプが、前世での知り合いにいたような気がする。
(お兄様? 弟? 俺が知らなかっただけで、あの開拓団に弟もいたのか?)
「はじめまして。サルヴィアの兄で、フィラルド・カザリーク・ブランヴェリだ」
 大人しそうな微笑を浮かべた彼は、ブランヴェリ公爵家の三男で、難民キャンプを統括しているはずの人だった。

 一番整えられているらしい部屋に、俺はサルヴィア様とフィラルド様に連れられてきた。テイストがややちぐはぐだが調度品もあり、俺はフィラルド様たちと向き合ってソファに座った。
 ここはあの森の中にある遺跡で、難民キャンプとして使われているらしい。リッチと戦った後、俺は丸一日寝ていたそうだ。
「あれから、無事に着いたんですね」
「浄化ポーションを飲みながら、なんとかね。あそこから、あと一時間半くらいの距離だったのよ。馬にも飲ませるのが大変で……」
「……」
 かなり近くまで来ていたんだな。だけど、あの地獄のような不味さの浄化ポーションを飲みながら、っていうと、まさにデス・マーチだったことだろう。俺は若干遠い目になった。
「弟を護ってくれたこと、感謝する。我が家を代表して、礼をさせてほしい」
「わたくしの命も、皆の命も救っていただきました。ありがとうございます」
「え、あの……俺は、そんな……」
 きちんと頭を下げたフィラルド様に俺は慌てたが、その隣のサルヴィア嬢まで頭を下げて、二人とも顔を上げないものだから、これは受け入れるしかない。
「顔を上げてください! その……どういたしまして。俺は、俺の意思で、やれることをやっただけです」
 貴族にお礼を言われるなんて、慣れてなくて、心臓に悪いからやめてほしい。貴族との付き合い方なんて何が正解かわからないし、下手に何かしてもらったり物をもらったりなんかしたら、その後が怖い。
(あ、そうだ)
 その時、俺は妙案を閃いた。
「お礼をしてくれるというのなら、ひとつお願いがあります」
「なんだろうか」
「俺たちの村を……元フーバー侯爵家の領地だった俺たちの村を、気にかけてやってもらえませんか?」
「村?」
 意図が掴めなかったらしいフィラルド様が首を傾げたので、俺は自分が感じている不安を打ち明けた。
「フーバー侯爵家の領地が取り上げられたのは、ご存じですね? 他の村はわかりませんが、俺の村は王家直轄領になったそうです。フーバー家の統治が酷かったので、王家の領地になったことを安心していたんですが……サルヴィア様たちへの仕打ちを見ると、どうも落ち着かなくなってしまって」
「なるほど。王家の領地が暮らしにくいという話は聞いたことはないが、たしかに心配にはなるだろうな」
 フィラルド様は苦笑いを溢しながら頷いてくれたが、サルヴィア嬢ははっとしたように顔を蒼褪めさせた。
「フィラルド兄様、急いで確認してさしあげて。第一王子のルシウス様に下賜されたのならまだしも、陛下の御領にしているか、第二王子のアドルファス様に下賜されたのなら危ないわ」
「ふむ……ヴィアがそう言うなら、なにかあるのだろう。わかった」
 あっさりと請け負ってくれたが、それにしても、このお兄さんのサルヴィア嬢への信頼の厚さはすごいな。
「サルヴィア様のご意見を、全面的に受け入れられるのですね」
「もちろんだ。我が弟には、いつも助けられているからね」
「あの、さっきから気になっていたんですけど、『弟』って……?」
 俺の質問に、きょとんと目を瞬いたフィラルド様は、ああ、と気の抜けた声を出した。
「ヴィア、まだ言ってなかったのか」
「そう言えば、言っていませんでしたわ」
 こちらを見たサルヴィア嬢を見返すと、いつもの可愛らしい笑顔が、ふっと別の笑顔になった。
「僕、男だよ」
「は……?」
 サルヴィア嬢の声なのに、むしろその低い声の方が自然に聞こえて……。
「はあぁぁぁぁぁ!?!?!?」
 俺の中にあった、可憐で凛としたサルヴィア・アレネース・ブランヴェリのイメージが、ガラガラと音を立てて崩れた瞬間だった。