公爵令息サルヴィアのサバイバル男の娘生活 ―11―


 ルトー公爵から謁見場でのことを聞いたダニエル兄様が、顔色を赤くしたり青くしたりしながら僕たちの屋敷に乗り込んできた時、僕はお母様であるサーシャが呆けたのを戻そうとしていた。
「なにをしているんだ?」
「ああ、お兄様、ちょっと助けてくださいませ」
「もちろんだ!こんな理不尽なことが・・・・・・」
「あ、そっちではありませんの。お母様の事です」
「は?」
 テーブルがひっくり返って割れた茶器が散らばり、絨毯に染みができている。お母様は紅茶で濡れたクッションを手に持ったまま、ソファに座り込んでいた。
「領地と財産が没収されたので、お母様とマーガレッタさんには、この屋敷を出ていっていただかなければならないのですが、それがわからないようで・・・・・・」
「え、あっ・・・・・・」
 僕自身は旧ディアネスト王国に行くし、使用人たちは他の働き口を世話してやることになるが、お母様とマーガレッタは行くところがない。お母様の実家は、ここなのだから。
 僕は扇で口元を隠しているが、ダニエルは僕が腹の中で大笑いしているのを感じ取ったに違いない。
「マーガレッタさんが王太子殿下と仲良しなのですから、きっとなんとかしてくれるのではないかしら」
「ふむ、たしかにそうだな」
 ダニエルもにやりと唇をゆがめたので、少しは落ち着いたようだ。僕はダニエルを自室に招き入れ、お茶を飲みながら今回の流れを説明した。
「なるほど、やりすぎて自爆したことになるのか」
「そういうことですわ。マーガレッタもアドルファス王子も、お母様ほど頭がよくないんですもの。最初から、遠隔操作には無理があったのです」
 転生者でなおかつ子供の頃から英才教育を受けていた僕ならまだしも、マーガレッタは最近まで町娘として暮らしていたうえに、学院の勉強とアドルファスを篭絡する以外の事には、とんと力を注いでこなかったのだ。国際情勢や政治戦略、さらには国家財政なんて、全然考えていなかっただろう。僕を貶めたい一心で、老獪なエルフィンターク王国首脳部に利用されたに過ぎない。
「それで、本当にディアネストに行くのか」
「はい。再来年に必ず爵位を返却するという言質も取りましたから。いまは待つ時だと思いますわ。確かに瘴気は厄介ですけれど、少しずつ散らしていくことはできましてよ」
 国王のサインがある書類は、先ほど届けられた。僕の冒険者としての功績も認められて、先日ランクがS級に上がると同時に、【民の守護者】という大げさな称号ももらった。これは魔獣討伐数が累計一千匹でもらえるもので、これがあるだけで学院の卒業試験の八割をパスできる。一年半でこんなに倒すって、どれだけ魔獣を倒せる人がいなかったか、よくわかるよね。
 僕が意外と大丈夫そうだとわかったダニエルは、僕に対する支援は惜しまないと念を押すように言って、ひとまず帰っていった。それと入れ替わりに、今度はホープが僕を訪ねてきた。
「残念ながら、これが閣下との最後のお取引になるやもしれません」
「どういうこと?」
 挨拶も早々に告げられた別れに、僕はゲーム期間が終わる前に僕が国外へ行ってしまうからかと思ったが、ホープはいつもの糸目のまま、三日月のように唇を吊り上げた。
「エルフィンターク王国のアドルファス王太子殿下と、その婚約者マーガレッタ様との、専属契約が成立いたしました」
 それがどういうことか、僕にはわかったけれど、おそらくマーガレッタたちは知らないだろう。ホープを囲い込むことによって、レアアイテムや便利消耗品を定期的に買うことができるが、それは同時に、ホープと定期的かつ頻繁に会わなければならないという事だ。
「・・・・・・・・・・・・そう、それはおめでとう。これからも身体に気を付けて、よい商いを続けてね」
「手前などに、もったいないお言葉、ありがとうございます。閣下とは大変楽しくお取引をさせていただいてきましたので、名残惜しゅうございますよ」
 会心の笑みを必死に扇で隠す僕に、ホープも殊勝なことを言いつつ、にこにこと楽し気だ。
「それでは、こちらが本日のオススメでございます」
 僕は最後の「全部いただくわ」をやり、さらに王家と専属契約の祝いだと、ホープに自作の回復薬一式を渡した。ホープに会うたびに、なにかしらつまらない躓きや心臓に悪い事はあったが、挽回できないようなものではなかったし、それよりもホープが売ってくれるアイテムのおかげで、僕とライバル令嬢たちはありえないほどのスピードでレベルや冒険者ランクを上げることができた。そのお礼の意味も込めた。
「ホープが扱う品には及ばないけれど、いまわたくしが作れる最高の品よ。あなた個人で使うにしても、取引の材料に使うにしても、ご自由になさって。いままでありがとう。本当に助かったわ」
 僕は初めて、ホープの糸目が開いたのを見た。髪の色と同じ、深くて濃い青だった。
「・・・・・・閣下に、幸運が訪れますように」
「ありがとう。わたくしも貴方の商売の成功を祈っているわ」
 僕はホープを見送ると、急いでレンダーとイヴァンを呼んで、なにがあっても王家やお母様たちと距離を取るように、無視無関係を通せと、お兄様たちや領地、それにアデリア妃とルシウス殿下にも知らせを飛ばした。僕を慕ってくれる領民からすれば、いまさらかもしれないが、あらためて徹底するよう呼びかけた。
(アデリア様たちにはお世話になったし、もう僕の領民たちではなくなってしまうけれど、アドルファスとマーガレッタが沈む不運に巻き込まれてはいけない。ホープを囲うとか、自殺行為にもほどがある!)
 僕に尽くしてくれた二人の執事も、フィラルドとマーティンの元に行かせた。彼らがいた方が、僕と同じく社交が上手いとは言えない下のお兄様たちの助けになるだろう。
「私はついていきますからね」
「エルマ・・・・・・」
 あまりに危険だと止めたけど、エルマは僕のお父様に顔向けできないと言って、しっかりと自分の荷物もまとめていた。
「ありがとう。頼りにしてる」
「エルマにお任せください。これでも平民のような暮らしもしてまいりましたからね」
 貧乏貴族は伊達ではありませんよ、などと笑い飛ばすエルマに手綱を任せ、僕は卒業証書を片手に開拓団の荷馬車の列に加わった。
 僕は開拓団の人足を金で募ったけど、一緒に行くフーバー侯爵のところは、自分の領民を集めたらしい。野良仕事で鍛えられた村人らしい体つきをしているけれど、いかにも貧し気な服装の者もいて、みんな長旅で疲れ切っているようだ。
 その中で、僕は飛びぬけて目立つ銀髪頭を見つけた。
「へ・・・・・・?」
「お館様!?」
 動いている馬車の上だというのに、思わず御者台で立ち上がりかけてよろけた僕を、エルマが慌てて支えてくれた。
「どうされました?」
「あの、いや・・・・・・」
 すらりと高い背に乗った銀髪は薄汚れていたけれど、優し気で端正な横顔には見覚えがあった。僕はフーバー侯爵の開拓団に混じっている彼を【鑑定】し、あまりの幸運に腰が抜けて、両手を組んで顔を埋めた。

リヒター(24)
レベル:11
職業 :農民
天賦 :【聖者】
称号 :【若村長】

才能:【空間収納】【幸運】【神の加護】【身代わりの奇跡】
特技:農作Lv5、牧畜Lv3、果樹栽培Lv1、回復魔法Lv1、神聖魔法Lv1

武勇 :10  統率:38  政治力:25
知略 :33  魅力:72  忠誠心:10

 いまは農民として生きているようだが、彼は間違いなく、『フラ君U』で登場する、聖者リヒターだった。
(リヒターだ!やった、生きてた!スタンピードで死んでなかった!ありがとう、ホープ!)
 最後の取引で、ホープは悪いことではなく、最高の希望を僕に授けてくれたようだ。彼の浄化があれば、魔境の探索が、ぐんと安全になるはずだ。
(反撃開始だ。見てろよ、お母様にもマーガレッタにも、二人にそそのかされたエルフィンターク王家にも、ぎゃふんと言わせてやる!)
 エルフィンタークに対する腹立たしさも、自分に対する無力感も、どこかに吹っ飛んでいってしまった。腹の奥底から、熱いやる気がぐんぐんと湧き出してきて、これから魔境に行くというのに少しも怖いと感じない。
(僕はどこででもやれる)
 そんな僕の唇に浮かんだ微笑を、隣に座っているエルマだけが、にこにこしながら見守ってくれていた。