ずっとこうしていたい。そう思うのだが、二人はリタ=ルーエナの家に向かって進んでいるので、いずれ再び別れなくてはならない。そうでなくても、ティウルス=ジェイルの貴重な勉強時間を削っているのだから・・・。
「また暗ぁいこと考えているでしょ」
「え?」
 見上げると、困ったようにティウルス=ジェイルが微笑んでいた。
「いいよ。そんな困ったちゃんなリタ=ルーエナも、可愛いと思うしさ。・・・僕に送らせて悪かったなぁとか思っているんでしょ」
「・・・」
「あったり〜」
 小さくうなずいたリタ=ルーエナに、ティウルス=ジェイルはくすくすと笑いながらじゃれついた。彼女の遠慮過ぎる思考は、気遣いの度を過ぎていると思う。そんなに卑屈にならなくていいと思うのだが、彼女を取り巻く環境がやや特殊であることを思えば、いたしかたのないことなのかとも思っている。
「気にしなくてもいいよ。そのうち、遠慮しまくることもなくなると思うし。僕のお嫁さんになってもらうんだからさ」
「ティ、ティウルス・・・!」
 真っ赤になってまごつくリタ=ルーエナに、ティウルス=ジェイルは真剣なまなざしを向けた。
「僕らはまだ十代だし、将来を決めるのは早いかもしれない。だけど・・・リタ=ルーエナを、他の誰かに渡したくないんだ」
「他の誰かなんて・・・」
「あれ、僕は男からもてない、魅力のない女の子を好きになったのかな?僕は見る目のない男だったんだなぁ」
「そんな・・・」
 そう言われるのが、リタ=ルーエナにとって一番困る。自分が魅力のある女だとは思わないが、ティウルス=ジェイルに見る目がないと言ってしまうのは、非常に気まずい。悪態のひとつもついて、あしらう事が出来ればよいのだが、あいにくとリタ=ルーエナにそんな芸当は出来なかった。
 憎らしいことに、それがわかっていながら、ティウルス=ジェイルも言うのだ。
「・・・意地悪」
「よし、ちゃんと言えるようになった。えらい、えらい」
 いままではその一言さえ出ず、黙ってしまっていたリタ=ルーエナなのだ。自分が困っている、そんなことを言われるのは嫌だと、伝えられるようになっただけ、付き合い始めた当初から見たら、かなりの進歩だった。
 頭を撫でられながらも、リタ=ルーエナはため息をついた。
「本当に、私でいいの?」
「いいんだよ。僕は、他の誰でもなく、リタ=ルーエナがいいんだ」
 いままでに同じことを何度も言った。そして多分これからも、何度でも、ティウルス=ジェイルはそう言うだろう。
 彼女が自分を否定したがるのを、ティウルス=ジェイルは無理にやめさせようとはしなかった。ただ、彼女が「だめ」「ちがう」と思いたがる以上に、「よい」「そうだ」と肯定する数を増やしていった。そして・・・
「リタ=ルーエナは、僕のこと好き?」
「す・・・好きよ」
「ほんと?」
「本当よ。だから・・・」
 だから、今日ティウルス=ジェイルの家まで行ったのだ。
「あの・・・ティウルス=ジェイル」
「なぁに?」
 リタ=ルーエナは自分の革鞄を開け、淡い色の飾り布で可愛らしく包んだ、手作りの焼き菓子を取り出した。・・・やっぱり、端の方が少しひしゃげている。
「あ・・・。ごめんなさい、ティウルス・・・」
「なに、どうしたの?」
「さっき、転んで潰しちゃったの・・・せっかく・・・」
 一生懸命美味しくなるように作って、一生懸命可愛く包んだのに。リタ=ルーエナは、きゅんと泣きそうになった。
「怪我しなかった?どこかすりむいてない?」
「え・・・あ、うん」
「そか。ならよかった。・・・ねぇ、早くちょーだいっ」
 きらきらと目を輝かせて、ティウルス=ジェイルは両手を差し出す。
「でも、潰れて・・・」
「いいじゃーん。それお店に出して誰かに売るわけじゃないでしょー?僕だけのために、リタ=ルーエナの愛情がこもっていれば、僕は大満足だよぉ。それに、形が崩れたのだって、こけたリタ=ルーエナを顔面擦り傷から守った、名誉の負傷と言うことで」
 ねっ、とさらに催促するティウルス=ジェイルの両手に、リタ=ルーエナは柔らかく小さな包みを乗せた。
「レニ・ヴェテ姫の加護がありますように」
「ありがと!『寂寞せきばくよ去れ、貧寒よ去れ、あらゆる邪悪を寄せ付けぬこと、我が真なる使命である』!」
 アルスヴァ・フィルマーグが戦場へ向かうとき、身分違いの恋人レニ・ヴェテ姫に、「貴女を守ることが、私の本当の戦いであるはずなのに、なぜ自分は遠く離れた地へ行かねばならないのか」と嘆いた故事にちなんだ、レニ・ヴェテ姫祭でのお決まりの台詞だ。
「毎年毎年、死ぬまでずーっと言ってあげるからね」
 外気にさらされて冷たくなった、雪白のようなリタ=ルーエナの頬に、ティウルス=ジェイルはくちづけた。
「ティ・・・」
「はい、これは僕からリタ=ルーエナに」
「え?」
 ぽんと渡されたのは、リタ=ルーエナの手のひらに収まってしまうほど小さな包み。
「家に帰ってから、誰にも見られないように開けてね」
「わ、わかったわ。中は何?」
「秘密!」
 珍しくはにかむティウルス=ジェイルに、リタ=ルーエナは背伸びをして、その頬にくちづけた。
「!」
「ありがとう。意地悪なティウルス=ジェイルにお返しよ!」
「リ〜タ〜!」
「きゃーっ」
 街路を歩きながら、人の目があるのもかまわずに、二人はじゃれあった。
 今日は年に一度のレニ・ヴェテ姫祭。愛を囁き、永久の絆を誓う恋人の祭り。

貴方の盾になって、刃もやじりも防げたらいいのに・・・

 レニ・ヴェテ姫の願いを形にした、タージェン(盾)という名の、糖衣がかけられた丸い焼き菓子をもらった男は、幸福な家庭を約束する意味を込めて、柘榴を女にささげるのが習慣だ。
 小さな自室で、リタ=ルーエナはティウルス=ジェイルから渡された包みを、誰にも知られないように開け、そして歓喜に息を呑んだ。
「ありがとう、ティウルス・・・!」
 小箱の中に、小さな精霊銀の耳飾りが一対。そこには、真っ赤な柘榴石が、愛らしく輝いていた。


≪続きは本編で≫