交わりの道 7


 バザールに繋がる大通りから路地に入った一角に、その店はひっそりとあった。落ち着いた色合いのレンガ壁に、凝った装飾のドア。開店中の看板は出ているが、店の名前は探さないと見つけられない。
 ドアの装飾に混じって、『ブラック・ルシアン』という名前が、小さく刻まれている。
 そのドアを開けると、小洒落た雰囲気の店内に入る。板張りで清潔感があるが、どこか外とは違う雰囲気があった。しっとりと柔らかな空気が体にまとわりつき、思わず口元が緩む。
 三つしかないテーブル席は空だが、カウンターに若い男が一人座っていた。酒場のようだが、日の高い今はカフェとして営業しているのだろう。
「いらっしゃいませ」
 カウンターの中から、エプロンをかけた男が声をかけてきた。黒髪に、抜けるように白い肌と、真っ青な目。年はわからない。若くも見えるが、中年にも見えた。
「遅いよー」
 カウンター席に座っていた男が、片手に持ったコーヒーカップを下ろした。店内は、コーヒーのいい香りに満ちていた。
「すまん、遅くなった」
「んもう、何を好き好んで騎士になんかなるかね」
「たまには、決まったスケジュールに沿って活動したくなるのだ」
「カツキったら、根っから真面目なんだよ」
「エムほど奔放でないのは確かだ」
 カツキはエムの隣のスツールを引こうとして、そこに黒い物体が丸まっているのを見つけて、反対側の席に納まった。
「指定席か」
「どうなの?」
「どこでも愛想のサービスはする。ルシアンは自分の仕事をわかっているから」
 年齢不詳な店のマスターが小さく微笑む。黒猫のルシアンは、この店の看板猫だ。
「ブレンド」
「はい」
 マスターがサイフォンに向き合うと、カツキは小さくあくびをかみ殺した。夜勤明けなのだ。
「エレクトルムは、あれから何か言ってきた?」
 二人が小さな機械の身体から抜け出してこの地にやってきたのは、あのキンキラ優男からの誘いがあったからだ。
「いや、なにも。・・・・・・【吊るされた男】である奴には、そもそもの権限が極めて少ない」
「可愛がられているね」
「無自覚マゾヒストでなければつとまらぬ」
 ぷっと噴出したエムが、「言えてる」と唇の端を釣り上げる。
 エムは【恋人】だが、黒き竜の眷属ではない。カツキはアルカナの宿命に縛られないが、黒き竜の眷属だ。だが、エレクトルムは【吊るされた男】であると同時に黒き竜の眷属でもある。古い血筋と運命の悪戯とも言うべき偶然ではあるが、なってしまったのだから仕方がない。
 三人は、同じような境遇の者たちの中では、仲のいい方だ。もっとも、「同じような境遇の者」がどれだけいるのかは定かではないのだが。反目しあい、衝突する者もいる中で、たまたま同じ時間軸に触れた者同士で共鳴し、同調しただけの話だ。
 片手でコーヒーカップを持ち、片手で黒猫を撫でるエムは、スリムな体形だ。だからといって、痩せすぎというわけではない。引き締まった筋肉を持ち、俊敏そうな印象がある。仕草や態度は、がさつな男性そのものなのだが、同時に、しなやかで瑞々しく、可憐とも言える雰囲気があるのもたしかだ。
 黒髪に包まれたたまご型の顔の中で、深いダークブラウンの目が悪戯っぽく微笑んでいる。見る人をはっとさせる、魅惑的な笑みを浮かべた美貌だ。
「それで、エムのねぐらは決まったのか?」
「ううん。あちこちぶらぶら。冒険者って雰囲気なのがないんだよね。盗賊ギルドもなんか飽きたし、傭兵でもしようかな」
「なるほど。・・・・・・騎士団に誘える性格だったら躊躇わなかったのだがな」
「カツキの紹介なら、待遇良さそうだなぁ」
 にやにやと笑うエムに、カツキは額を押さえた。エムが揶揄しているのは、たまたまカツキが暴走ドラゴンを馴らしたのを、この世界の人間に見られたことだ。それも、王宮の人間に。
 黒き竜の眷属たるカツキは、その身がまったくドラゴンと関係しないにもかかわらず、ドラゴンとか竜とか呼ばれる生命体から、高位の同族に思われやすい。そのため、よほど知能の低い種族か好戦的な個体でないかぎり、カツキはドラゴンに襲われることはない。
 そんなカツキは、艶やかな黒髪を腰まで伸ばした美丈夫で、騎士然とした立ち振る舞いも様になる。ただ、その右が赤く、左が金色の目が、よく人を驚かせる。
「おまたせしました」
「うむ」
 カツキの前に供されたコーヒーカップから、柔らかくも澄んだ香りが立ちのぼる。カップを覗き込むカツキの顔が映り込むほどの、艶やかな影色。
 黒、黒、黒、黒・・・・・・。この場所には、黒がよく集う。
「傭兵か。どこかあてはあるのか?」
「まだない。マスター、そういう話わかる?」
「さて。旅の護衛が、一番手軽ではないかな」
 彼らのいる王都の他に、この地には面白そうな場所がたくさんあった。水晶化した大樹の森、天使に愛でられた異端司祭の大聖堂、幽霊船が立ち寄る港町、砂漠に屹立する大図書塔、有翼獣が支配する山地と渓谷・・・・・・。
 それ以外にも、人の住む町はいたるところに点在し、そこを旅するキャラバンの護衛は、いつも人手不足だ。
「ん。じゃあ、僕はあちこちまわってくるよ」
「わかった。エレクトルムから接触があったら連絡する」
「おーけー」
 二人はコーヒーを飲み干すと、勘定を済ませてスツールから立ち上がった。
「ありがとうございました」
「にゃぁぉ」
 またこいよ、そう言われた気配を、『ブラック・ルシアン』の扉を閉めた二人は感じた。
 その気になれば、何度でも、交わることができる。いい交差点だ。

Fin