交わりの道


 さわさわと吹き渡る風と、瞼を通してちろちろとうつろう木漏れ日を感じながら、胸いっぱいに草木の匂いを吸い込む。寝転んだ芝生の上は暖かく、遠くから聞こえる町の喧騒も、心地よい。この国は、風土が故郷によく似ている。
 人気のない一本桜の下は、昼寝にはいい場所だ。
 地面を通して、重い足音が聞こえてきた。こんなところに野良がいるはずもなく、騎士の乗り物であるその大型の鳥は、規則正しい歩調で力強い。
 ふと、その足音が近くで止まり、代わりに金属の具足が立てる音が、さらに近付いてきた。自分の傍で立ち止まった気配に、片方の目だけ薄く開け、そのシルエットに微笑んだ。
「久しぶり〜」
「元気そうだな、恵夢」
 背の高い、細身の影の背には、黒に近い紫暗の髪がなびいている。
 隣に座るよう手振りで促すと、長槍を横に下ろして彼女は座った。
「蝎姫、よくここがわかったね」
「なんとなくだ。俺たちの道は、すでに交わっている」
「ふぅん、そういうもん?」
「そういうもんだ」
 蝎姫の手が伸びてきて、くしゃりと恵夢の前髪をかき上げる。恵夢は寝転んだまま、眉を寄せて頬を膨らませた。
「また子ども扱いして〜」
「親愛の印のつもりだが?」
「ふぅん?シンアイってのは、もっと密着したものじゃない」
「例えば?」
 恵夢は遠慮なく腕を伸ばし、蝎姫の腕を掴んで、その上体を自分の上に引き寄せた。
「こんなかんじ」
 寝転んだ女の上に女が覆いかぶさっているという、はたから見たら何事かと思われかねない体勢を強要され、蝎姫は少し眉をひそめた。
「・・・欲求不満か?」
「ぶぅ。そうじゃないっつーの」
「恵夢は甘えん坊でわがままだな」
「それが僕のチャームポイントだから」
「はいはい」
 額に蝎姫の唇の感触を感じ、離れていく影の下で恵夢は機嫌よく肘枕を立てた。
「あのさぁ、コレめちゃくちゃ夢だってわかってんだけど」
「夢?」
「うん。だって、さっきまで僕自分の部屋にいたはずだもん。昼寝しようと思ったところまでは、覚えてる」
「ほう?・・・俺には現実だが?」
「蝎姫の現実って、どこからどこまでなんだよ」
「・・・ふむ、それもそうだ」
 どこか男っぽい響きのある声が、少し笑っている。切れ長で、血のような深紅の目が、恵夢を見下ろした。
「正夢になるといいな」
「そう思う?もう一回、会えるかな?」
「何度でも。もう一度言うが、俺たちの道は、すでに交わっている」
「うん、そうだね」
 さわさわと、こずえの揺れる音が優しい。
「・・・ねぇ、蝎姫」
「なんだ」
「十字路って、十字架を背負って歩いた道と、同じなんだって」
 まったく違うことをさしながら、その表記は同じだという。
「まるで、人の生きる道そのものだな」
「そう?」
「誰とも交わらずに生きる人間はいない。罪を犯さず生きる人間もいない。そして、生きているものは、必ず死ぬ。その最期が、どんな姿であれ」
「蝎姫は?蝎姫はし・・・」
 唇の前に指を立てられ、恵夢は黙った。
「いつかは。・・・また会おう」
 もう一度、恵夢の髪を撫でると、蝎姫は立ち上がって槍を担ぎ、長い髪とマントを翻して歩み去った。
「蝎姫のばーか。次の約束ぐらい言ってもいいじゃん。必ず会えるかわか・・・」

 ふっと目を開け、自分がどこにいるのか一瞬わからなかった。
 クッションを枕にソファに横になり、薄着の体には愛用のブランケットが掛けられている。たぶん、ジュンが掛けてくれたのだろう。
 起き上がると、そこは自分の部屋で、雑多な週刊誌や菓子の盛られた皿や、流行のソフトを挿したままの携帯ゲーム機などが散乱している。
(やっぱり夢だった)
 目を擦って、指先で簡単に髪を梳ると、微睡みの君主はブランケットを肩に掛けて、その端をずるずると引き摺ったまま、壁の一角に掛けられた鏡の前まで行った。
 その鏡は、鏡の役割を果たしていなかった。くすんで鈍く光るだけで、まったく何も映さない。
「君が見せたの?エレクトルム?」
 細く白い指先で、楕円形の鏡の、古ぼけた飾り枠をなぞる。
「僕はどこかで、もう一度、カツキに会えるみたいだね」
 自分の寿命が近いことはわかっていた。ずっと待ち焦がれ、準備もすべて整っている。だが・・・
「死ぬのが怖いのかな?もう・・・飽き飽きしているのに」
 やっと終わりなのだと思っていた。それなのに、ずいぶん穏やかで、楽しそうな夢の世界だった。
「僕も、どこかに行くんだろうか・・・。そうしたら、もう一度、また、君たちにも会えるんだね」
 自分はこの世界にいながらにして、別の世界を繋ぐ路に片足を突っ込んでしまったのだ。おそらく、それが運命なのだろう。
「・・・怖くないよ。ありがと」
 ちらりと、鏡に人影が映ったような気がした。まるで、微笑むように。
 微睡みの君主は踵を返し、軽く腕を振った。正面の壁一面が、大都会の夜景パノラマに切り替わった。
「まだしばらくは、ここにいるけどね!」
 気まぐれでわがままな支配者の顔になって、微睡みの君主は赤い唇の端を持ち上げた。

Fin